Time is running out | 君を殺しても

君を殺しても

THE NOSTRADAMNZ Lucifer K nemoto

こんばんは、湿気が嫌いなルシファーです。

◾️質問コーナー
片想い両想いに関わらず、自分を好きになれる恋が素敵なんじゃないかなと思います。

意中の相手がいて、その人に好かれたくて自分を磨いたり高めたり、何よりそうしている時間が充実していると感じる恋は良い恋だと思います。

逆に、自暴自棄になって心中していくような破滅的な恋は良くないよなーと思います。
そういった恋もいい思い出になって、その先の人生の糧となればまあ良いのかもしれませんが、破滅が目に見えているのに意固地になって突き進むのはよしておくに越したことはないと思います。
分岐点としては、本当にそれで相手が幸せになるかどうか、というところだと思います。

血縁者ですかね。
それ以外は絶対にないってことは無いんじゃないかなと思います。
生まれてから今までゴリゴリの異性愛者ですが、この先同性に恋をすることもあるかもわかりません。

ひとつあるなと思うのは、自分がどう見えるか全く気にしない人か、気にしていてもぼくから見て著しく間違ってる人は、嫌悪感が先に来るので可能性はめちゃくちゃ低いと思います。
例えば、葬式に全身スパンコールで来ちゃうとか、結婚式に全裸で来るとか、いわゆる自称サバサバ系とか、そういう人がいたら距離感は保とうとしますね。

逆に寝たなァー!!ってなることのほうが少なくないですか?
寝るのって体力使いますし、目覚めるタイミングで脳波がどうなってるのか等もなかなか大きく影響すると思うので「寝た気になる」って案外難しいですよね。

言葉遣いに気をつけましょう。

どうしてそれがストレスになったのか考えます。
本来ストレスに感じなくていいことを勝手に自分がストレス化してる場合も結構あるからです。
どうしても不可解なものは、解決策があればやるし、それも不可なら忘れてしまいます。

確かに幸せなんですが、1番かというとちょっと言い過ぎかなと思いますね。

あとは状況にもよるというか、内心不安ごとや心配ごとがあっても為す術なく、もしくは先送りにしてゴロゴロすることもありますよね。
あれは却ってツライです。

場合によるんじゃないでしょうか。

その友情が壊れてでも奪ってやる、と思うかもしれないし、いやーちょっと気になるけど友達に嫌な思いさせたくないから黙っとこ、と思うケースもあると思います。


敬語は大事な文化だと思うんですが、先輩だから敬語が大事か、というとその限りではないと思います。
敬語って上下ではなく距離感だと思っていて、例えばぼくは相手が小学生でも、シラフで初対面だったら敬語で話します。
幼稚園とかだと可愛さが勝ってタメ口きいてしまうかもしれません。

逆に、先輩だとしても距離感が近づけば敬語じゃなくなっていくこともあります。
し、どう考えても先輩なのに初対面では敬語で接してくれる方とかはそれだけでめっちゃかっこいいと思います。

昔、元ジュディマリの恩田さんにお会いしたとき、18才そこそこのポッと出のぼくに対して凄く丁寧な言葉遣いで接してくださって、超かっけえ。。。と思いました。

でもSUGIZOさんをお見かけして「エックスのライブ観に行きました!めっちゃかっこよかったです!」と震えながら握手を求めたとき、ニコッと笑って「どうもありがとう」とフランクに返してくれたときも、超かっけえ。。。と思いました。

つまり、言葉遣いは大切だけれど、相手からどう映るかに気を配ってくれているな、と伝わる振る舞いこそが「かっけえ」のであって、敬語を使うか否かはそのためのツールに過ぎないと思います。

それこそ、例えば自分をよく見せるためのアクセサリーや化粧でも、ふさわしくない場で身につけるのは逆効果、というのに似ていると思います。

なので、前提なしに先輩に敬語が大事、とは思わないです。
ただ、多くの場合でちゃんと使うべきとものである、とは思います。

めっちゃ楽しそうだと思います。

女性とだと気取ってしまって耳とかつけられないけど、男だけだったら海パンでスプラッシュマウンテンに乗り、耳つけてパレードに手を振りたい。



言葉遣いに気をつけましょう。
ぼくが自分で可愛いなと思うところについてですが、ねえよそんなもん殺すぞ。

子供のころはひどい癇癪持ちで、クリアできないとスーファミからソフトを無理矢理ぶっこぬいて投げ壊したりしてたのでたくさんあると思うのですが、記憶にあるのはテイルズオブデスティニーですね。
ラスボスだと思ってた相手が中ボスだったので、絶望してやめてしまいました。

最近ストリートファイターフォーだかファイブだか買ったんですけど、あれもハードモードにすると全然勝てないのでやめてしまいましたね。

あと口のききかたに気をつけましょう。

最大多数の最大幸福(特に自分)です。

思いますね。
思いますけど、ぼくなんか怠けさせたら遊ぶことすら怠けてしまって永久に充実しないと思うので、ちょっと忙しいくらいが丁度いいのだと思います。

誰に面白いと思ってもらうかで方法が変わってくるかと思います。
例えばぼくは、ぼくについて自分で気づいていないことを指摘してくれる人を面白いなと思います。
あと、メチャクチャなことを言ってもちゃんと受け止めて理解してくれたりすると、もう好きになっちゃいますね。

ただ、誰かに面白いと思われるように努力するよりは、そのままの自分を面白いと思ってくれる人を探す努力をするほうが幸福度が高いんじゃないかなとも思います。

続柄や家族構成や、何より仲の悪い原因によりけりだと思いますが、そのままでも困ってないなら、労力をかけて傷つけ合ってまで仲良くする必要は無いんじゃないかなと思います。

例えばお子様がいて、家族仲がよくないとかわいそうだなと思うとか、クリティカルな問題があるなら、無理に仲良くしたとしても、相応のリターンが望めると思うんですけど、そうじゃなければ漠然と仲良くしてる必要は無いと思います。

ただ、ある程度歳をとって距離ができて特に思うのは、ぼくは家族と仲良くしたいと望んでいると思いました。
なので、何かにつけて連絡したり会いに行ったりは、若い頃よりたくさんするようになりました。
それは、たまたまぼくんちが家族でいることで幸せだったからだと思います。
感謝の気持ちも贖罪の気持ちも色々あります。

でも、それはたまたまそうだったラッキーケースでしかないとも思うので、全ての家族がそうあるべきだとは思いません。
言うて、別の人間なわけですからね。
例えば、会社内で仲がいいほうがいいか、仲良くなくても利益が出たらいいか、はたまた仲が良いほうが利益が出るから勤務中は仲良さげに振る舞うか、みたいな選択肢に似てると思います。


たぶん得意不得意が比較的激しいタイプではあると思います。


まず身体を使うことより頭を使うことのほうが得意です。

また、頭を使うことの中でも、イメージとか言語とか行き当たりばったりみたいなことは比較的得意で、暗記や計算や決まった段取りや積み重ねを要することは壊滅的に苦手です。

そして、得意なことは好きなことくらいでしか発揮されないし、好きなことに関しては寝食無しで何時間でもやりつづけられます。

逆に、その状態になるとエネルギーを使いすぎてしまって怖いのか、取り掛かるまでにかなりの気合いと時間を要します。


これ、大多数の方が少なからずそうだと思うし、ぼくに関しては、ちょっと抜けてるだらし無いやつ、くらいで済んでるっちゃすんでます。

誰でもそうなんだからもう少し頑張れ、努力しろ、と子供の頃から言われてました。

それでも、普通にみんなができることがどうしても出来なかったりして、更にプライドだけは死ぬ程高いので、テヘヘで流したりはしていても、内心とても悔しかった。

なんて自分はダメでグズなんだろうと思います。

でも自分以外からそう指摘されるのは苦痛でした。

そんなの自分が一番分かってるよと。


でも、周りの助けが比較的もらいやすかったし、キャラクター的になんとなく許される傾向があって、なんだかんだ幸せに生きてきて、きっとこれからものうのうと生きていくでしょう。

ぼくが生きることを許してくれる周囲の方々には感謝してもしきれません。


と思っていたのですが、最近自分でも自分を許せないような失敗をしてしまって、心底自分に失望しました。本当にバカだよお前は!と。

周りに話してもあまり理解を得られないけど、ぼくの中では最低のうっかりミスをしました。

もうこんなことは、絶対に二度としまいと思って、注意力を補助する薬の処方箋をもらいました。


そしてその処方箋を忘れてしまうという本当に救いようのない日が何日か続き、やっと今日から薬を服用しはじめました。

少しはマトモになることを願っています。


その話をすると、異口同音に「それを言い訳にするな」とか「もっと大変な人がいる」みたいなことを言われてしまい、これが結構しんどい。


ぼくは今回薬をもらえたことですごく救われた気持ちです。実際効かなくてもいいとすら思う。

そういうことではなく、「大変でしたね、おくしりどうぞ、お大事に」と、知らない人に言ってもらえたことで、とても気持ちがラクになりました。

そして今朝から薬の服用を始めたんですが、自分でも疑わしいのだけど、めっちゃ効いてる気がします。

なんか一つ一つのことをあんまりめんどくさく感じないし、今までパンパンだった頭からフッと圧が抜けてスッキリした感じがします。

もしかしたらたまたま体調がいいとか、久々に晴れたからとか、別の要因かもしれないけど、ぼくはホッとしています。


得意なこと、不得意なこと、みんなそれぞれに、いろんな種類のいろんな度合いであると思います。

不得意なことは、ときにあなたの自尊心を自分で傷つけてしまうことがあると思います。


もちろん克服できたらいいのかもしれないけど、出来なかったとしても、あなた自身がどう思っていたとしても、ぼくはあなたの生を肯定します。

あなたが実際に幸せになれるかどうかは知らないけど、ぼくはあなたの幸せを願って作品をつくります。


そいじゃあまたね😈