こんばんるし。
今日は質問箱に答えます。
スマホからは15枚しか答えられないようです。
ご存知ない方のために、
こちらですね。
おそらく、今のシンウルトラマンのような企画の、パイロット版且つテストマーケティングだったものが、なんらかの事情で頓挫したものなのではないかと思います。
昨今のアメコミヒーロー然り、子供向けのヒーローを、大人の鑑賞にも耐えうるものにリメイクしたい、という欲求って、製作者側にはずっとあるものなのだと思います。
ただ、n/aがそのまま「該当なし (not applicable)」を表しているとすると、そもそもジョークだった可能性も無くはないと思いますが、庵野さんが使う「シン」的な意味だとすると、いま製作されているシンウルトラマンに続く着想のひとつにもなっていたのかもしれません。
どっちに転んでもいいようにした、というのが一番リアルかもしれませんね。
作らなくても、ジョークで済むようにというか。
とにかくシンウルトラマンめっちゃ楽しみにしすぎて生きるのがしんどいです。
もっと能動的に動くべきだったなあと強く思います。
天才だからどうにかなるだろう、としか思ってませんでした。
結果的にうまくいこうがいくまいが、自分で考えて正しいと思ったことをやるべきです。
今はそうあろうと思って生きています。
ぼくの中では、頭の良さ=想像力のようです。
目の前にないことにも思慮が働き、その思慮が正しいかどうかの裏付けもファクトとして探し出すことができて、それを学習できる人というか。
それには、地頭の回転の良さも必要だし、それを思考するための語彙も必要だし、自分の内外を思い遣るベクトルにカロリーをかけられる道徳心も必要だと思います。
そう書くとたいそうなことのように思えますが、キチンとヒトを見ると、案外頭の良いひともたくさんいるし、馬鹿もたくさんいます。
そして、それと人としての良し悪しはまた別のことだ、ということを解っておくのも大切だと思います。
キツい、というのが「不快だ」ということなのであれば、その方とはお付き合いしないほうがいいかもしれません。
ケアの有無ではなく、生き物として匂いが不快だと思う相手とは相性が悪いはずです。
自分は不快だとは思わないが、周りから嫌われたり恥をかいたりしたら嫌だな、という思慮からであれば、匂いがどんな種類のものなのかによって対策が変わってくるかと思います。
単にケアを怠っている系とみるならば、ケアがラクで楽しくなるような、高価な電動ハブラシなんかをプレゼントするのはいかがでしょう。
内臓が悪い系であれば、身体が心配であることを伝えつつ、食べ物や睡眠の管理を買って出て、その結果匂いも改善する、という解決は見込めるかもしれません。
UFOとは宇宙人の乗り物ではなく「未確認飛行物体」の略語なので、そうだとするとなんだかわからないなら乗るのは危険だと思うので乗りたくありません。
そうではなく、現状のテクノロジーでは考えられないようなすごい機能の乗り物、を指すのであれば、安全さえ保証されるのなら乗ってみたいです。
愚痴くらいいいんじゃないですかね?
これは男女差があるようですが、女性は男性に比べてこまめにアウトプットしないとかなりのストレスがたまるので、愚痴もこまめに出さないと男性が感じるより辛い思いをしますから、きいて流してあげるくらいはしてあげたいです。
男性も、頻度は女性より低くとも、アウトプットせざるを得ない状況とあればすでにかなりストレスが溜まっている状態なので、その人のことを想うのであればきいて流してあげるくらいはしてあげたいですよね。
ただ、特定の誰かに対する悪口や、根も葉もない噂話などは、ぼくは個人的に不快に思うので、特に止めはしませんが、別のことを考えているフリをしたりして参加しないようにしています。
とはいえ、言っている側もストレスを感じてのことでしょうから、その場限りの話であれば言ってもいいんじゃなかろうかと思います。
余計なのは、それを自分の承認欲求だか何だかで他の場所に振り撒く奴ですね。
誰々が誰々を悪く言ってたよ!みたいな。
それは生産性が低い行いだと思いますし、その姿が周囲からどう映るか想像もしないんだろうな、という軽蔑の念は浮かびますが、だからどうこうということもありません。
あなたの瞳に映ったからですよ。
接しないか、デヘヘヘーとか言っておけば大丈夫です。
ただ、人と人の相性というのもよくわからないです。
自分がそいつを好きか嫌いかだけだと思いますが、嫌いな相手からも学ぶべきことはあり、尊敬に値することも多々あるなあと、ぼくは経験上感じます。
究極の平等主義者なのかな、と最近思います。
ぼくを基準として、あとはそれぞれそれでよい、という考えをしているように思います。
平等主義というと聞こえがいいようですが、
とはいえ基準はぼくなので、逆に差別的でもあると思います。
個性って意図して作れるものではなく、自他が見出すもののように思います。
他者から個性的に思うことも、本人は一般的なことだと思っていることはよくありますし、逆に本人が個性だと思ってることが、実は誰にもある一般的なことだというケースもよくありますよね。
いずれにせよ相対的なことなので実はどうにもならないことのように思います。
とはいえ、自分を個性的な存在だと見せたいのであれば、冷静に自分と他者を比較したときに、人に比べて良いと思えるところを伸ばしたり強調したりするとこで、個性を演出することはできるかもしれません。
それの得意不得意が、いわゆる自己プロデュース能力なのかもしれないですね。
元々全然使わなかったのですが、頂き物でスターウォーズのやつがあって使ってみたらすぐ無くなってびっくりしました。
良いものは良いのですね。
ロックンロールの歴史を象徴していてかっこいいからですね。
ただ、ぼくがいつも履いているのは実はラバーソールではなく、ジョージコックスの靴っぽくデザインされた、ドクターマーチン製のエアソールのものです。
確かめる必要は無いんじゃないですかね。
自分の気持ちがどうあるかのほうが大切だと思います。
どうしても確かめるなら直接訊くほかないと思いますが、結局他人なので真意はわからないでしょう。
よく脅しのような確認方法をとるひとがいますが、それは確認ではなく強要では????と思います。
悪いこと、というのは誰かを不幸にすることだと思うのですが、根に持つだけなら自分の中の話なので、悪いことではないように思います。
ただ、根に持った結果、他者に危害を加えるような行動をとるのであればそれは悪だと思うし、根に持つことで自分のストレスが増えるなら、それも良くはないと思いますね。
逆に、なにくそ!!という気持ちが原動力になり続けて何らか良い成果に結実することもそこそこあると思うので、結果的に幸せの足がかりになるのなら、ネガティブな感情もそれ自体が悪だとは決めきれないのではないかな、とも思います。
また書きます。














