写真は若い頃のテツヘイと、ただのビーさんです。
あしたはいよいよレプリカンシエルの出番です。
このイベント、毎年夏にやるんですけど、
個人的には夏のこの時期にやることにすごく感慨があります。
気合いを入れ直す意味を含めて、ラルクアンシエルとの出会いとそれからについて振り返ってみようと思います。
ラルクと出会う前から、ぼくんちは割とずっと音楽が流れている家庭ではあったと思います。
両親とも人並みには音楽が好きなひとたちで、
特に父親はフォークギターを買ってみたり、
彼の実家にはそれなりの枚数のレコードがあったり、
中高とブラスバンド部だったり、
毎週末図書館で何やら借りてきてはプレイリストを作ってる感じの人でした。
なんか過去形にすると死んだみたいだけど生きてます。
あとはいわゆる団塊ジュニア世代よりすこーし前の世代にあたる叔父も音楽が好きで、車にはいつもどっさりCDが積んであって、家にも有線放送を引いてる人でした。
叔父も生きてますけどね。
この2人が聴いてた音楽が、ほぼそのままぼくの幼少音楽体験になっています。
さだまさしさんだったり、ユーミンだったり、中島みゆきさんだったり、クラシックだったり、あと奇しくもエンヤもよく寝る前に家でかかってたし、ディズニーランドのアトラクションのBGM集もかかってた。
その中で、ロック体験として今でも心に残ってるのが、BAKUのON AND ONという曲でした。
BAKUは後にSHURIKENをやる谷口さんと、AIRをやる車谷さんが居たバンドで、初期はアイドルっぽかったんだけど、後期は割と硬派な感じ。
音楽性は、どちらかというとそれこそノストラにつながるような、今で言うところのメロディックパンク的なことをやっていました。
日本語詞だけど、子供だったからなんて言ってるのかわかんなくて、適当な歌詞でずーっと歌ってた覚えがあります。
多分これが、歪んだギターサウンドにビシビシくるビート、みたいなものが響く琴線の元になったのだと思います。
時はながれ97年、ぼくは小学校五年生で、
夏休みにおばあちゃんちに行ったときに、
叔父が有線放送のヒットチャートを120分テープにまとめたものを車で聴いてて、そのテープをくれたんです。
ぼくはそれまで音楽の授業がキライで、全然音楽って興味ないと自分で思ってたんだけど、そのテープを聴いてるうちに、なんとなく音楽って好きかも、と思うようになりました。
でもその時はハイパーヨーヨーに夢中でした。
その一年後、98年にラルクがHONEY、浸食、花葬の三枚を同時にリリースする事件がありました。
Mステでメドレーを演奏する彼らを見て、ロックバンドってカッコいいな、と思いました。
98年にも叔父はヒット曲の120分テープをくれて、その中にもあの三曲はもれなく入っていました。
で、その時点では、驚いたことに、Mステに出ていた彼らと、テープの中に入っているやたらカッコいい三曲が一致してなかったのだけど、
CDバブルだった当時はクラスでもちらほらヒット曲の話題が出ていて、特に中高生の兄姉がいる子は情報が早くて、特に(今思えば)バンギャルのお姉さんがいた吉田さんや、塾が一緒だった門岡くん、あと兄貴がヴィジュアル系バンドマンだったマコトくんらと、ルナシーたグレイとラルクで何の曲が好き?と話をするようになり、ラルクをラルクだと認識できるようになりました。
秋から冬にかけて、snowdropやforbidden loverがリリースされて、ぼくはテレビに彼らが出ると聞くと食いついて観るようになりました。
そんな中でいつのまにか、ラルクアンシエルのファンになっていて、それを自覚しました。
小学校のときは、低学年の頃からそれまでずっと漫画家になりたくて、自由帳に漫画を描いていたんだけど、あの時期はただロックバンドがラルクの曲を演奏するだけの漫画を描いていた覚えがあります。
つまり、表現方法として絵で描くことしかできなかっただけで、ぼくは間違いなくラルクアンシエルになりたかったのです。
家族でデパートに行ったとき、両親にねだってラルクアンシエル大辞典なる本を買ってもらい、通学路を歩きながら、ページが手垢で汚れるまで何度も読みました。
99年の正月にはおじさんにねだって、ラルクだけを纏めたテープを作ってもらいました。
春休みには、何らかで貰ったお小遣いを握りしめて、本厚木のイトーヨーカドーのCDコーナーで「True」を買いました。
厚木アクストの情報プラザに行って、ラルク関連の掲示板に書き込みをしました。
ハンドルネームは「時ハ奏デテ」で、ぼくはトキさんと呼ばれていました。
痛かわいいですね。
そしてHEAVEN' S DRIVEが発売する頃、ロンドンハーツの第一回ゲストに彼らが出演したときは、ビデオに録画して何度も観ました。
中学の入学式が終わったあともそれを観ました。
あのときhydeさんが弾いてたギターと同じ形のものを、後年えんどうさんが買ってきてスゲー感動してたら音が出なくなりましたね。
ちなみにヘヴンズドライブのカップリングのメトロポリスの歌詞があまりにもエッチすぎて、中1のぼくは顔を真っ赤にして聴いていました。
それから、heavenly、HEART、Tiera、DUNEと買い集め、毎朝聴いてから学校に行きました。
そして99年の夏。
もう世界は終わってしまうと思っていました。
ノストラダムスの大予言の、まさにその時を迎えようとしていました。
太陽系が十字にクロスするので、地上の磁場が狂って宇宙放射線が降り注ぎ、人体はマイクロウェーブで自然発火するとMMRでやっていたので、ぼくはすごく怖かった。
そんな中、運命の7/1にarkとrayが発売されました。
ぼくは、夏は誕生日だからラルクのアルバムを買いたいと言って、母親から無理矢理お金をもらって、本厚木ミロードのバージンレコードに走り、初回限定版の2枚を買って帰って、聴きました。
arkから聴いて、rayのsilver shiningまで聴き終わって、ぼくはため息をつきました。
世界は終わらなかったけど、ぼくの世界はそれまでとは変わりました。
その頃にはブラスバンド部でサックスがそれなりに吹けるようになって、楽譜も解るようになってきました。
hydeさんがローレライで吹いていたからサックスも好きだったけど、やっぱりエレキギターが欲しいと日に日に思うようになりました。
それを見ていた父親が、自分が使っていたグレコのフォークギターを実家から引っ張り出してきて、それと教則本とkenさんモデルの蛍光イエローのピックを買ってきて、ぼくにくれました。
ネックがひん曲がっていたので非力でさらに中学生だったぼくは、うまく弦が押さえられませんでした。
指先にはマメが出来ては剥がれてズタズタになったけど、それでも楽しくて、大真面目に教則本通りに、ずっとコードを抑える練習をしていました。
そんなぼくに、13才の誕生日プレゼントとして、おばあちゃんが2万円をくださいました。
これでぼくは、アンボーイというメーカーの青いエレキギター15800円と15wの小さなアンプ、そしてDriver's highのバンドスコアを買いました。
もう数えるくらいで
僕らは消え失せて
真っ暗な朝が来るね
お気に入りの服に さあ 着替えたなら
ぼくは駆け出しました。
毎晩、ギターを弾いて、お風呂でラルクを熱唱しました。
うるさーい!!と父親に何度も怒られたけど、やめられませんでした。
近所の皆様、本当に申し訳ございませんでした。
それからエックスに遡ったり、彼らのルーツであるJAPANやモトリークルーやイングヴェイマルムスティーンなんかも聴き始め、だんだんと「ラルク」ではなく「化粧してるバンド」へ、果ては「ロック」という大きな括りで、音楽というよりはカルチャーとして捉えるようになり、中3でセックスピストルズとミスフィッツ にたどり着いてからは、ぼくはパンクスであることが楽しくなっていきました。
リアルタイムで最後に聴いたラルクのアルバムは「REAL」になりました。
高校に上がってからは楽器とかよりもファッションに熱が入るようになりつつも、自分でもバンドを組んで、ベースを弾きながら歌うようになりました。
大学生になってからは、がっつりバンドをやる日々になり、紆余曲折を経て、一旦バンドを辞めたときはもう二度とステージには立てないと思っていました。
そのあとぼくは、生活にも精神的にも余裕がでてきて、国立競技場にラルクを初めて生で見に行きました。
長年音楽をやってきたけど、大きなライブってあんまり行ったことがなくて、チケットとか座席とかよくわからなくて、一緒に行く人もいなかったので、ひとりで諸々会場でも戸惑いながら、すごーく小さな豆粒くらいに見える彼らを、初めて肉眼で観ました。
音響は本当にサイアクで、演奏する音よりも周囲の人の衣服が擦れる音のほうが大きくて、しかも気候は激寒で、さらにみんなあのときポンチョを着させられたんだけど、女性客の中で独りのぼくは、なんとなくそれを着る気になれなくて、だんだん来たことを後悔するくらいつらい気持ちになってきました。
そのとき、MY HEART DRAWS A DREAMが演奏されました。
夢を描くよ
夢を描くよ
夢を描くよ ほら
気がついたら涙が止まらなくなっていました。
ぼくの夢は、ラルクアンシエルみたくなることだったんだ、ということを思い出しました。
音楽をやってきて、つらいことも、小さいけどそれなりにはありました。
でも確かに、彼らがいなかったら、平凡で良い子のまま知らなかったはずの、素晴らしい世界を見ることもなかったでしょう。やまま
音楽を作って、演奏して、誰かが喜んでくれる喜びを、ぼくの人生にもたらしたのは間違いなく彼らです。
彼らは、まさしく、空に七色のゲートがかかって、そこから新しい世界が拓けていくような、「虹」という名に相応しいバンドだと思います。
ラルクを観てほどなくして、かみむらくんが飲みに誘ってくれました。
もういちどステージに立つことは、守ってきた世界が終わる気がしてすごく怖かった。
でも、arkとrayを聴きながら初めてエレキギターを買いに行ったあの日くらい、無性にワクワクした。
だから、新しいバンドにはノストラダムスという名前が相応しいと思ったのです。
ラルクアンシエルみたく大きな存在にはなれなかったかもしれないけど、誰かがぼくらの音楽を聴いて、99年の夏にぼくが感じたあのときのなんとも言えない、胸がつまるような残酷なトキメキを感じてくれたら、そんなに嬉しいことはないのです。
ちなみに、かみむらくんは「ツンとして乳首」という名前をゴリ押ししてきましたし、未だに言うことがありますが、却下ですよそんなもん。あたりめえだろ馬鹿者が。
そんなわけで、書いてるうちに日を跨いだけれど、今日は誰でもなく13才の自分に向けて、オトナが本気でラルクごっこをやるのです。
■8/15(wed) -2man-
■[真夏の屋内メッセ 2018 -最終夜-]
・LUNA MATTINO
・L'epric~en~Ciel
・[o.a.] FAKE Plastic Tree
■open 18:35 / start 19:10
■adv. ¥3,500(+1d) / door ¥3,800(+1d)
※当日券、若干数販売御座います・・・†

