わたしが自己中である理由。 | 一人暮らしアラフォー女子のうつ病闘病記

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こんにちは☔️


なかなか書くことができませんでしたが、

今週、仕事でとても辛いことがありました。


4月末の、少し安定していた時期に

引き受けてしまった外向けの仕事を

降りざるを得ないことになりました。


内向きの仕事は、わたしが体調を崩しても

内部で日程調整が可能で、もっと言えば、

自分だけでコントロール可能なので、

不安なくやることができます。


外向けの仕事でも、

グループで準備をする仕事の場合、

ここ数年は自分が万が一の時に備えて、

内輪で調整していおてもらうことが

できたので、少し不安は薄らぎました。


今回引き受けていたのは、

ごく一部ではありますが、

その日、その時間に、決められた場所に

ひとりで行って、対応しないといけない

タイプの仕事でした。


うつになって以降は、

あえて引き受けてこなかった仕事です。


******


もうわたしの職種をご存じの方も多いので、

少し具体的に書くと、

今はまだクライアントでない、

ひとつ前の校種に所属している子たちに、

うちの学校を1日体験してもらう

イベントです。


オープンキャンパスと言うと、

大学のイベントのように思われますが、

オープンキャンパス、オープンスクールは、

特に私立学校では、随分前から

どの校種でも必死で取り組んでいます。


わたしは公立学校に勤めたことはないですが、

(教採落ち私立組なので…)

今や公立高校だけでなく、

公立中学校でもやっているそうです。


公立の中高一貫校も増えていますし、

学級担任制から教科担任制への移行で

学校に馴染めなくなる「中一ギャップ」も

社会問題化していますので、

体験入学での生徒獲得や、

ギャップ解消にはどこも必死なのです。


******


その中の、模擬授業担当を、

この度降りることになりました。


その発端となったのは、

先日、ひどい風邪をひいてしまい、

仕事に戻った今でも咳が続いていて、

当日に行けなくなったらどうしよう、

という不安が一気に浮上したためです。


その時、昨年夏のコロナ時のこと

(休むなら代理は自分で立てろ、と指示され、

それができなかったので、

休養が必要と医師から言われていた期間に

無理をして出勤してしまい、倒れたという

問題)がフラッシュバックしてしまい、

「代理は自分で立てろ」の恐怖に

わたしの意識が覆われてしまいました。


それで、教室をどこにするかで

少し揉めていたところに、わたしが、

「もし当日、体調不良で出られなくなったら

どうなるのですか?

「代理を自分で立てろ」という実行不可能な

業務命令は絶対に出さないでください。

同時開催されている他の科目の模擬授業に

誘導するのですか?

万一の場合にどう対応されるのかの

見通しが立っていないと不安です」

と言ってしまったため、

今からそんな状態では任せられないので、

部署内でなんとかしてほしいと、

部署長に連絡があり、面談の上、

わたしが降りることを了承しました。


状況的に、それでもわたしがやりたい!

とは言えませんよね。


降りることを決めて、

かなり気持ちが楽になったので、

やはり今のわたしには重荷だったんだな、

と思いました。


******


そこで、やっと本題なのですが、

部署長との面談の中で、

わたしの話しをずっと聞いていた部署長から

「自分の与えられた範囲の仕事を、

最もいいかたちでやりたいと思ってる、

というふうに受け取りました。

でもそれは、主人公を取り違えている。

あくまで主人公は来てくれる子たちで、

その子たちがこの1日をどう充実したものに

できるかを考えないといけない。

初めて入る学校の中で、

地図をもらっていても、

どこに何があるかを頭の中で描くのは困難。

模擬授業ひとつだけを受けに来るわけでは

ないのだから、

その子たちが1日をどういう動線で

動くのか、トイレに行っている間に

案内役の在校生の姿を見失うかもしれない、

集団で階段を上がったり降りたりすれば

怪我をするかもしれない、

できるだけそういう可能性を少なくできる

ように、全体を見渡して動かないと。

毎日来ている在校生の子たちと違って、

その子たちにとっては、

その1日しかないんだから、

迷子になって不安な気持ちを持てば、

うちの学校のイメージは悪くなる」

と言われました。

主には、使用教室で揉めたことについての

意見です。


これ以前にも、わたしの言動について、

「もう少し広い視野でものを見て発言して

もらわないと困る」といった指摘が

部署長のもとに入っていた、とも

言っていました。


部署長の意見は、正論だと思います。

それは理想型だと思います。


ただ、わたしは模擬授業担当者として

模擬授業を最もよいかたちで提供するのが

わたしの仕事だと思っていたし、

参加者の動線とか全体のことは

取りまとめの人の仕事だと思うし、

そもそもわたしは、

普段自分が使っている教室以外に、

どこにどれくらいの大きさの部屋があるのか

あまり把握していなかったし、

「もう何年も働いてるんだから知っとけよ。

てか、調べてから意見しろよ」

っていうことかもしれないけど、

お互いの立場から意見を出し合って、

擦り合わせて、最終的に最もいいところに

着地するものだと思っていたので、

こちらから取りまとめの人の立場まで

忖度して意見しなければならないのか、

ということに驚いてしまいました。


というか、そんな小さいことについて

わざわざ1から議論しているほど

暇ではないから、

ある程度忖度した状態から始めるしかない

というのが現実、というところでしょうね。


あと、忘れていたけど、

わたしは昨年夏のコロナ時に起こった

上記トラウマの影響で、

今でも入ることができない建物があります。

取りまとめとしては、すでにそれに

忖度した状態で教室選択をしてくれて

いたので、あとは少し納得できなくても、

わたしのほうがそれを理解して

折れてあげるのが筋であった、

というのは、後で気がつきました。


******


この面談の後、ずっと考えていました。


わたしはなぜこんなに自己中なのか、

ということについて。

なぜ広い視野でものを見られないのか、

自分の立場からしかものが見えないのか、

ということについて。


そもそもうつ病は、

すべてのことが悲観的に見え、

視野が狭くなるという病態をもつので、

うつ病だから自分のことで精一杯、

ってことでしょ、と言えばそれきりだけど、

何でもかんでもうつ病のせいにするのは

違う気がする。


わたしは先天的に自己中な人間なのか?

WAISを受けた時には、

「発達障害傾向は見られない」

という判断だったけど、

やっぱりわたしは自分の立場からしか

ものを見られない、アスペの傾向が

あるのではないか?

それとも、生育過程において

愛着に問題を抱えているからなのか?

それとも、非常勤歴が長くて、

今の職場に決まったのが34歳のときだから、

年齢より「組織の中で立場をわきまえる」

という意識がまだ低くて、

年齢に比べて精神的に幼いという

ことなのだろうか?


この面談を受けた同じ日に、

職場のカウンセリングがたまたまあったので

この話しをしたのですが、

「いや、ゆぅかさんは、

この職場に来て2年でコロナ禍に入って、

そこからすぐにうつ病になって、

それ以来、校務分掌を免除されてきたし、

担当したとしても、基本的に

いろんな人との調整が必要のない、

一番楽な役割だったから、

周りの人との調整をしていく立場に

身を置いてこなかったのだから、

広く全体を見渡すという立場を

経験していないだけだと思いますよ」

と言われました。


まぁ、それもある。


でもまだ完全に納得はしていなくて、

ずっと考え続けていました。


昨日、実家に帰る電車の中で、

岡田尊司さんの『愛着障害の克服』を

読み進めていて、

突然、思いついたことがありました。


わたしは、どんな仕事でも、

100%以上の、いや、200%の力で

目一杯準備をして、

さらに、その成果を充分に発揮できる、

最もいい環境を整えて、

それでやっと他の人と五分五分の

成果を出せる、そうでなければ、

他の人に及ぶことができない

と信じ込んでいる。


さらに、失敗したら、

自分の存在はこの世界でいらないものに

なってしまうと信じ込んでいる。


だから、自分が失敗しないために、

すべての力を注がないといけなくて、

自分にとって一番大事なのは、

自分が失敗しないこと、

自分の存在価値を棄損しないことに

なってしまうのは当然なのだと。


だから、今、わたしがやるべきなのは、

人と調整を図る仕事について、

広い視野を身につけることではなく、

自分が妥協して周囲を優先することでもない。

自分に分不相応な仕事を引き受けない、

と決めることでもないし、

逆に引き受けてみようとチャレンジする

ことでもない。


自分の存在価値と自分の能力は関係がない。

自分の能力と、その時々の成功・失敗は

関係がない。


自分に能力があってもなくても、

ひとつひとつの仕事に成功しても失敗しても

自分の存在価値は上がったり毀損したりは

しないのだということを、

ちゃんと自分が納得すること。


それができて、やっとゼロ地点なんだと

思います。


自分のことを横に置いて、

周りを見渡せる人というのは、

年齢や立場に関わらず、

自分のコップに100%の水を

満たせている人なんだと思います。


自分のコップに穴が空いていて、

50%も満たせない状態で

水がザーザーとこぼれ落ちて

しまっている人に、

もっと他人のことを考えろ、

というほうが無理なことです。


まずやるべきことは、

コップの穴を塞ぐこと、

それだけなんだと思います。