いつもブログをご覧いただき感謝申し上げます。
メシヤの条件の9項目についてはこれまで書いてきました
アセンション:第3の人生Ⅱ
その資質を構成している姿とはどのようなものか?
岡田茂吉師は「私というもの」という論文で
「人を幸福にしなければ、自分は幸福になり得ない」
「人が苦しんでいればそれが自分に写り自分も苦しくなり
喜んでいる姿に自分も楽しくなる」
とご本人の性格面を書いておられるが
「地上天国とは、この私の心が共通し拡大される事と思っている」
これがメシヤとしての人間性を物語っているように思われ
同時に私の「なりたい自分像」の内の一つです。
最近、私の知人同士が結婚した。
男性は60代
20代の頃からの付き合いで仕事上の交流もある。
女性は50代
容姿端麗で人当たりも良く、魅力的な女性である
プライベートな部分ははぐらかされるので
最近までてっきり既婚者だと思っていた。
別の知人から二人の結婚を聞き
びっくりすると同時に
「今夜は一晩中泣くぞ!」と
ところがである
何故か嬉しさが込みあげワクワク感に包まれる
そして気づいた。「オレは変わったのだ」と
それまでの自分は、他人の幸せを妬むほどではなくても
聖人君主でもあるまいし
嬉しくてたまらないなどという気持ちは初めてで
だから最近の「鳥や虫の友情」という出来事で
何故ここまで彼らからの誠意を受け取ることが出来るのかと
最近の自分の周りに起きた事実についての理解が得られた
「オレ自身が変った」からこその証なのだと。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20231216/05/youga-718/2c/6d/j/o0768043215377480445.jpg?caw=800)
先日も庭木の手入れをし
南天の木の中に生えている笹を除去していると
ぐるりと10匹程の蜂に囲まれたものの
彼らはすぐに中に戻って行ったので
中に巣があるのでそれを壊すなという警告だろう
それでも笹は撤去しなければならないので続けると
更なる警告の意味か1匹の蜂が胸にとまる。
これはどうしたものかと仕方なくその場を離れ振り返ると
そこにはすでに3羽のスズメが来ていた
彼らの食事風景を観察はせず自分はティータイムに
両者の食事や休憩が終わり笹を撤去し作業は完了。
今年年頭のスズメバチの友情、庭木を通してのアリの友情と
今回は雀の友情を実感できたが
何故こういうことが起きるのかその時は分からなかった。
メシアを目指してⅢ:愛情と友情Ⅱ 結ばれた世界
しかしこの度の知人同士の結婚を通して
「人の喜びが我が喜びに」という友情の心は
「何かしてやりたい」という形に
岡田茂吉師の「私の心が共通し拡大した姿」として
私自身の資質の変化として実感出来た瞬間でした。
聖書では神はアダムに虫や動物たちを始めとし
「地球の管理を任せた」とある
岡田茂吉も「世界救世教教義」の中で
「一切万有は人間のために造られた」としている
管理する側が刺されたりするのは本当ではなく
7年前より蜂や蚊などに対し「刺すなよ」と
こちらの意思通りに従わせることが出来るようになった
24.自然と自分との関係
これはタテで命令の世界になります。
自分を主張するのは禽獣虫魚も人間も同じである
だが特定の人には危害は加えないとしても
それでは管理など出来ないことになる
蜂などが好きなところに巣をつくれば
私自身は刺されないが私以外には危害が及ぶ
そこに禽獣虫魚の友情を得ることができれば
タテの命令と、ヨコの友情が結ばれ管理が可能になる
それが可能になった自分の資質の変化が
「他人の喜びを我が喜びと出来る」という
心にも変化として表れた本年の総括になる
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20231216/05/youga-718/90/d5/j/o0600033815377479698.jpg?caw=800)
3~4か月は目を楽しませてくれる
外からの神の力と、内側の神の力を自覚する
では何故このようなことが可能となったのか
浄霊やヒーリングなどは、外からの働きかけにより
人が本来持っている内側の自然良能力を引き出し
浄化し治癒し健康体となるという図式になる。
岡田師は「浄霊は外からで、御神書読むと中心から浄まる」と
人は皆、魂という神の分霊を宿している
つまり内側に神の存在を自覚できる人がどれだけいるのか
その神の力を引き出せればあらゆることが出来る
私はそれを外からの浄霊によるのではなく
「想念」により引き出せた場面を自分史でまとめている
それを自覚し、創造することが人生の目的としている。
15年前に酒を止めたが
当時は週1で休肝日を設けるものの
次の日は朝から考えるのは酒のことばかり
仕事が終わればとりあえずツマミなどはどうでもいい
酒を飲める楽しさのことばかり考える生活だった
それがある日突然酒が欲しくなくなった
タバコにしても、欲しくなくなったから止めた。
何の苦労もなく出来たのは「自分が変った」からであり
ただ心からやめたいと思ったから。
12月は「春待ち月」
残りの期間の充実度を高め、来年はもっと内面からの引き出しの多い年にしたい
皆様もどうぞよいお年をお迎えください。
メシヤの条件の9項目についてはこれまで書いてきました
アセンション:第3の人生Ⅱ
その資質を構成している姿とはどのようなものか?
岡田茂吉師は「私というもの」という論文で
「人を幸福にしなければ、自分は幸福になり得ない」
「人が苦しんでいればそれが自分に写り自分も苦しくなり
喜んでいる姿に自分も楽しくなる」
とご本人の性格面を書いておられるが
「地上天国とは、この私の心が共通し拡大される事と思っている」
これがメシヤとしての人間性を物語っているように思われ
同時に私の「なりたい自分像」の内の一つです。
最近、私の知人同士が結婚した。
男性は60代
20代の頃からの付き合いで仕事上の交流もある。
女性は50代
容姿端麗で人当たりも良く、魅力的な女性である
プライベートな部分ははぐらかされるので
最近までてっきり既婚者だと思っていた。
別の知人から二人の結婚を聞き
びっくりすると同時に
「今夜は一晩中泣くぞ!」と
ところがである
何故か嬉しさが込みあげワクワク感に包まれる
そして気づいた。「オレは変わったのだ」と
それまでの自分は、他人の幸せを妬むほどではなくても
聖人君主でもあるまいし
嬉しくてたまらないなどという気持ちは初めてで
だから最近の「鳥や虫の友情」という出来事で
何故ここまで彼らからの誠意を受け取ることが出来るのかと
最近の自分の周りに起きた事実についての理解が得られた
「オレ自身が変った」からこその証なのだと。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20231216/05/youga-718/2c/6d/j/o0768043215377480445.jpg?caw=800)
先日も庭木の手入れをし
南天の木の中に生えている笹を除去していると
ぐるりと10匹程の蜂に囲まれたものの
彼らはすぐに中に戻って行ったので
中に巣があるのでそれを壊すなという警告だろう
それでも笹は撤去しなければならないので続けると
更なる警告の意味か1匹の蜂が胸にとまる。
これはどうしたものかと仕方なくその場を離れ振り返ると
そこにはすでに3羽のスズメが来ていた
彼らの食事風景を観察はせず自分はティータイムに
両者の食事や休憩が終わり笹を撤去し作業は完了。
今年年頭のスズメバチの友情、庭木を通してのアリの友情と
今回は雀の友情を実感できたが
何故こういうことが起きるのかその時は分からなかった。
メシアを目指してⅢ:愛情と友情Ⅱ 結ばれた世界
しかしこの度の知人同士の結婚を通して
「人の喜びが我が喜びに」という友情の心は
「何かしてやりたい」という形に
岡田茂吉師の「私の心が共通し拡大した姿」として
私自身の資質の変化として実感出来た瞬間でした。
聖書では神はアダムに虫や動物たちを始めとし
「地球の管理を任せた」とある
岡田茂吉も「世界救世教教義」の中で
「一切万有は人間のために造られた」としている
管理する側が刺されたりするのは本当ではなく
7年前より蜂や蚊などに対し「刺すなよ」と
こちらの意思通りに従わせることが出来るようになった
24.自然と自分との関係
これはタテで命令の世界になります。
自分を主張するのは禽獣虫魚も人間も同じである
だが特定の人には危害は加えないとしても
それでは管理など出来ないことになる
蜂などが好きなところに巣をつくれば
私自身は刺されないが私以外には危害が及ぶ
そこに禽獣虫魚の友情を得ることができれば
タテの命令と、ヨコの友情が結ばれ管理が可能になる
それが可能になった自分の資質の変化が
「他人の喜びを我が喜びと出来る」という
心にも変化として表れた本年の総括になる
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20231216/05/youga-718/90/d5/j/o0600033815377479698.jpg?caw=800)
3~4か月は目を楽しませてくれる
外からの神の力と、内側の神の力を自覚する
では何故このようなことが可能となったのか
浄霊やヒーリングなどは、外からの働きかけにより
人が本来持っている内側の自然良能力を引き出し
浄化し治癒し健康体となるという図式になる。
岡田師は「浄霊は外からで、御神書読むと中心から浄まる」と
人は皆、魂という神の分霊を宿している
つまり内側に神の存在を自覚できる人がどれだけいるのか
その神の力を引き出せればあらゆることが出来る
私はそれを外からの浄霊によるのではなく
「想念」により引き出せた場面を自分史でまとめている
それを自覚し、創造することが人生の目的としている。
15年前に酒を止めたが
当時は週1で休肝日を設けるものの
次の日は朝から考えるのは酒のことばかり
仕事が終わればとりあえずツマミなどはどうでもいい
酒を飲める楽しさのことばかり考える生活だった
それがある日突然酒が欲しくなくなった
タバコにしても、欲しくなくなったから止めた。
何の苦労もなく出来たのは「自分が変った」からであり
ただ心からやめたいと思ったから。
12月は「春待ち月」
残りの期間の充実度を高め、来年はもっと内面からの引き出しの多い年にしたい
皆様もどうぞよいお年をお迎えください。