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5次元6次元への歩みを興味のある方は事例としてご覧ください。
神の分霊としての魂は、「神はご自分がすべてのものと一体であることを認識する
ために別々にしたもの」という考えに基づいています。
6次元になると、人は神と一体なのだと理解できるが、一体であるということを
認識できるためには、別々の存在としての段階を経験しなければならなかった
ということが理解できます。
自立への一歩を
40年前、岡田茂吉教祖の教団が3つに分裂した。それは教祖の想いを理解できずに
自分の意見を主張している姿であり、家庭に置き換えてみても意見の違いで分裂が
起きても必ずもっと理想の家庭になるべく意図が在る筈だからそれを見極めたいと
いう想いから、どの教団とも交流をしていた。
しかしその態度が上層部の逆鱗に触れ教団から追い出されました。
そのころ友人が1級建築士に合格したとの報告に、「すごい、こいつ人知れず努力したんだな」と尊敬の想いと、自分もこの人たちと同じ目線に立ちたいという想いが湧いてきて、「こいつでも合格することを見せて、これが自分の次の課題だと示しているのかも」と自らも挑戦することを決意し、分裂しお互いを非難し合っている教団のことよりも勉強に意欲をもって没頭できました。
それが自分の生き方をどの派にも属さない「岡田茂吉教祖の全体としての願い」を
見極めたいという人生の歩みの始まりになる。
試験に合格すると、ある人の仲介で宗教の一つの派に復帰が決まるも、
気持ちは一つになれず4~5年休止の状態が続く。
その期間に自分は「頭痛と痔痛の浄化」が始まる。
自分は22歳の時に「青年の船」に参加するための検診で、肛門に指を突っ込まれたことが原因で、20代と30代は1年に3回ぐらい激痛に見舞われるという人生でした。
そして30代後半は頭にも激痛を感じるようになり、そのあまりの痛さに柱の角に頭をぶつけたくなるような状態に。
しかし浄霊の効果は薄く、自分のそれまでの浄霊観が新たな段階を迎えていることを感じていました。
お詫びから許しへ
自分の所属の派とは別の派の信者から「自分は経験はないけれど、そんな時は
お詫びをするといいらしいよ」と聞き、激痛が起きたときに浄霊よりも
「どうか自分の罪をお許しください」と祈ると、スーと痛みが引いて行くことを
何度も経験させられ30代後半を乗り越えることができました。
そして40代になると「頭にだけの自己浄霊で頭と痔の両方の痛みが軽減する」
ようになり、自己浄霊で効果を感得できることで30代後半の浄化を通して
脱皮できたことを覚ります。
そしてやがて下血という形で浄霊をしなくても解決するようになり、
自分自身の新たな段階を感じていました。
つまり「お詫びと自己浄霊が同格」になり、自分の浄霊には「許しの効力」が
ある。ではこれをどうすれば?などいろいろと想いが巡りました。
この時はまだ宗教に入っていたので、自分は「神からの許しの力」をいただけて
いるという想いでした。
それは17年後(57歳)には、自力で現実を変える力として
認識できるようになります。
具体的に許しの力とは、その後2~3回/年の間隔で痔からの下血が始まり50歳まで
続き、1回の量が150~200㏄ほどになり、出血後は痛みは無く、不快感のあった
後頭部、後頚部が楽になっています。
この時はお詫びも浄霊もしないのに下血という結果が出るのです。
※岡田茂吉師は、「頭部と排泄器官は天と地の関係であり、頭の毒血は
女性の場合は生理で、男性は痔出血となる」と言っている。
神に求める‥神と人は別々という認識
●第1段階:宗教の力に魅了される。そこに個人の幸せを願う
‥祈りと浄霊=ただ神の道具として‥
他人に浄霊をするときには「どうかこの人の罪が許されますように」
と祈りながら浄霊し改善していた。罪が許されるとは癒されることなんだと
浄霊に広がりや高まりではなく、癒しのみを求めていた。
●第2段階:神に対し自分の内面を見つめる・30代
‥お詫びとは何か?浄霊とは何か?を自分のものにする‥
頭痛と痔痛を通し、浄霊では効果は無く、お詫び(祈り)で結果が出る。
それは祈りと浄霊が別々であることを経験する。
別々から一体へ
●第3段階:お詫びと浄霊が結ばれ、許しの力を得たことを感得する・40代
‥宗教を通して私自身の完成に向かっており、魂の目的であることを理解する‥
祈りと浄霊の部屋どうしの空気が混じり合った「許しの部屋」に住むと
祈りと浄霊が一体であることを経験させられる。
それは庇護者から「卒業する」という意味であることを後で気づきました。
小学校を卒業しないと中学校へは進級できません。
守られている自分から自立に向けて
次はお詫びでも浄霊でも解決しない課題が‥魂は次の段階へと進みます。
次回へ
