年子母の気ままな日常 -51ページ目

生後3日目

9:30 母児同室になった。



ミルク飲むのがとっても下手。


オムツや服を交換するときに、必ず泣かれた。


夜中じゅう泣いてるよ~。

生後2日目

やっと睡眠が取れた。。


出産をしたにもかかわらず、2日以上、ぶっ続けで起きていたんだから、

疲労はピークだった。


ダンナが朝、仕事の準備に帰っていくときに見送ったけど、

そのあと、また寝たような気がする。



一人で起き上がれるようにはなったけど、

やっぱりまだ、歩くのはつらい。


産後、すたすたと歩いたり、すごく元気な人もいるらしいけど、

私は違った。

気持ちばかりは元気なのだけど。


重病人のように、ベッドから降りるのも一苦労。

っていうか、起き上がるのも一苦労。



一人の時間はつらかった。


でも、いちいち看護婦さんを呼んでお世話をしてもらうのも嫌だった。



私は、夕方からはダンナか家族がいてくれるからわりと楽だったけど、

一人で過ごす人もいるのだろう。

大変だ。。



産後の母親は、肉体的にも精神的にも限界!


産後何日かして、マタニティブルーがはじまる人もいるのだから、

病院では、こういう人の心のケアも必要なんじゃ・・・なんて思ったりもした。



この日も、ジュニ子とはガラス越し。


しかし、やっとこさ体も起こせるようになってきたので、

まめに足を運んだ。



相変わらず、ミルクを吐きこぼした跡が。


周りの子にはない。



授乳時間に合わせて訪れたときに、

看護婦さんが赤ちゃんに授乳する光景を眺めることができた。



みんな、ぐびぐび飲む!


ジュニ子も飲むのかなあ。。


隣の子も、一気に飲み干したよ。


さあジュニ子の番だ!



あれ?


飲まない。。


哺乳瓶を上手に吸えてない・・・。



っていうか、哺乳瓶の乳首、でかすぎない!?


新生児の口は本当に小さくて、

哺乳瓶の乳首をくわえるので精一杯!って感じ。

ジュニ子、疲れて寝ちゃった。。


看護婦さんも、他の子に授乳する合間に、何度も試してくれるんだけど、

ジュニ子は結局、哺乳瓶の中身の半分も飲めずに熟睡に突入。


看護婦さん、ジュニ子を起こして再チャレンジ!


失敗。



少しだけ、飲んだかな。



看護婦さんが、げっぷをさせている。


でも、うまく出ないみたい。



ミルクの時間は終わり、哺乳瓶は片付けられちゃった。



他の子は、満足そうにすやすや。


様子の違うジュニ子が心配で、顔をしばらく眺めてると、


びくん! と動いたかと思ったら、


みるくを「ダ~~・・・」っと吐いてしまった。



し、、、心配・・・。




でも、すぐに寝てしまった。。


息してるんだよね???


看護婦さん! ちゃんと見ててよ!?



なんか白目むいてるし~~!!


大丈夫なの!?


出産したての頃は、

すごく余裕な感じでお世話をする看護婦さんの姿を、

ハラハラしながら見ていた。

自分もいずれそうなるとは、想像もせずに(笑)



赤ちゃんはとても繊細に見えるけど、

案外たくましいことを、看護婦さんはちゃんと知っているわけ。

月の満ち欠けと出産の関連性

神秘的な話ですが、根拠があるわけじゃない話。


でも、確かにそういう実例は多い。



私がジュニ子を産んだ日は、新月。

予定日よりは一週間も前だった。



新月には女の子が多く産まれ、

満月には男の子が多く産まれるとか。



ある産婦人科では、新月と満月時に、

出産が一割ほど増すという現象があるとかないとか。

産後1日目

疲れきって、起き上がれないような状態。

一睡もできなかったし(泣)


疲れているのに眠れなかった。

出産直後は全身の細胞が活性化しているから、

興奮状態で眠れない人も多いんだという。


色んなところが痛くて起き上がれないので、

できることが少ない。


買ってきてもらった雑誌を読んだり、テレビを見たりしてみる。


家から「たまごくらぶ」を持ってきてもらい、熟読。

産むまでは、

「出産体験」のようなページを読むことが多かったのが、

(陣痛がどんなものか、とか)

もう産んでしまったので、

「初めての育児」的な、ノウハウページに釘付け。


出産直後に母児同室、という選択もあったのだが、

この知識のない状態、疲労の状態で無理をして、

育児が嫌になる事のほうが怖かったので、

せっかく産まれたジュニ子をほったらかしにして

とにかく、一夜漬けで知識を詰め込む、詰め込む。



一度だけ、かなり無理して

新生児室まで、ジュニ子を見に。



か、かわいい~~~~♪


でも、まだ実際のお世話をしていないから、

人の子を見るような、ふわふわとしたイメージしかない。


気を引き締めてこれからの勉強を、と思うんだけど、

実際にお世話をしてみないことには、実感なんて湧かないんだよね。



この時点では、わが子を

「かわいい」

とはもちろん思うけど、

「母性」

とかって、自分の中ではっきり形として、なかった気がする。


新生児室で、眠ってばかりのジュニ子。

もちろん、ミルクを飲んだりオムツを替えてもらったりしていたのだろうけど、

私が見に行ったときはずっと寝ていたし、

ダンナにも何度も様子を見に行かせたけど、そのたび寝ていた。。


ビデオも写真もたくさんとってもらって、

それを別室で見ていた私。。



一つだけ気になったのが、見る度に、吐いた跡があったこと。

赤ん坊が、すぐ吐く生き物だってことも、赤ちゃんを産んだ後に知った。


ジュニ子は茶色い液体を吐いていた。


後で聞いたら、それは羊水の中にいたころのもので、

出産直後には、そういうのを吐く子もたくさんいるようで、安心した。



でも、その後もジュニ子は吐きやすい子だった。


同じ日に産まれた子が、何人も並んでいたけど、

ジュニ子ほど吐いてた子はいなかったから、とても心配した。

ジュニ子誕生記録③

無事出産が終わり、

ジュニ子は新生児室へ、

私は病室への移動となった。


とりあえずゆっくり休める・・・と思ったのだけど、

ここからもけっこう大変だった。


まず、分娩台からおりられない。

車椅子に乗るために体を起こそうとしたら、

めまいでふらふら。

人生でこんなにひどいめまいは初めてだった。

貧血で倒れる人の間隔をはじめて知ることが出来た。

目の前が真っ白になって、

頭の血がざーっと移動する感覚があった。

手を借りて何とか移動し、ふらっふらのまま運ばれていった。


エレベーターの中でも頭がぐるぐるしていて、

「うわー、すごい、貧血だあ~」

とか、独り言のようにぶつぶつ言ってた気がする。


病室に着いた。

もう夜だったし、とても静かだった。夜の11時くらいだったと思う。


ベッドをセッティングしてもらって、移動。

これもけっこう大変だった。

恥骨が痛くて、自分の体を支えられない。

老人介護されてる気分だった。

自分の体が思い通りに動かない感覚って初めてだから、

やってもらう側もこんなに大変なんだって初めて知った。

出産直後にすたすた歩ける人とかって

かなりすごいんだっていうことがわかった。

てっきり私もそうなるんだと思ってたけど、

蓋を開けてみればぜんぜん違う。


それでも私は安産なんだろうなと勝手に思った。

(のちのち、このときの出産はけっこう大変だったんだと知るんだけど)


荷物も運び入れ、ようやく一息。

ダンナと二人きりになって、やっと終わったんだと安心した。


ゆっくりしてと言われたけど、何だかそわそわして落ち着かない。

体中の筋肉が、とても変な感じ。

全身がむずむずして眠るどころではなかった。

何がどう、って言うわけじゃないんだけど、

痛いようなかゆいような、すごく気持ちの悪い感覚に包まれてて、

とてもじゃないがゆっくり寝ていられるような状態ではなかった。

でも体は動かせないから、自分でもどうしていいかわからなかった。

もう寝なきゃいけない時間だとは思ったけど、どうしても眠れなくて、

テレビを見たり、ダンナに雑誌を買ってきてもらって読んだりした。


向きを変えたいときも、自分でなかなか向きを変えることも出来ず、

ダンナに手伝ってもらったりしてた。


ナースコールして、

何だかとても体が変なんです、と訴えたけど、

看護婦さんに笑われてとまどった。

どういう状態か聞かれて、

かゆいような痛いような、むずむずしてとにかく変なんだけど、

うまく言葉で表現できなかった。

「痛いってどこが?」

ってきかれて、

「そういわれると、別にどこが痛いってわけじゃないんだけど・・・」

みたいなことを言って笑われた。

みんな同じようなこと言うのかもしれないね。

「全身の細胞が活性化してるからね」

といわれて、とくに処置はなし。


とても眠るどころではなかったので、

寝るのは諦めてそのまま朝まで過ごした。

ダンナは、一仕事終えたという感じで、

部屋についている畳のスペースで高いびきだった。

(布団もあった)


それでも、トイレに行きたくなると、一人では行けないので、

ダンナを起こして手伝ってもらった。


私はとにかく恥骨が痛かったので、痛くて体を支えられない。

何かつかまるものはないかと探したところ、

ベッドの上で食事などが出来るように、

ローラーのついたテーブルがあったのだけど、

それがちょうどいい高さだったので、

それにひじを乗せ、出来るだけ腰や足に体重をかけないようにして、

テーブルごとそろそろと移動した。


トイレつきの部屋にしなかったのを、このとき後悔した。

二人目のときは、このときの反省を生かして、トイレつきの部屋にした。

(そうしたら、一人で全然トイレに行けるくらい消耗が少なかった)


ダンナはトイレにまでついていったほうがいいかと聞いたけど、

さすがにそれは出来ないので、

トイレの中ではがんばった。

一度トイレをするのにかなりの時間がかかった気がする。

その間、ダンナは入り口で待ってくれていた。

産後1日目は、ずっとそんな感じだった。


朝まで起きていても、全然眠くなかった。

結局その日はずっと起きていて、夜まで普通に過ごしていた。

貫徹したのは、ここ数年で、この日と、二人目を出産した日だけ。

疲れているはずなのに、眠いどころじゃなくなるんだよね。


食事も、ダンナに手伝ってもらって、横になりながら食べた。

ホント介護だよ~、と、自分が情けなかったけど、

体が動かないものは仕方がない。


悪露でシーツなども汚してしまった。


医者や看護師さんが定期的に出入りして、

薬を渡してくれたり、診察してくれたりする。

ダンナもそばにいるので、診察のときなどは微妙な気分だったけど。

だってパンツ下ろさなきゃならないんだもん。



ともあれ、やっと出産は終わって、

あとはゆっくり休んで、

ジュニ子と一緒に過ごすのを待つばかりとなったのでした。

ジュニ子誕生!

平成17年5月7日 20時前頃


ジュニ子誕生!!!



ジュニ子誕生記録②

実はこれを書いているのは2007年の2月。

第二子も生まれたというのに、今更の更新になります。



これは陣痛だ! と確信に近いものがあったので、

猛然と入院準備をし始めた。


準備といっても、産院に持っていくものはさすがにまとめてあったので、

しばらく部屋を留守にするということで、

部屋の片づけやら簡単な掃除、身支度などを始めた。


トイレに行くとおしるしがあったので、

これはいよいよ、と覚悟を決めた。


ダンナは普通どおりに起きてきた。

「はじまったかも・・・」

というと、産院についてきてくれることに。

とりあえず電話をしたあと、

ダンナに荷物を積み込んでもらい、ダンナの運転で産院へ。


もう通常の診察も始まっていたが、

陣痛が始まったことを告げてあったので、すぐに診察。

子宮口が3cm開いていたので、入院してくださいということに。

診察のあとに座っていた場所に出血があった。

おしるしのやつだ。


NSTの機械をつけられ、陣痛の間隔をはかる。

痛みはだんだん強くなっていた。生理痛の強いのくらい。

でも、間隔は10~15分。まだ安定していない。


LDRに移動。

なんだか朝だったので、のんびりして、

これからお産だという実感があまりなかった気がする。


この産院の方針はソフロロジーなので、

以前産院からもらった

ソフロロジーのイメージトレーニングに使うCDの音楽が、

淡々と流れていた。


ダンナもいよいよ、会社に休みの電話を入れ、立会い体勢。



ここからが長期戦だった。


痛みの間隔もまちまち、子宮口もなかなか開かない。

太りすぎたからかな、と少し反省。今更だけどね。


運動するといいときいていたので、

うろうろ廊下を歩いたり、階段の上り下りをしたり。


痛みが来ると立ち止まり、ダンナにつかまってひたすら耐える。


ダンナは、私の痛みがあるとき以外は

手持ち無沙汰気味に過ごしていた。

お互い初めてのことなので、どう過ごしていいかわからなかった。


昼ご飯も食べる余裕はまだあった。


トイレにも2~3回行き、お通じもあった。


痛みはかなりのものになっていたが、

なかなか赤ちゃんが下がってこないのだという。


痛みを逃すのはなかなか難しくて、

いろんな体勢を試してみたけど、これというものはなかった。

ベッドの上であぐらをかいたり、

食卓の椅子に抱きついて足を広げてみたり、

ただダンナの手につかまって立って耐えてみたり。

でも、比較的、立っていたほうが耐えやすかった気がする。


がんばって立ったり座ったりしていたが、

このあたりからちょっと疲れてきた。


うとうととベッドの上で横になってしまうと、とたんに陣痛が遠のく。

一度、20分も間隔があいてしまったことがあったので、

そのままなくなってしまうとまずい、ということで、

再び体を起こして活動。


この日は土曜日だったので、

父親が来たり弟が来たり。

夕方には仕事を終えた母が来た。

入れかわり立ちかわり。


人が来るとつらそうな表情は出せないので、

表面上はなんてことない風に過ごしていた。

痛みはかなり強くなっていた。


産まれたら連絡するということで、家族は一時帰宅。


何度も何度も診察されたけど、

お産はなかなか進まない。

診察のたびに子宮のあたりをぐ~っと押されて、

これがかなりつらかった。

陣痛に合わせて押される。

(痛みの最中でないと、どれくらい開いてるかわからないようなのだけど)

ときどき、会陰をのびやすくするためか、

ぐりぐりとこぶしで穴を広げられ、これまた激痛。


あまりにお産が進まないので、

「腹圧をかけてみましょう」

といわれた。


この時点で午後4時くらいだったと思う。


普通は、子宮口が全開するまでいきんじゃいけないんだけど、

この場合は、赤ちゃんが下りてくる手助けをするために、

お腹に圧力をかけろということらしい。


看護師さんの指示で、

あおむけになってお腹に力を入れる。

いきむってどういう感覚かがわからないので、

看護婦さんに言われるままに、

見よう見まねで力を入れてみる。

背中を丸めて、お尻の辺りに力を入れる。

これがなかなか難しかった。


何度も何度も力を入れた。


痛みもかなり強くなってきていて、

ダンナと会話をするような余裕はなくなっていた。


数え切れないくらい力を入れた頃。

子宮口は8cm開いているといわれた。

そして、力を入れたあと、
子宮から大量の水が流れる感覚があった。

「破水です」

看護師さんが、わらわらと忙しく動き始め、

ベッドは分娩台に早変わり。

産院で購入した防水シーツや脱脂綿を敷き、

ライトが取り付けられ、いろんな器具が運ばれてきた。

それまでの、穏やかな部屋の感じが一転、

手術室みたいになった。

足を乗せる台が登場したので足を乗せ、

足にはカバーがかけられて固定された。


いよいよ架橋だと思ったけど、

これからどれだけつらい思いしなきゃなんないのかと、

内心はびくびくだった。


助産師さんが出入りし始めて、

一人は私の前に、一人は私の横にスタンバイ。

(だった気がする)


雰囲気が一気に物々しくなったので、

私は何だか心細くなった。

隣にダンナはいてくれてるのだけど、

右腕に点滴の針を刺されたので、

そちらがわにいるダンナの手を強く握るのが怖くて、

(左にダンナがいればいいのに!)

ってずっと思ってた。

なのでここからはダンナの手を握れず、

左側にいる助産師さんの手を握っていきみ逃ししてた(笑)


この辺からは、もう記憶が曖昧。

いつのまにか外も暗くなっていて、まもなく夜というところだった。


陣痛は相変わらず不規則だった。

でも痛みはかなりマックスに近くなっていた。


視線をどこに固定していいかわからなかったので、

分娩監視装置をにらみつけて、

陣痛の波と赤ちゃんの心拍をずっと見ていた。

ときどき装置がずれるのか、

心拍がきこえなくなって装置が「ブッブー」っていうのがこわかった。

心拍止まったんだと思ったから。


いよいよ痛みが強くなってきて、

あとどれくらいですかって聞いたら、

1時間くらいかな、って言われて、

そんなにかかるの? とげんなりしたことを覚えている。


助産師さんのリードで、

何度かいきんでみた。


自然に来る「いきみ」のリズムはたぶんあったんだと思うんだけど、

初めてのことでどうしていいかわからない。


陣痛がきたらお尻のほうに力を入れて、と、

いろんなアドバイスをしてくれるのだけど、

なかなかコツがつかめず、そのとおりに出来ない。


なんかもう、指示とはむちゃくちゃに、

とにかく力を入れまくっていたら、

陣痛がないときにもいきんだりしてて、

痛くないときは休んで、って言われたけど、

陣痛の波もめちゃくちゃで、

もういつ痛いのか痛くないのかもわからないくらい、

とにかくずっと痛かった気がする。


部屋の隅のほうで、

赤ちゃんを取り上げるためにスタンバイしている院長が、

なんと居眠りしているのが目に入った。

しばらく出番がないとはいえのんきなもんだと、

とても面食らった。

まあ、私には初めての出産とはいえ、

院長にとっては何万もいた産婦の一人だもんなあ。


私には呼吸器をとりつけられた。

院長の

「吸引の準備して」

の声が聞こえた。

あれってなかなか赤ちゃんが出てこない人用の

ものだった気がするんだけど・・・。


数え切れないくらいいきんだと思うんだけど、

あとどれくらいで終わるのか見当もつかなかった。

自分で進み具合がわかればいいんだけど、

あと何分くらいなのかってこともわからないので、

苦しみが永遠に続くような気になってしまう。


額には玉の汗が浮かんでいて、

ライトの光と乾燥で、涙もボロボロ。


よく、いきんでいいって言われてからは、

いきみを逃すよりも楽だなんていうけど、

私にはその感覚は全然わからなかった。

陣痛が来ると腰が引けてしまって、上手に力を入れられない。

陣痛の強さも感覚もまちまち。


それでも何とかお産は進んだようで、

院長がやっと立ち上がった。


どの時点だったかわからないけど、

毛を剃られた気がする。

(分娩台になる前だった気もする)


切開するよ、との声もなく、院長が無言で何か処置している。

あとで、そこで会陰切開があったんだとわかった。

麻酔の痛みすら感じず、いつ切ったのかもわからなかった。


痛みがきているときの顔は、

すごい顔だったと思う。

痛くて「う~ん!!」って声も出てたので、

かなり苦しそうだっただろう。

実際、辛そうだったとダンナが言っていた。


ダンナはこのとき、私に呼吸を合わせていて、

過呼吸気味になってしまったという。

二人目からは呼吸は合わせないようにする、と反省していた。


ダンナが私の額の汗を拭いてくれる。


陣痛の痛みがすごかったので、

赤ちゃんが下りてくる感覚とかは全然わからなかった。

でもこの時点で、やっと赤ちゃんの頭も見えていたらしい。


切ったら早かった。


相変わらず指示通りにはなかなか出来なかったけど、

何度か渾身の力をこめて、

「もう出てきてるよ~」

の言葉が聞こえて、まもなくだということがわかった。


「次で出すよ~」

の言葉で、

とにかく自分が出したことないくらい力を振り絞っていきんだ。


何かがお腹の中からずるずるっと引き出される感覚があって、

中から赤ちゃんが登場した。


同時に、元気のいい赤ちゃんの声。


感無量。


第一声はなんて言ったか覚えていない。

なんか気のきいたことを言わなきゃと思ったけど、

特に何も思いつかず、見たままの感想を言った気がする。

赤ちゃんは赤黒くて小さくて、ブサイクだった(笑)

出された直後にお腹に乗せてもらうと、

当たり前だけど自分と同じ体温があり、温かかった。

それを感じたとたん、

「産んだんだなあ・・・」

と実感。


これからどんな生活が始まるんだろう、と、

いろんな考えをめぐらせた気がする。


ダンナが、

「がんばった」

とねぎらってくれた。


やっと終わった。



しばらくは放心状態で、

そばにいる赤ちゃんの存在も気にかけることが出来なかった。

この時間で、赤ちゃんは洗ってもらったり、

いろいろ計測してもらったりしていたと思うのだけど、

気付いたら、ほかほかになって、

真っ白の産着を着て、私の横にやってきた。


頭を腕に乗せてもらい、

寝たままの状態でしばらく抱っこした。


まだ目は見えていないし、

この世界に生れ落ちて少しの時間しかたっていないのに、

なぜか私の顔をじっと見て、

それまで泣いていたのに、とたんに泣き止んで静かになったのだ。

抱っこしている間中、目が合っていた。

絶対に私のことわかってるんだと思った。これは確信。


もちろん軽かったんだけど、

腕に乗せられている頭にはちゃんとずしっとした重さがあって、

「生きてるんだなあ」

って感動した。


そのあとは胎盤をとりだしたり、切開のキズの縫合があったりと、

出産が終わった直後なのに、

いろいろあとの処置が長かった。

でも出産に比べれば100倍楽。

縫合は全く痛みは感じなかった。


ひと段落すると、体が異常に疲れていることにやっと気付いた。

それまでは無我夢中だったからね。

感じたことのないような疲労感で、とにかく体の感覚が変だった。


この時点で、スタンバイしていた家族がぞろぞろと登場。

一人目ってみんな気が気じゃないのか、

家で待ってなかったらしい。

(二人目のときは夜だったこともあって、朝まで誰も来なかったし)


写真やらビデオやらいっぱいとって、

家族とダンナは盛り上がってたけど、

いったん赤ちゃんと離れてからは、

私はとにかくどっと疲れて、ぼーっとしてた気がする。


これを書いているのが2年後だから、

この辺の記憶はもうかなり曖昧。

経過観察の時間も、どうやって過ごしたのか覚えていない。


ときどきお腹を押されて、お腹の内容物を出されるのが痛かった。


ともあれ終わった・・・。

ジュニ子誕生記録①

平成17年5月7日


ジュニ子が誕生した。



5月6日は、なんてことのない一日だった。


産休生活に入り、毎日はゆっくり過ぎていき、

その日も、怠惰な一日が終わった。


今まで買った本などを読み返していることが多かった。

(今思えば、こういうときにブログでもしていればよかったと思った)


その日も、昼寝などしてしまったので、なかなか寝付かれず、

夜更かしをして本を読んでいた。


日付が変わり、午前2時頃まで起きていただろうか。


その日が、運命の我が子とのご対面になるとは思わず、

いつものようにベッドに入った。


それでも眠れないので、寝っ転がりながら本を読んでいると、

隣でもぞもぞし始めたダンナが、


「電気消してよ(ちょっと機嫌わる)」←まぶしくて眠れないらしい。

という。


怒。


ちょっとふてくされて、仕方ない、寝てしまおうと、私もベッドに入った。


なんだか寝付かれない。


トイレに、2、3回起きた。この頃では、珍しくないことだったけど。


なんだか、身体の様子も、ちょっと違った。

何が、といわれると困ってしまうけど。


我が子は、お腹の中で、暴れまわっていた。

(臨月になると胎動がおさまるというが、ジュニ子にいたっては、

結局産まれる直前までバタバタしていた)


午前5時頃から、違和感を感じ始めた。


何かが違う。

そんな感じで目が覚めた。



続く。

~今月の出来事~ 2004年10月

ダンナに妊娠を報告した。


ダンナは、私の浮かない顔を見て、

とまどいながらも「おめでとう」といった。

私はまた苦い顔をした。


月初めにはディズニーランドに行く予定を立てていたが、

私の体調があまりにも悪くて、

行く用意をすることすらできなかった。


結局、その休みを使って産院に行き、

妊娠が確定した。


「おめでとうございます」

また言われた。


産むか産まないかと聞かれて、

産まないという選択はないから、「はい」と答えた。


でも、このときで腹が据わったんだろうな。


この時期の前後、どんなことを考えていたかは覚えていないけど、

11月に入る頃には、

「できちゃいました」

って親しい会社の同僚には告白していた気がする。


28歳まで子供はいらないと宣言していた私に、

みんなびっくりして笑っていた。

~今月の出来事~ 2004年9月

ごく初期からの激しいつわりで、

自分の中で妊娠を確信していたものの、

まだ誰にも、ダンナにすらうちあけていなかった。


どうしてだろう。自分の中で葛藤があったんだろうな。

以前一つの命を犠牲にした。

子供はまだいらないと宣言もしていた。


結婚してたし、

もちろんいずれは子供も欲しかった。


おそろしく体調が悪い中で、

ひたすら仕事に没頭した。

ちょうど上半期決算で、目が回るほど忙しかった。


酒、煙草、仕事のストレス、

これだけ体をいじめても私の中で必死に生きていた命がいた。


この命を殺していたら、

今の私はいなかった。

本当によかった。