私の中の葛藤 10月20日のこと | お父ちゃんがんばれ!肺がんに負けない家族の闘病日記

お父ちゃんがんばれ!肺がんに負けない家族の闘病日記

2011年4月お父ちゃんが肺がん宣告されました。
かわいい娘のためにも、前向きにがんばる家族の日記です。

夜明け前からお父ちゃんにかかりっきりでした。


もしあの日自宅に連れ帰っていたとしたら、

私の気力体力は1日と持たなかったであろうことを痛感しました。

それにもう命はなかったかもな・・・と。


退院させる方も、受け入れる訪問看護師さんも、本人の希望だからと安易にそうさせない

さすがプロだと思いました。


この1年半ずっとお世話になった師長さんが病室に訪れ、お父ちゃんにやさしく話しかけてくれる。

そして私やひめのことも、ずいぶん心配してくれて。


たまたま個室が空いたので、月曜日の転院まで、2泊3日個室に移動させてもらうことになった。

その方が泊りでの付き添いもしやすいし、

周りの患者さんへの気兼ねもない。


何よりひめがそばにいやすいだろうという師長さんのはからい。


ちょっと移動をお願いして、やはりナースステーションに一番近い個室をあけてもらうことになった。


私の勝手な目標は、胚移植が可能になるであろう今月末まで、

なんとかお父ちゃんにがんばって欲しい・・・だったけど


今この姿を見て、あれだけ我慢強いお父ちゃんが「助けて」とまで言うのを見て、

あと1週間それに耐えてがんばれと言うのか!?

究極の自問自答だった。


すでに「がんばって」という言葉をかけることすらつらくなっていた。


でもお父ちゃんはがんばっていて、朝は野菜ジュースを少しずつ飲み、

昼はほんのひとくちほどの炊き込みご飯を数回に分けて食べた。

かなり久しぶりの固形の食べ物だったはず。

緩和がうまくいき始めた期待感もほんの少しだけあった。


昼過ぎ病室を移動する。

お父ちゃんが待ちわびているというのに、

お昼を食べてから来るといっていたひめがなかなか来なくて、

ついイラっとしてしまい「まだ?」と義理姉に電話してしまった。


ひめがようやく到着すると、ひめの顔が見えたときは、

ほんの一瞬お父ちゃんの表情は和らいだ。


夕方お父ちゃんは眠っていたので、付き添いを交代して、

ひめと私は自宅へ帰った。


夜、お父ちゃんの職場の先輩であり、ダイビング仲間であり、飲み友達の通称「元カノ」


たったひとり、がんであることも早くから告げ、自宅にいるときはよく一緒に飲んでいたAさんに電話する。


お父ちゃんは脳転移があってから、話すのも億劫で、

マスオ 「誰も来ないように言ってくれ」

と言ってたけど、

「もう誰かわかるのは最後かもしれないから、明日会いに来て欲しい」とお願いした。


生きていて欲しい。

楽にさせてあげたい。

「がんばって」なのか、「がんばらくていいよ」なのか、

かけたい言葉はどっちなんだろう。


付き添いでほとんど眠れず、体は重いのに、

急変の不安と自問自答が続くばかりでほとんど眠れなかった。