スナーク狩り (光文社文庫 み 13-9 光文社文庫プレミアム)
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ジェイソン・ステイサム主演の『ビー・キーパー』を見た。
…が、二週間前位で、もう殆ど覚えてない映画だった。
でも、あまり深いこと考えずに、お酒飲みながらつまみと一緒に、たまにスマホの返信もできてしまう程度の、こういう映画にもニーズがあるのだ。
ニコラスケイジ主演の『ドリーム・シナリオ』を見た。
「平凡な大学教授がなぜか大勢の人々の夢に現れたことから思わぬ事態に陥っていく姿を描いたスリラー映画。」とのことだが、まぁなかなか設定は面白いけど、どうオチに持っていくかが難しいなと思っていた。
(以下一部ネタバレ)
ニコラスケイジの特殊能力?をビジネス化、しかも夢の中に登場して商品広告をするというのは、同じ広告業界として恐ろしく感じた。ジム・キャリーのトルゥーマンショーよりも広告の受信者に拒否権がないというのが恐ろしい。
しかも開発したのが韓国のベンチャーというのがこれまたそれっぽく感じた。
ただ、これが違う俳優だとここまで惹かれなかった気もして、役所広司と言いニコラスケイジといい、良い年の取り方をしてるなぁと羨ましく思う。
前回のハードなゲイ映画に続きアロン・ギロディ監督の『ノーバディーズ・ヒーロー』を見た。
『現代フランスを代表する異才、アラン・ギロディ監督の長編3作品が《日本劇場初公開》決定!!(略)セクシュアリティやマイノリティに対する偏見や先入観をいなし、サスペンスにユーモアを織り交ぜながら、人間の根底にある欲望と人間愛という大きなテーマを、意表を突くストーリー展開で描くのが特徴的だ。』
…という記事が発端で、前作についての感想はこちらに書いた通り。
そして今回の『ノーバディーズ・ヒーロー』も、とても面白かった。
「旦那が嫉妬深い娼婦」という謎めいた設定から、また破廉恥な方向に進むかと思いきや、テロ事件やアラブ系の青年が絡んでくる展開で、予想以上に複雑。前作とは異なり場面転換も多く、気がつけば100分間を飽きることなく楽しめた。
この映画を見るだけでも、フランスでは日本よりはるかにアラブ系との接触が多いことが分かる。
ちょっと日本だと弄ってはいけないような表現があるのも、むしろ距離感の違いの現れだと感じた。
性に対してのオープンなところも、冒頭の10分位で文化の違いを学べる。
そして、まだアロン・ギロディ監督の作品を二本しか見ていないが、共通して感じた部分があった。
それは、登場人物が仮に言い寄られた場面で、「意外とそこは断るのね」という感想だ。
湖の見知らぬ男の場合は、最終的には性的には受け入れたものの、ゲイの中での好みはハキリしてるんだなぁと思ったし、本作でも主人公は年増の娼婦には恋をするけど、年齢の近い、言い寄って来る取引先は拒否し続けた。
こうした人間臭さや“選択”の描き方が、作品をより興味深くしているように思う。
こちらの映画は、大学生の皆さんにもお薦めしたい。
『現代フランスを代表する異才、アラン・ギロディ監督の長編3作品が《日本劇場初公開》決定!!
(略)セクシュアリティやマイノリティに対する偏見や先入観をいなし、サスペンスにユーモアを織り交ぜながら、人間の根底にある欲望と人間愛という大きなテーマを、意表を突くストーリー展開で描くのが特徴的だ。』
…という記事がネットで流れてきて、なんかとっても面白そうやん、と思って見に行った。
まず、予習が足らなかったのは認める。
しかし、
『ある夏の湖畔。若い青年フランクは魅力的なミシェルと出会い恋に落ちる。ある夕方、フランクは湖で喧嘩する2人を目撃する。その数日後、ミシェルの恋人だった男性が溺死体で発見された。フランクはミシェルが犯人ではないかと疑いながらも、自らの欲望に身を任せてゆく—』
これだけだと、ミッシェルはカタカナだと女性でも男性でもあり得るようだし、女性が1人も出てこないゲイの映画だとは思わなかった。
そして、今や令和だ。LGBTQだ。
ゲイについてどうこう言うつもりはない。
・・ただ、予習の足らない私には、男性器が最初から最後まであんなむき出しで出る映画は見たことがなく、激しい性描写も何のモザイクもないので、芸術だからなのか、表現の自由なのか、フランスの作品だから自由なのかしら…とか、勝手ながらカップルで見に来た若者気まずくないかな…とかいろいろ考えてしまった。
結果、魅せる力のある監督であることは間違えないと思う。
ただ、他の作品を続けて見ようとまでは、まだなっていない。
ちなみに私は自宅に帰っても食欲がわかないほど、性表現に多少気分が悪くなり、『フォールガイ』をアマプラで見てから食事をした。
久々に宮部みゆき氏の小説を読んだ。
実は本作のことを知らなくて、本屋で他の本と一緒に最近の本だと思って購入した。
読み進めて行ったら、スマホが出てこないので、巻末を見ると1992年とある。
確かにスマホの有無であらゆる小説の前提や進行やトリックやオチが変わると思うが、本書はたった一晩の話を突き進んでいって、余計なことを考えさせなくてさすがだった。
しかし、これまで宮部氏の小説をどれだけ読んだが分からないが、ホントに読み疲れしないし、退屈しないし、すごい文章力だと思う。
本書の解説に訳書のような文体にしたと書いてあったが、文体まで意識して変えている技術。
そろそろ国からいろいろ名誉ある賞をもらいまくって良い方だと思う。
トヨタのことを書いたと分かって、とても面白かった前作2作に続く3作目の
を読んだ。
前作が売れたから、あまり取材に時間も掛けずに出したという印象があって、今調べてみたら、2年おきにこのシリーズを出しているようだ。
ただ、今回はさすがに旬なトヨタネタが切れたのか、ニデック(旧日本電産)の永守会長と思われるモデルが出てきて、空想とか妄想に近い内容で、もっとも堂々とフィクションと言えるまさに「小説」であった。
前回は、1作目を超えるネタはないだろうと思っていたが、今のトランプ大統領とイーロン・マスクの昵懇の仲を予告しているかのような、電気対水素のグローバルな切り口が面白かった。
しかし、今回は別にネタがなくなって、誰もが知っているようなニデックの都市伝説がメインになっており、トヨタの方は、終始下世話な内容になっていて、期待外れであった。
ただ、このシリーズは日本を代表する企業を題材にした小説なので、就活をする学生には、メディアと企業の関係性みたいなものも理解してもらえそうで、お薦めできる小説だ。
「日本一の大どんでん返し(…と言いたい)」という帯と、本の物理的な薄さで、簡単に読めそうだと思って、
を読んだ。
覆面作家という宿野かほる氏の年齢性別不明な感じが、バブル世代の初老おじさんとおばさんのFacebookを通じたやりとりを色々と想像させる。
少ない登場人物ながら、それぞれの背景に色々と訳があって、よくも悪くも人に話したくなるので、クチコミで話題になったと言うのも頷ける。
・・・が、どうにも品がないのが私には、どうにも合わなかった。
大学生の皆さんにも、親世代の過去を振り返るやりとりなんて気持ち悪いだろうし、薦めて良いにかも迷う。
ただ、こうして私が買って読んだわけだし、宿野氏の戦略は当たったと言えると思う。
話題になっている青崎 有吾氏の『地雷グリコ』を読んだ。
そもそもタイトルもキャッチーだし、内容をよく表していると思う。
登場人物の名前も特徴的で、アニメでも見ているような感覚になった。
一つ一つのゲームのルールを理解しなくてはならないのが、途中億劫に感じそうになる部分はあったものの、
果たして自分なら、どうこの謎を解くのだろうと考える面白さと、
最後はゲームを解くよりルールの抜け穴を見つけ出す面白さを描いているので、きちんとルールを納得しないといけないと思った。
ヒロインやそのライバルや友人など、女性の活躍が目立つ小説ではあるが、カギとなるそれぞれのゲームの設定や、説明をきちんとできる男性陣の役割も非常に大事なんだと思った。
40代50代の友人達に薦めようとは思わないけど、大学生の皆さんにはお薦めできる小説です。
筒井康隆氏が原作の映画『敵』を見た。
誰かの文章で、筒井康隆氏の小説の発想が凄すぎて文筆業を諦めた、みたいなのを読んだことがあるが、いずれ読破しなければならない作家だ。
アニメ映画になった『パプリカ』も、もう一度見たいほど面白かった。
映画の方も長塚京三氏を筆頭に、なかなか好評のようで、私もそれなりに楽しめた。
やはり役所広司氏の『パーフェクトデイズ』と比較しない訳には行かないが、
本作『敵』は、松重豊氏の『孤独のグルメ』とも比較しない訳には行かないほど、孤独な料理シーンが印象的だった。
とても美味しそうだし、ある意味たまの来客がひきたつほど、真の孤独のグルメだった。
就活が頭でいっぱいの大学生の皆さんが、終活や老いをテーマにしたこの作品をどれだけ楽しめるかは疑問だが、私も絶賛するまでにはいかず、ひとまずまだ読んでいない文庫を買ってみた。
正月にドキュメンタリー映画『どうすればよかったか』を観た。
正月に観るには少し重いテーマだと思ったが、劇場はほぼ満席だった。
この作品は、統合失調症の姉をもつ監督が、20年にわたって撮り続けたドキュメンタリーだ。
驚いたのは、精神の病に対する薬が、あんなにも分かりやすく効果を発揮するのか!という点だった。
あの効果を見ると、「最初から病院に行かせていればよかったじゃないか」と思ってしまう。
しかし、そう簡単にいかない事情があったからこそ、この映画は『どうすればよかったか』というタイトルなのだろう。
家庭の事情は、それぞれ異なる。
ただ、この映画を通じて、治療によってお姉さんが変化していく様子を、私たちは目の当たりにした。
そのおかげで、同じような被害者(私は、あえて“被害者”と言っていいと思う)がこれ以上出ないよう、抑止力の一翼を担えている気がする。