打ち上げられた船たち。


キレイに片付けられた畑にも船だけ残ったままになってたり。
なんで船が片付かないのかというと、役所同士の利権争いがあって、船片付けるのも一苦労らしい。
う~ん。何なのよ。それは。

二日目は、朝から一時間、地元の復興推進課の方から、震災復興計画をお聞きする。
津波被害にあったところは、基本的には住居を移転して、防波堤と防潮林を。さらに産業誘致ゾーンを作って企業誘致。
鳥の海と呼ばれる眺めのよい場所には、観光スポーツエリアとして、公園作って、住民の憩いの場に。

津波に強い町にするために、多重化構造にして、住居エリアまでは、津波が来ない工夫をするんだとか。

亘理町と隣町の山元町は、東北一の苺の名産地。今回の震災で苺畑の9割が壊滅状態に。
復興プランでは、苺再生のため盛り土をして、高台に苺畑を再生するんだそうです。
苺農家を続けたい人3割、辞めたい人3割、迷ってる人3割。
最近は前向きな意見が増えてきたとのこと。

住居が困っているのは、やはりお金と働く場所のこと。
家が津波被害にあった人は、町が用意した住居を借りて住むことができるらしいけど、前の家のローンも払って、新しい借家の家賃も払って、結局、お金が二重にかかるって。新しく家を建てる場合も同じく二重ローンに。

こりゃやってらんないよ。

義援金はさ、こういう人達のために集まったんじゃないの?
何で被災者が更にお金に苦しむことになっちゃうのか。
何かいい方法はないのかな?
疑問が頭を巡ります。

最後に、復興推進課のなんぶさんが言いました。
「とにかく動くことが、復興につながる。誰かが動いているのを見て、他の人が前向きな気持ちになっていく。震災に強い町を作っても、人がいなくなったら意味がない。【人】が基本。人が前向きになるようなことをやっていきたい」

さすが。

なんぶさんは一人でこの復興推進プランを作って、100人規模の会議を何度も開いて、町をいい方向に進めようとしている。まさに【動く人】
バスを降りて海岸を目指す。
潮の香り。陽射しも柔らかい。




飛び込んできたのは、倒壊したお墓たち。おじいさんが、お墓にしゃがみこんで砂を掻き出している。ただただ衝撃。「言葉を失う」ってこういうことを言うんだな。
お墓の中にはキレイに片付いて花を飾ってあるものもポツリポツリとみえます。
大きなカラスが此処の主のように雄々しくそびえてる。
お墓の風景だけでも色んな家族の色んなドラマを想像してしまう。
おじいさん、八ヶ月経って、ここにやっと来れたのかな?





少し進んで小学校へ。津波は二階の天井部分まで来たらしい。
確かに倒壊してるんだけど、中はきちんと片付いて、雑巾もちゃんとかけてある。



ここまで来ると、家の基礎だけ残ってる様子がよくわかる。



ベロンとめくれた木





防波堤がガッツリ折れて、随分遠くに転がってる。



此処にも瓦礫。







何もなくなった海岸を歩いて、柔らかい陽射しと心地よい風を受けていたら、
この町、すんごいいい町だったんだろうな。と心から思った。
ここに住んでた人、毎日この風に吹かれていたんだなぁって。

確かにさ、今は何も無いんだけど、
土壌もメチャメチャなんだけど、
何だかこういう風が吹いていて、お日様が見守ってくれてるこの町はきっと大丈夫。
そう思える風景なんだよね。
今見ておきたい、感じておきたい。ただそれだけ。
行く前は、なんだかワクワクしてる自分に気づいて、いやはや不謹慎かなぁと思ったり。
そんなこんなで参加した震災ボランティア。
久々に訪れた仙台は以前と変わらない賑わい


バスで、山元町から亘理町を廻ります。左を向けば、普通の住宅街、右を向けば、倒壊した家屋の残骸がある。



しばらく進むとゴミ山が続く





このゴミ、片付けるのにどんだけかかるのか。ここの人たちだけに押し付けたらいけないよね。





ゴミ山の次には、荒涼とした風景が飛び込む。瓦礫は撤去され、ヘドロもなくなったけど、塩害という塩味のついた大地。ここは元は苺の名産地で、苺畑と住宅街が広がっていたんだそう。
塩気が強すぎる大地では、生き残った草木も、根が腐ってしまうものが多いんだとか。

何もなくなっただけじゃない。 塩害やらヘドロやら欲しくないオマケまで付いてきちゃったんだね。