昨日は仕事を終えて夜になると
自分でもびっくりの疲れが出ました。
明日の朝は起きないので、
子ども達のごはんをよろしく!
と、飲み会中の夫にLINEしたの
でした、笑。
世間の常識にはあてはまらない
そういうことを最近では普通に
しちゃうようになり、
補ってくれる夫には感謝です。笑
無理してるのに幸せでいること
って、本当にはないと思うんです。
努力は裏切らないと言うけれど
それはクリエイティブな作業の
ときのみかと。
つまりより自分を表現するために
する努力というか。
結局それは喜びの過程でしかなく。
でも、自分を誰かがつくった型に
はめ込むための努力は無意味です。
まったくする必要なないと思う。
って、やっと気付いたばかり、笑。
ひずみが出て、しんどくなって
それでも辛いとなかなか言えなくて。。
そんな人生を長く長く送ってきた
私だから、
まだまだ無理する癖は身体に
染み付いています。
もうね習慣というか、もはや反射
みたいな感じで我慢する癖。
だから声に出して言うことが
今はリハビリになっています。
わたしはこうしたい。
わたしはそれは嫌だよ。
わたしはこう思う。
そうやって声に出して自分にも
聴かせてあげています。
もともと意志がすごく強くて
意見も確固たるものがある性格。
学校では友達の前では出して
いたと思う。
いつからか本心を心の核心を
見せることができなくなり、
自分の存在感を薄めたくて仕方
なくなり。。
どうしてそうなったのかは
今になってよくわかります。
怖かったから。
本当の自分がそれ以上傷つく
のが恐ろしかったんだなぁと。
目立たなければ、ひとに影響
を与えなければ
自分の心にも土足で入って
こられることはないだろう、と。
でも、だめですね。
自分の存在感を消すってすごく
不自然なことなんで無理が
たたったんですね。
だから、背中を押されて
飛び出すような経験が何度も
訪れたわけです。
本当は自分でもずっと気付いて
いて、認めてもいて、
でも傷つくのが怖くて表舞台に
出るのが嫌だっただけ。
そして今やっと思うんです。
わたしはわたしのままで輝いて
みよう、と。
陰と陽が同じくらいに合わさって
いまの私があります。
その感覚がここ数日でどんどん
強くなっています。
闇は光を指し示す。
光は闇を照らしだす。
すべてを含みながら光であり闇
であるいのちを生きる。
光だけでいたいというのは
怖れでしかなかったと気付けば
あとはもう全部大丈夫。
願うってことや信じるってこと
さえ存在しないくらいに、
ただただ大丈夫。
それが怖れだって知ることで
怖れがあることも大丈夫になるから。
さあさ、わたしを生きよう。