昨日から娘さん咳とお熱です。

 

あまり熱を出したことが

なく、いつも元気な娘。

 

タイに来て咳が止まらず

ハウスダストのアレルギー

だと発覚して、

 

さらに喘息一歩手前と

言われましたが。。

 

咳は、上二人のお兄達も

気管支が敏感で、吸入の

お世話になっていたし、

全く一緒なので、

成長とともに落ち着く

かなと思っています。

 

お熱にも強い強い。

 

39度近くても踊っている、笑。

 

そうそう、私が止めないと

お熱でも踊り出してしまう

くらい、今彼女の中で

大流行りのダンスは、、

サンバです、笑。

 

しかもツボを押さえてて

すごく上手なんです〜。

 

ここに動画を貼りたいくらい、笑。

 

治ったら、たっぷり踊って

もらいたいです、笑。

 

 

娘がね、可愛くて可愛くて。

 

彼女が生まれてから

毎日、毎瞬ごとに、

見とれては、驚くんです。

 

なんて可愛いんだろうって。。笑。

 

愛らしいというよりは

存在そのものが、

なんだろ、、奇跡みたいに

思えるんです。

 

理由のない愛おしさ。

 

 

だからと言って、

娘に特に手をかけているかと

いうと、手をかけ気にかけ

ている順位は3位です、笑。

 

もちろん、イラっともするし

怒りもするし、全然相手に

できない時もありますし。

 

なんでなのか、

少なくとも2人でいる間は、

彼女を育てている感覚が

ほとんどないかもしれません。

 

親だからどうこうという

感覚が湧いてこない。

 

できないことを手伝ったり

わからないことを教えたり

はするけれど、

 

ただ可愛い子がうちに

来てくれて、

今日も一緒にいてくれて

ありがとう!

という気持ちで毎日

過ごしているような感じ。

 

今までとは違う、これって、

なんなんでしょうかね??

 

3番目だから?

 

女の子だから?

 

私が四十になったから。。?

 

まぁ、そんな色々含めて多分、

私が変わったのでしょうね。

 

いつだって、それしか

理由はないのですからね。

 

生きている間に

いつもいつも、新しい贈り物を

もらい続けています。

 

これからもどんなことが

起こって、私は何をもらい、

どう変わっていくのか。。

 

なんだか楽しみな今日この頃。

 

一つのプレゼントである

私の体調の変化も

落ち着いて来ました。

 

疲れたら休む。

 

無意識の無理に

気付きやすくなって、

自分との対話の深まりを

感じています。

 

すでに変化が大きく起こって

いるようです。

 

 

 

 

先週から引き続き予定が

ビッシリだった今週。

 

外に出るのがまだしんどいので、

無理せず予定を全てキャンセル

させてもらい、休養することに。

 

今日も一日、疲れたら横になって

お昼寝したり、本を読んだり。

 

夜になって少し食欲が出てきて

気分も楽になってきました。

 

寝ながらぼーっと考えていました。

 

私、今までどれくらいの無理を

自分にさせてきたのかなぁ。。?と。

 

 

家族や友人は知っての通り、

小さい頃から本当に体が弱くて

学校は休みがちで、

 

元気でいても、何をするにも、

すぐに疲れてしまうのが

いつもの私でした。

 

 

その陰にあったのは、

口には出さなかった沢山の

身体=心の不調和でした。

 

睡眠が不安定で、

朝まで意識があることも多く、

病院に行けば睡眠障害と

診断されるのかもしれません。

 

子供の頃は、

眠ろうとしても眠れないので、

夜中まで本を読んだりして、

でもあまりの眠れなさに

発狂しそうになったことも

ありました。。苦笑。

 

いつからか、無理して

眠ろうとするのをやめた

のでそれ自体はもう

辛くはありません。

朝がすごくだるいのは

なくなりませんが。。

 

貧血もいつものことなので

階段で息切れしないことの

方が珍しい感じでした。

 

そんな身体で生きていて、

心の敏感さも同時に抱えて

社会では生き辛く、

 

小学生時代から始まった

様々な自律神経の症状や

パニック発作や過呼吸や

ノイローゼなんかに

なりながら、、

 

それでも、学校に行って

受験し大学に進学し、

結婚、子どもを3人授かり、

10年間は介護で寝れない毎日

を過ごしてきて。

 

無理していない時間は

もしかしてほとんどなかった

のではないだろうか?

 

何が私を支えてきたのだろう。。?

とふと思いました。

 

 

こういう告白をすると

昔からの友人は驚くかも

しれません。

もしかして家族も。

 

そんなに辛そうに見えなかった。

いつも笑って優しかった、と

言ってくれるかもしれません。

(誰も言わないかも??笑)

 

 

 

私はいつも心の中で

「sos」を発していました。

 

言えなかったたくさんの

本当の言葉。

 

自分でいてもいい、と

思うことができない苦しさ

と戦っていたのだと思います。

 

最近になってようやく

光を当ててあげることが

できました。

 

 

「本当のこと」は、

いつか聞いてあげなければ、

この身体を離れるまでは、

心から癒され安心しきる

ことがないのだと思います。

 

そしてそれは自分でしか

できません。

 

だから人は、自身の病気や、

死別や様々な苦難に

ぶち当たり、

本当のことを見るチャンスを

もらっているのだと感じます。

 

むしろ、それは、苦しみを

見ないふりするのは良くない

とか、そういう意味を超えて、

 

「この自分の本当のこと」

を一番いいタイミングで

知ることが目的で、

この人生の計画を立てて

生まれたのだと、

私は感じています。

 

優大とも約束して生まれて

きたのだなと思うのです。

 

 

人生の前半。

 

私は自分が生きやすくなる

方法を知りませんでした。

無理をするのが普通でした。

こんな弱い自分が嫌いで、

それでも、

自分の身を削っても守りたい

ものがあって。

自分のために生きるという

意味さえわかりませんでした。

 

今迎えた人生の後半。

 

私は、

自分以外のために生きること

ができないことをようやく

深く深く知りました。

そして自分のために生きる時

それが同時につながっている

全ての命のためでもあること

を理解しました。

 

それならば、私が今から

どんどん自分を好きになり、

自分の心で生きて、

無理をせずにも生きていいと

知っていくことは

まず与えられている大きな

経験なのかもしれません。

 

自分でいようとする私を

責めるのはいつも自分でした。

 

だから、今、ただ、ただ、

この今のそのままの私を

見てあげる時間を、

もらっているのだなと

感じています。

 

 

死ぬ間際に本当の自分に

癒しや許しを贈れる人は

とても多いと思います。

 

きっと私はそれよりも少し

早く知りたかったんだと

思うのです。

 

そしてこの人生の後半を

体験して見たかったのだと。

 

 

先日大切な友人と話していて

何のために生まれたか

覚えているの?と聞かれて

私はこう答えていました。

 

「多分、、この世界は

すべて愛でできているって

ことを体験するため。」

 

自分で言いながらとても

不思議な気持ちでした。。

 

 

 

すごく長くなりました。

 

最後まで読んでくださって

ありがとうございます♡

 

 

 

あなたの計画はどんなもの

だと思いますか?

 

 

 

 

この週未はいかが

お過ごしでしたか?

 

私は、まだ体調が

低空飛行なので、

 

横になっている日も多く

 

薬のせいで胃が荒れて

いまして、食事も少し

しか食べられず。

 

それで、気づくと

どよ〜んとなって

いるのですが、笑。

 

からだの声を聴く

よいチャンスだなぁと

感じています。

 

 

私は小さい頃から

からだ=こころ

があまりにも繊細なため、

その感覚をわざと鈍らせたり

することが多かったのです。

 

そうでないと感じすぎて

苦しいから。

 

人酔いもすぐにするし、

 

時々ひどい潔癖症になる

こともあるし、

 

人の匂いが嗅げない

こともよくあって、、

息を止めて歩いていたり、笑。

 

でも、今思うに、

ただ感じてあげれば、

それでよかったのですね。

 

その繊細さ、過敏さを

自分で責めてしまうから

苦しかっただけでした。

 

 

そういうところも

私の大切な一部であり、

むしろツールなのだなぁ

と数年前からやっと

思えるようになって、

 

それでも時々苦しくて

からだにいることが

嫌になったりもして

いました。

 

 

そんな私が、今改めて

からだ=こころ

に向き合いながら

愛を向けることが

できることに感謝です。

 

いつも無理していると、

当然人にも心から優しく

接することができない。

 

こんなことくらいできる

はず、、のことも

実際は無理しているから、

しんどくて余裕がない。

 

これは子供を見るときに

鏡になっていて、

 

こんなことはできるはず、

の目線で子供に当たって

しまう。

 

今の目の前の子どもを

見ようとしていない。

 

 

じゃあ少しも無理しないで

お母さんできるのか?!

と問われると、う〜ん、

となってしまうけれど、

今はやはり

「できる」と答えます。

 

自分だけのお母さんなら

できる、と。

 

誰かの作ったお母さん像

ではなくて、

目指したいどこかのお母さん

でもなくて、

 

常識的ではないし

いいお母さんではない

かもしれない。

 

それでも、自分以外の

お母さんになろうとしなければ

いつだって無理はやめられる。

 

そして自分に無理をして

いない時には、

子どもに優しい声で話すし

イライラもぐんと減る。

 

なんてシンプルなんでしょう。

 

今は私は主に母業がメイン

ですが、

これってすべての生き方に

きっと当てはまるのだと

思います。

 

自分でいるだけでいいと

そのまま受け入れる覚悟

さえできれば、

人生は限りなく自由です。

 

私はただいま練習中〜。

 

随分楽になったけれど、

もっと楽しく生きたいから。

 

子どもと笑って生きたいから。

 

 

さ、月曜日、張り切らずに、笑

ぼちぼち生きましょう〜♪

 

 

 

 

 

 

 

 

ありのままの自分でいる

 

それを頭で考え出すと

難しいこともあります。

 

 

先日、ヨガをしていて

ふと思ったことがあって。

 

「からだはいつもありのまま。」

 

自然が人の働きとは関係なく

いつでもそこにそのままに

あるように、

 

からだもまた、

人知を超えた働きで、

細胞の一つ一つが調和し、

生命を作り出し続けています。

 

リズムを持って

拍動し呼吸し

 

破壊と再生を循環しながら

季節を巡り、

やがて役割を終える。

 

自然だと感じませんか?

 

 

私たちは「からだ」という自然

に宿った命としてここにいる。

 

 

ヨガを始めたり人の命に

ついてよく感じるように

なってから、

 

心と身体は100%で繋がって

いるのだなと感じています。

 

心のありのままが難しい

と感じる時には

 

身体のありのままを見て

あげるのが楽な時もある。

 

自分が自分の器をどう

思っているのか

どう扱っているのか?

 

頭に合わせてひたすらに

コントロールしようと

いていないか?

 

訴えに耳を貸しているか?

 

心地よくいられるよう

労っているか?

 

鞭打って働かせ続けては

いないか?

 

 

自分の器が好きか?

 

 

大切なパートナーとして

愛し感謝しているか?

 

 

 

こうやって、自分の器で

ある身体に問いかけて

みると、

 

自分でも気づいていなかった

思いグセ、固定観念、

生きづらさ、

制限の与えかた、

 

何となくわかりやすい

気がするのです。

 

 

 

実は。。私、先週の週末に

また倒れました。。苦笑。

 

何だか、、

 

もう逃げられない。

自分の「身体=心」からは

逃げられない。

 

そんなことを強く強く

感じたのでした。

 

心の声のままに生きる

という沸々と沸き続ける

思い、

 

それとは裏腹に

今までの生き方通りに

環境に合わせて

動いてしまうことに

 

身体は猛烈に反発している。

 

無理しているつもりはない、

いつも通りに動いただけ

 

の私に、

 

 

「人ができることでも

あなたにできないことがある。」

 

 

と、身体=心さんからの

メッセージでした。。笑

 

そしてこの声を聞き続けて

あげるには

丁寧に自分に向き合い

続けること、

 

今この瞬間に感じて選んで

あげることしかなくて。

 

私たちは自然だから、

ルールやルーティンで生きる

ことはできないのかも

しれない。

 

いつもありのままな身体。

 

生まれる前から選んだ身体。

 

ずっと病弱で少し歪んでいる身体。

鏡に映る姿も美しくはないけれど

最近はそんな私が好きです。

 

そして感謝、感謝の日々です。

 

 

 

 

自分の心に素直に生きようと
思うようになり、
 
何かの節目ごとに
 
自分の好きな人生、
理想的な人生を、
 
書きだしたり
思い描いたりしています。
 
 
5年くらい前には、
 
自分のいいところはもちろん
自分の好きなことを
なかなか思い出すことが
できませんでした。
 
昔から比較的、許容範囲が
広い私ですが、
 
好きの代わりに
浮かんでくるのは
「〜は嫌だ」
「〜でなければいい」
というものばかりで。
 
好きというより
「こだわり」ですね。
 
最近よく感じるのですが
「こだわり」は
純粋な好きとは全く
逆のエネルギーなのですよね。
 
この枠組みの中から出たら
すべてが、
劣るもの、ダメなもの
悪いもの。
 
自分の中の固定概念の塊が
こだわりです。
 
そしてこだわるのは
ただ怖いから。
 
その枠組みの外には
自分の拠り所はないと
感じるから。
 
それをよしとすると
自分のルールが壊れるから。
 
 
素直な望み、自分の心だけを
軸にして生きるのは、
 
時に難しいことなのかも
しれません。
 
 
最近、自分とは違うもの
 
自分が自分の中から
排除したかったもの、
 
自分の外にあると思って
いたものに
 
出会い、ショックを受けたり
嫌な気持ちになったり
する機会があると、
 
そっとその存在を認めて
みることにしています。
 
認めるのは、嫌なことを
受け入れる、とか
同調する、とか
そんな気分的に難しい
ことではなくて、
 
ただ、あぁそういうことが
あるのだなぁ
あってもよいからあるのだなぁ
と感じてみるだけ。
 
すると、
目の前に現れてくれた
ことの意味が、よくわかり、
 
大きな安心感と共に
自分と他者、世界との境目が
緩んできます。
 
自分の中で許容することが
できなかった部分の存在が
許されて、
豊かさが増したことが
感じられます。
 
何というか、細胞が増えた
みたいな感じ、笑。
 
あぁ、また感謝だなぁと
思うのです。
 
 
こだわりではなくって
心から溢れ出る
「楽しい」「好き」
にひたすら素直に生きる。
 
子どもみたいに。
 
私の世界はもっともっと
優しくなりそうです♪
 
 
 

 
 
 *追記  こだわりも、また、あってもよいものだな~と、ハッとしたので、追記しておきます、笑。

どうありたいかを、ただただ素直に。。
それだけですね。