と、言うわけで続きです。

どんどんシュールになっていきますよ~(^o^;)

『刺繍する少女』より、『ケーキのかけら』からスタートですビックリマーク


いつものごとくネタバレ注意でお願いします汗


『ケーキのかけら』

ストーリーは、「わたし」が美術史の助教授に雇われてアルバイトを開始した所から始まります。

そのアルバイトの内容はと言うと、助教授の叔母さんの持ち物を処分するだけという、変わったものでした。


この叔母さんが家に溜め込んでいる物は、変わったものばかりです。

どこに着ていくんだ?というようなドレス(たびたび叔母さんが家政婦に作らせているのです)や、おもちゃの宝石など。

しかも、叔母さんはそれを高価な物、本物であると疑いません。


と、言うのも叔母さんは自分は王女様なのだと思い込んでいるからです。

だから彼女の口からは『ウィーンを表敬訪問したときに…』なんて話が普通に出てくるわけです。

ここまでが、この物語の設定とか導入にあたる部分かなぁと思います。


一言で感想を言うと…オチがよくわかりませんでしたorz

「わたし」は、叔母さんのペットのカメの様子から、叔母さんが食べていたパウンドケーキに毒が盛られている事を察知します。

やはり、叔母さんは王女様として悲劇の死を遂げたのでしょうか?

この毒は、誰が持ったものなのでしょうか? という疑問がいつまでも余韻として心に引っかかるのです。


『図鑑』

皆さん、寄生虫はお好きですか?

私は「地獄先生ぬ~べ~」という漫画を読んで以来、寄生虫と聞くと全身の毛がぞぞぞぞってなります。

あの話は普段の妖怪をテーマにした話より断然怖かったですよ。 もともと虫嫌いだし…。

っていうか、寄生虫が好きな人なんてまず居ませんよね。 居たらどうしよう。


このお話、主人公の「わたし」が寄生虫図鑑を眺め、寄生虫に思いをはせるところから始まります。

『自分が寄生虫になって彼の中をさまよったら…』とか考えているのです。

無類の寄生虫好きのようです。


「わたし」と「彼」は、その、平たく言うと不倫の関係にあります。 どちらも所帯持ち。

でも、いよいよ『ずっと彼と一緒にいたい』と思った「わたし」は、「彼」に寄生虫について語ります。


寄生虫は、生まれたばかりの頃はちゃんと目を持っている。

しかし、寄生するための魚を見つけたら、あっさりともう必要のない目玉を捨ててしまうのだ。

だから、海の中にはそんな風に捨てられた寄生虫の目玉がいくつも漂っているのだ。

…と。


その話を前フリに、「わたし」は、自分の目玉をえぐり出します。 

『あなたにくっついていられるなら、目玉なんていらないの』という言葉と共に。


ぎゃあーーーーー!!!(゜д゜;)


いえ、きっとコレは実際に行動を起こしたわけではなく、「彼」と寄生虫の事が好きになりすぎてこんな想像をしたor錯覚を起こしたってことだと思います。

そういうことにしときましょう。


でも、自分が寄生虫になって相手の中をさまよいたい…って思うぐらいの恋愛ってどんな感じなんでしょう?

そうとうのヤンデレ、 いえ、きっと文字通り身を焦がすような恋なんだと思います。


あと、やっぱり不倫の話だけあって、何て言うべきでしょう、その、アレだ。

微妙にセクシーな表現をふくんでいます。 何か不意打ちで出てくるので恥かしくなります(/ω\)


それはそれとして、もう海に行けなくなりそうです…。


『アリア』

打って変わって、わりとほのぼのしたお話。

主人公の「僕」と、彼の叔母さんの、ささやかな誕生日パーティーの話です。


叔母さんは、もとオペラ歌手。 外国へ渡ったこともありますが、その才能が思った程開花しなかったので、

叔母さんは別の仕事に就くのです。

それがなぜか、化粧品を売る仕事。


思った程開花しなかった才能。

オペラのために渡った外国で結婚した男性によってつぶされたのど。

オペラにまつわるもの全てが、悪い記憶に変換されているようでなりません。


でも、彼女は毎年ささやかながら誕生日を祝ってくれる「僕」には、お礼として一曲歌ってくれるのです。

このシーンはちょっとグッと来ます。

「僕」が居る事で、叔母さんも気持ちが楽になるのかもしれません。

オペラの悪い思い出が払拭されるのかもしれません。

そんな感じで、この二人の間にあるものは愛に他ならないのかなぁと、ロマンチックな感想を抱くわけです。

「僕」の優しさが、なんとなくですが、同じく小川さんの作品、『博士の愛した数式』のルートに重なりました。

混じりけのない優しさが、この本のいたるところに息づいている気がします。

その中でも一番、優しさをダイレクトに感じられるお話ではないでしょうか。



…『刺繍する少女』、あと残り四作だ!!







さて。

『不連続~』の感想続き書こうと思ったら母上がまんまと職場に持っていってしまいました。

と、いうわけで並行して読んでいた、小川洋子さんの『刺繍する少女』

いってみようと思います。

『不連続~』と違い、一つ一つの話が完全に独立した短編集です。


ネタバレ注意ですあせる



『刺繍する少女』


表題作で、一番最初に収録されています。


おおまかに言えば、死が間近に迫っている母のお見舞いに来た「僕」が、二十年前別荘で出合った

いつも刺繍をしている少女(もちろん現在では‘少女’とは言えない年齢なのですが)と再会する、というストーリーです。


印象に残ったのが、この物語の中のこの文。母の死がいよいよ近づいて、母の寝息を確かめていた「僕」が、死の瞬間について考えている場面です。


『死の瞬間というのがどういうふうに訪れるのか、想像もつかなかったからだ。

唐突で不合理でいびつな瞬間として訪れるような気もしたし、もっとひっそりと舞い降りてくるような気もした。』


なぜ印象に残ったのかというと、多分「うんうん、確かに」と「僕」に共感したからだと思います。

実際、死の瞬間ってどうなんだろう?って真剣に考えてみたり。

漫画なんかで登場人物が死んでしまう展開を考えると前者が近い気がするけど、身近な人が亡くなられたときは、なんか静けさが上滑りしてた感じでした。

小さい時だったし、悲しんだというよりは呆気にとられていたような。


と、同時にやっぱり小川さんの小説は死がテーマなのかなぁとぼんやり思いました。


『森の奥で燃えるもの』

二作目。

「収容所」で暮らす為に、耳の中の「ぜんまい腺」をとられた「僕」。

収容所では登録係の女性と良い関係を築きます。

そんなかすんだような生活の中で、森の奥で見つけたのは「ぜんまい腺」を焼却する仕事を請け負った男性でした。…というストーリー。


「収容所」は変わったところです。

まず、「時間」という考え方がありません。 だから、「この前の水曜日にさ…」とかいう会話は皆無なわけです。 月とか曜日の感覚も無いんですね。

そして、「収容所」で調達した薪を暖炉にくべると、青い色の炎があがります。


でもなぜか、「ぜんまい腺」だけは普通の赤い炎をあげて燃えるのです。

「収容所で暮らすのに必要ない」と取り除かれたぜんまい腺だけが、です。

いや、そもそもぜんまい腺って何よ? ここまではこの疑問が頭の中を駆けずり回っていました(^^;

電子辞書で調べたりもしましたが、もちろん載ってません(・-・;

でも物語の終盤、登録係の女性は、ぜんまい腺はその人が生まれた時授かった「時」に関わりのある情報を司っているのだと「僕」に教えてくれます。


まあ、どっちにしても「ぜんまい腺」の定義はおぼろげでよくわからないんですけど。

「収容所」が何のための施設かも、最後までわかりませんし。

でもなんとなく、この物語の中では、赤く燃える「ぜんまい腺」だけにいのちを感じられるような気がします。

時間の中で生きてこそ、人は生きている実感を持つのでしょうか?


ものっそい自分勝手に解釈しました。 自分で意味を想像するのもおもしろいものです。


『美少女コンテスト』

三作目。

十歳の時、「わたし」は母親(またこれが、自分の娘がかわいいと認められないと気がすまない、厄介な人物です)にすすめられて、出たくも無い美少女コンテストに参加します。

物語の中心は、そこで出合った個性的な顔立ちの女の子との会話です。


その女の子は、今朝飼い犬を亡くしました。 死因は、窒息死。

自らが掘った穴に首を突っ込みすぎて、首が抜けなくなったことが原因でした。

『こんな死に方って、どう思う?』

女の子は、不意に「わたし」に質問するのです。


やっぱりここでも、テーマは「死」なんでしょう。

「わたし」も、自分が赤ちゃんコンクールで優勝した時の新聞の切抜きの裏面を見て、

そこに事件として取り上げられていた、中毒症状を起こして死んでいった◎◎ちゃんに思いを馳せています。


あと、もしかしたらキーパーソンは「わたし」の母親だったのかもしれません。

同じ人が書いた、「凍りついた香り」という小説で、ちょうど主人公の恋人の母親がこんな感じの

人物でした。

「我が子が優勝することを何よりも望んでいる割りに、本人の意思を尊重しない母親」に、作者は

何を見ているのでしょうか?

うーん…。 わりと「実際にありそう」な設定なだけに、意味を取るのが難しいストーリーでした(^^;

っていうか、こんな純文学チックな小説の意味なんてきっちり取れたためしがないけど。


また引き続き書きたいと思います。

せっかくの春休みなので今から図書館いってきま~すラブラブ





今日はものすごく久しぶりにお部屋を掃除しました。

この一年、受験生だったことにかまけてずーーーっと祖母に任せっぱなし。


でも、今日はついにやり遂げましたよ!!

中学校の頃ずっと溜めてたテキストやプリントを一気にまとめました。

明日やっとごみに出せます。


で。

今日は昨日の続きを書く気まんまんだったんですが…

掃除してるとホラーやSFの気分じゃなくなりました。 何故か。

散らかった部屋とか、お風呂掃除とか、夜ならごみだしとかもびみょーにホラー映画っぽいのにね。

特にお風呂掃除。 長い髪の毛が排水溝からごっそり、とか音譜


でも、そうやって身の回りのこととかしてると、ホラーはともかくSFな気分じゃなくなるんだよなぁ。

あんまりにもフツーでなんか萎えちゃうのです。

思えば、その日の行動で読書の傾向?みたいなのが大きくズレる気がします。


☆微妙に不安な時→SFっぽいの、なんかとにかく戦う話

☆わりと明るい気分の時→主人公が自分や人生に付いてうだうだ悩んだ挙句病んだ行動にはしるような話

☆かなり明るい気分の時→世界史の裏話的な本(魔女狩りとか薔薇十字社のエピソードがベター)


こんな感じでしょうか。

明るい気分の時ほど暗い話が読みたくなるのが不思議でなりません。


まぁ、いろいろぐだぐだと長く書きましたが。

何が言いたいかって言うと…


暇だ―――――!!


宿題とかいっぱいたまってんのに暇です。(やれよ、宿題)

だからついPCの前に来ちゃう。

もうね、アレだ。

二次関数のグラフ見たり、言葉のしくみについての評論読んだりするのいやなんです。

数学がイヤなのはともかく、国語がイヤだったことなんてないよ。 なのに…汗

もう論説文系はやめて物語読もうぜ.…。

公立対策で読み飽きたわ、そういうの。


論説文系って

「世界の建物についての文?

どうせまた欧米の建物イクナイ、日本の建物すばらしいって言いたいんでしょ?」

ってなります。 先が読める。

…と、思いきや、ただ比べるだけで終る文章もあって、まぁその良い意味で期待を裏切ってくれるのは大歓迎ですが。


あ~、もうそろそろおやつの時間ですね。

そろそろ本気で宿題しないとヤバいなぁ~…。


ここまで長く書いた割りにオチもつけないで申し訳ないです。

ではまた今度。 明日も多分性懲りも無く書きにきます。