新学期にむけて髪をバッサリ切っちゃいました!!

一気にバッサリ切るとなんとなく寒いものですね…。


さて、そろそろ『刺繍する少女』の感想も終らせたいと思います。

残り三作!


『ハウス・クリーニングの世界』

主人公の「僕」はハウス・クリーニングのアルバイトをしています。

依頼人―真っ白な衣服に身を包んだ女性が、「僕」に仕事しているところを見せて欲しいと頼むところから、

この物語は始まります。


えーっとですね……「ハウス・クリーニング」のお話である限り、まぁここからは掃除のシーンが続きます。

だからと言ってつまらないわけではありませんよあせる

ささいなシーンですが綺麗な文章で書かれているので読み飛ばすのはおすすめできません。


「僕」は依頼人から休憩をとるようにすすめられます。

そこに、ふと赤ちゃんの泣き声が聞こえてきました。

けれど、依頼人は立ち上がるどころか、心配そうな表情も見せません。

『乳母が面倒を見ていますから』とだけ言います。


依頼人は、二回目の休憩の時、こう言いました。

『(床の染みを)全部落としてくださいね』

『一つ残らず、すべての染みを消し去るの』と。

「僕」が掃除を始めると、『さあ、はやく消しなさい』と、彼女はいっそう強く命令しました。

私だったらなんとなくイラッと来ると思います。 まぁそれは置いといて。

依頼人は、汚れの説明を始めます。

これはブルーのインクのつぼを落とした跡…これはうがい薬の染み…というように。


依頼人が汚れの説明をし、「僕」がその汚れを落としている間、赤ちゃんはまたも悲しそうに泣き出します。

『その間赤ん坊は、途切れることなく悲しげに泣いていた』

この文章で物語が終るところを見ると、やはり依頼人は赤ちゃんをあやしに行っていないようです。


なんとなくですが、『乳母が面倒見ている』というのは嘘なのかなぁと思います。

乳母がいたら赤ちゃんももっと早く泣き止むと思うし。

じゃあ、なぜ依頼人はそんな嘘をついたのでしょう?

もしかすると依頼人が消し去りたかったのは、床の染みではなくて……


憶測すればするほど悲しい物語になりそうなのが怖いところです。


『トランジット』

まず、題名を見たときに?と思いました。

調べてみると、別の飛行機に乗り継ぐことだそうです。

…って、常識ですか。 そうですか。

恥かしい話、こんな単語を使う機会がありません。 海外旅行行きたい…。


で。 この題名からもわかるように、主人公の「わたし」が乗り継ぎの飛行機を待っている空港が、この物語の舞台です。

「わたし」は、中国の空港で成田行きの飛行機を待っていました。 フランスからの帰りです。

そこで、「わたし」はある男性と出会います。


もともと、「わたし」がフランスへ行ったのは、亡くなったおじいさんを弔うためでした。

だからと言って確かな目的があったわけではありません。

しかし、「わたし」はパリに着いていきなり、ユダヤ人だったおじいさんをかくまってくれた夫婦を訪ねてみようと思い立つのです。


その夫婦はいませんでしたが、「わたし」は夫婦の孫に出会います。

そして「わたし」は、夫婦とおじいさんのエピソードをほんの少し知ることができました。

これもやっぱりこの本特有の、優しいエピソードです。

これが、男性との会話と並行して語られます。


一方、男性は木馬博物館に勤めており、世界中の木馬を集め、その博物館に納める仕事をしています。

男性は木馬について、このように語りました。

『木馬を見るたび、わたしはいつも考えるんです。(中略)ほんのひとときここに身体をあずけ、また去っていった、もう二度と戻ることのない人々に、思いをはせるのです。』

この言葉が、おじいさんと彼を助けた夫婦、「わたし」と夫婦の孫、そして「わたし」とこの男性の出会いに重なります。

確かに旅行に行くともう二度と会わないだろーなーって人と仲良くなったりしますよね。

そして、私たちが出会った意味はなんだろうと考えてみると、やっぱり運命ってあるのかなぁという気分になるわけです。


この「わたし」と男性もきっともう会うことはないでしょう。

よくて一回くらいだと思います。

でも、そんな出会いにこそより深い意味があるのかもしれません。



『第三火曜日の発作』



























最後に収録するにはいいお話だったのではないかと思います。

全体的に切なく、かなしい余韻を残すようなお話です。

それは果たして良いことなのか?と聞かれるとよくわかりませんが。

感情の表記なんてこれっぽっちもありません。

この二人が出会ってから別れるまで、きっと二人の中にいろいろな感情が入れ替わりたちかわり渦巻いていたのだと思います。なのに、年表でまとめると、たった一行のそっけない文章になってしまっているのでしょう。

とは言え、年表というアイテムが重要な役割を占めているところから推測すると、「理不尽に進んでいくのもまた人生」、というテーマでしょうか?

喘息の発作って、もちろん本人にとっては辛いものだと思うんですけど、そんなに見てびっくりするものなんでしょうか? 周りにそんなにひどい喘息もちの人っていないからわからないんですが。

なんで発作で相手の男性は「わたし」との縁を切ったのか。

ざっとストーリーまとめてみたけど、まるで意味がわかりませんね。

その日から、彼らの縁はぷっつりと途絶えてしまうのです。

彼と愛し合っている最中、「わたし」は発作を起こします。 ひどい発作です。

しかし、そう長くは続きません。

で、まぁお決まりのパターンといいますか、二人は恋仲になります。

その途中、ある男性と出会ったことで物語が動き始めます。

そんな「わたし」にとって、第三火曜日の通院が唯一の外出です。

喘息もちの主人公「わたし」が好んだのは、年表を読むことでした。






昨日カラオケで母親と二人で二時間もっちゃり歌ってきました。 お買い物の合間に。

……断じて友達がいないわけではないんですよ?


カラオケで「本人映像」がめずらしくなくなった今日この頃ですが、アニソンに関してはなかなか納得できる「本人映像」に出会えませんよね。

ずっとエンドレスで同じシーンが繰り返されていたり、アニメの映像を期待しているのに歌ってるご本人が出てきちゃったり。 いや、後者でがっかりしちゃうのはアーティストの皆さんに対してもんのすごく失礼なわけですが。

まぁアニメ好きのたわごとだと思って聞き流してください(^^;


でも!

今回やっと納得のいく「本人映像」に出会えましたクラッカー

「納得のいく」って何様なんだお前はとかいうツッコミはどうか心の中だけでお願いします。 はい。

UGAの『まるかいて地球』と『モノクロのキス』の「本人映像」がすごくナイスでした。

映像見たさに各2,3回は歌いましたよ。 何をやってるんだお前はと言われても反論出来ません。


その他 『エースをねらえ』 『アタックNO1の歌』 『薔薇は美しく散る(ベル薔薇の主題歌)』

などが「本人映像」でした。

(ポケモンやキャッツアイ、リボーンなど新旧色々なアニメを調べてみましたが、これらには「本人映像」は導入されていないようでした。

……この情報いるか?)

この中では『薔薇は美しく散る』が最高だったかなあと思います。

それはそうと歌が終った後で、『ジュテーム…オスカル』と、アンドレの台詞を入れるのはやめてくれwww

と思いました。 ウーロン茶が鼻から出そうに。


というわけで、今度からカラオケに行って「カラオケの機種はどうしましょう?」と聴かれた時には

迷わず「UGAで。」と答えようと思います。 あ、別に私UGAのまわしもんとかじゃないですけど。

「UGAで。」と答える自分を想像するとカラオケ上級者みたいでカッコ良く思えませんか? 思えませんね。

でもとにかく、もう「え…機種?なんでもいいです~」と答えていた昔の私じゃないんだぜ~音譜という気分なわけです。


というわけで、ささいなこだわりが増えたという話でした。

私のささいなこだわりレパートリーには他に、「テレビの音量は13がベスト」とか

「映画館の指定席を予約する時はできればD列」 というものがあります。

でもD列愛好家は結構多いのか、D列争奪戦はわりと接戦な気がします。…だからこの情報いるか?


それでは、ささいなこだわりによって明日を快適に過ごせるように願って今日はもう寝ようと思います。

と思ったらまだ8時にもなってなかったのでこれから宿題です(・・;)

ではでは。


はじめてペタをつけていただきました~音譜

なんか自己満足なブログなのでちょっと恥ずかしい気もします(*゚ー゚)ゞ

ありがとうございました~(^^)



さて。昨日の続きです。『刺繍する少女』より、『キリンの解剖』です。

やっぱり今日もネタバレ注意でお願いします(^^;)


『キリンの解剖』

ストーリーは、主人公の「わたし」が堕胎手術をして七日後、「わたし」がジョギングを始めようと決意するところから始まります。

ジョギングは最初、なかなか順調に進んでいましたが、ある日「わたし」は重機械工場の前で倒れてしまいます。

そこで、重機械工場の守衛さんと出会うのです。


守衛さんは、仕事で工場の正門の前に立っていた40年間、いろいろな出来事を見てきたと言います。

暴走トラックが突っ込んで、運転手がぺちゃんこになったこと。

ノイローゼの若い従業員の焼身自殺。

おりこうさんに眠っていた捨て子の赤ちゃん。

そして、彼にとって今日が、守衛の仕事をする最後の日でした。

それを聴いた「わたし」は何を思ったのか、工場の中を見せてほしいと守衛さんに頼みます。

守衛さんはあっさりと承知してくれました。


「わたし」が工場で見たのは、三台の巨大なクレーン。

その気高くも見えるクレーンを見て、「わたし」は不意に、恋人と話したキリンの解剖の話を思い出すのです。


堕胎手術、自己、自殺、赤ちゃん、そしてキリンの解剖。

やっぱりこのお話でも、死や、あるいはいのちを連想させるエピソードが重なっています。


自分の中に宿っていたいのちを切り離して間もない「わたし」は、何を思って守衛さんの話を聴いていたのでしょうか?

『キリンの解剖』は、この物語の中でどんな意味を持つのでしょうか?

私の読解力ではやっぱりはっきりしません(・・;)

ただ、何か運命的なものがはたらいて「わたし」は守衛さんと出会ったのかなぁとだけ思います。

ささいな会話を交わしただけだけれど、その会話が「わたし」に明日も自分の足で走り続けようと思わせたのかもしれません。



『刺繍する少女』、あと三作だ!

どんどんわけわかんなくなっていくんだぜビックリマーク

でもなぜかおもしろいから不思議です。