オレの可能性? | YOUの備忘録

YOUの備忘録

65歳を過ぎ、42年間のサラリーマン人生を最終卒業しました。 只今、アルバイト探しのプー太郎毎日です。(^^) 自由気儘な温泉旅行と呑み食べを楽しみに、日々韓国ドラマをたのしんでまーす。 気が向いたら、またブログを再開するまで、暫し骨休み〜(^_-)

今日も一日が過ぎてしまった。
本当に仕事してたんだろうか・・・。

ここんとこ、「全て」から逃れたくなることが度々。
今日は、北海道のウェブ友人の手術・・・今頃、どうしてるかな。
同じウェブ友人、旦那様の急な逝去。
きっと、身の回りが皆んな信じられないんだろうなぁ。

嬉しい一つは、やはりウェブ友人だけど、諦めかけてた彼からの連絡。
逢えたみたい♪
よかった~~~。
悲しいことも嬉しいことも、どれもオレの涙が混じってるからね。

そんな中、ちょっと覗いたHPから引用させてもらった一文を披露するね。

 【無限の可能性】
  生きるものには、無限の可能性がある。
  とはいえ、その無限の可能性を発揮して自分の能力にしなければ、その可能性は埋もれてしまう
  かもしれない。
  年齢が若ければ若いほど、無限の可能性を発揮するチャンスが多いと思う。

  たとえば、私。
  10年後も20年後も、無限の可能性を引き出しつづける私でありたいと思う。
  今の自分は、10年後の自分より「10年分のパワー」を秘めていることになる。
  しかも、この「10年分のパワー」は、1にも10にも無限にも発揮することができる素質を、
  人は持ってるってことだ。

  「人はときに信じられないことをやってのける」という人もいるが、私は、そうは思わない。
  本人が信じたからこそ出来ることばかりだ。

  自分の能力を引き出そうとせず生きた10年後に、10年前の自分と対峙することを想像してみた。
  その対峙した自分を見て私は思うと思う。
  「せっかく10年も無限の可能性を引き出す時間があったのに、こんな人間になっちゃったの?」…っ

     て。

  それから、逆の立場も考えてみる。
  10年前の自分に対峙した場合、自分の能力をなにも引き出してないときに限って、私はこう思うだ

     ろう。
  「なんだ、まだまだ、ワカゾウでしょー」…と。

  お互いに「10年経ってもその程度なのね」「つまんないワカゾウだね」と叱咤しあうことになる
  のだ。
  それこそつまらない と、思う。

  私は、10年後に「10年のパワー」を持った過去の自分と対峙しなければならない。
  たとえば、これは、10歳若い人に対しても同じことを思う。
  10歳若い人は、「10年分のパワー」を持ってるんだと。
  私は、思う。
  自分より若い人たちと対等に生きれる私でありたい。

  10年後・・・素敵
  もし、無限の可能性を引き出しつづけた10年をおくれたとしたら、10年後の私は10年前の
  私を見てこういうと思う。
     「あなたは、こんな素敵な私を作ってくれたんだよ」

オレなんか、たった今でもそう想ってるけどね。
ただ、オレは「素敵」じゃないし、絶対に似合わないけどね。

上のコメントは、本人の了解無しに、勝手にオレ流に変えてあります。
だから、共感したオレの殆どの「素」と思ってね。

もう年を重ねる毎に、イイ意味での「可能性」は減っていくだけのオレだけど、「情熱」だけは強くなってく。
数日に一度って言っていいくらい、躰中のパワーが外へ飛び出したくって、ブルブル震えるよ。
これが無くなったら、オレの最後かな・・・。
もう何も後悔って無いから、後の希望は「星」になることくらいかなぁ。

もし、それらしい星を見つけたら、少しだけオレのこと思い出して貰えるようになりたいな...。