こんにちは!
ひょっとこkikuです。
福沢諭吉が60歳の時に
「福翁自伝」を書いています。
絶妙な語り口で、
日本の自伝の中では最高傑作ですね!
福沢諭吉というと、
いちばん始めに思い浮かぶのは、
一万円札ですが、
『天は人の上に人をつくらず
人の下に人をつくらず』
という言葉も有名ですね。
「学問のすすめ」の
書き出し部分ですが、
明治のはじめの頃に
300万部売れたベストセラーです。
書いた諭吉さんはもちろん偉いですが、
それだけたくさんの人たちが
学問の必要性に気がついたこと、
本を読める人がそれ程いたという事が
すごいと思います。
まだ江戸時代の雰囲気が
残っている時代だったので、
諭吉さんの若い頃の写真を見ても
ちょんまげ、はかま姿です。
士農工商の身分制度があった時代に
いちはやく「人はみな平等である」
という考え方に基づいて、
西洋の文化を日本に紹介して
学問の大切さを伝えた人でした。
「学問のすすめ」を書いて、
その頃の人に学問の大切さを
教えた諭吉さんの存在がなかったら、
今の日本はなかったでしょうね。
諭吉さんは一万円札に印刷されて、
毎日人に愛されるだけの価値が
充分ある人だと思います。
諭吉さんが60歳の時に自分の生涯を
振り返って書いたのが「福翁自伝」です。
幕末から明治という時代は、
エネルギーに満ちたすごい時代ですが、
その時代を作って、同時にその時代に
生きた人でもあったわけです。
子供の頃は神様を信じなくて、
お稲荷のやしろに祭ってある、
ご神体の石や木を投げ捨てて、
かわりに拾ってきた石を入れておくような
いたづらをしたという事も書かれています。
65歳まで生きているから、
当時としては長生きだったようですね。
若い頃からずいぶん酒を飲んでいたようで、
朝昼夜と区別なく飲んでいたという事です。
30歳の頃に健康のため一大決心をして
禁酒を決意したそうですが、
朝昼はやめても、けっきょく晩酌は
やめられなかったみたいです。
明治維新の熱い時代に生きていても
クールでさめた目で政治を見ていて、
政治活動に参加するという事は
しない人でした。
吉田松陰のように、
武士道にまっすぐで、
政治を熱く語る人比べたら、
そういう事は、さめた目で見ていて、
諭吉さんは、学問や西洋文化
を取り込むことだけにに熱心でした。
お札に印刷された諭吉さんを、
集めるのもいいですが、
「福翁自伝」や「学問のすすめ」を読んで、
明治という時代に触れ、
一度は福沢諭吉の書物に触れるのも
悪くないと思いますよ。