民家の結晶「茶室」 | 今井町 今西家住宅

今井町 今西家住宅

神武天皇に協力し、県主(あがたぬし)の称号を賜わり、十市県主大目の娘を孝霊天皇の皇后として外戚を結び、吉野潜行に際し後醍醐天皇を警護し、戦国期今井庄を城塞都市化して信長軍と闘うも戦いを収め、自治権を許されて栄えた。建国の地かしはらより 悠久の風を!


16世紀になると、堺と今井にかかわりが深い会合衆、町衆たち「天下三宗匠(千利休、津田宗及、今井宗久)」らは、茶数寄に徹するからといえ、家業を捨てて山中に遁れる訳にゆかず、茶の湯を愉しむひと時だけを遁世するために権力者の建物ではなく民家に彼らの道統の原形が在るととらえ、それを研ぎ澄まして茶室という結晶体にまで極めました。
風変わりでなく、立派でなく、垢抜けしているが、目立たない。こうした謙虚なたたずまいを茶室の理想としました。
それゆえに、茶室と露地は浮世の外の「市中の山居」でなければならず、手水で心身を清め、白露地を歩み、にじり口には掛け金を下して俗界と遮断する必要がありました。
露地のことを白露地というのは、白とは清浄の意味であり、浄土をあらわします。

続きを読む