義父さんが天国に旅立った一連のお話しの続きです。
自宅に戻った義父さんは、翌日も丸一日家ですごしました。友引でお葬式はできない・・とのことでした。
(こんなところで、六曜(大安・仏滅とか)は使われるみたいです^^;)
自宅は手狭ですので、通夜・告別式は葬祭専用の会館を借りて行うことにしました。
現世的な話しですが、祭壇は、いくらのにするか、悩みますね^^;
(生花をたくさん使った祭壇は、意外とお高いことを知りました)
通夜の前に、湯灌・納棺式というのをオプションでお願いしました。
湯灌とは、ご遺体の体を清めるために、最後のお風呂に入れる儀式といったところでしょうか。そして、旅の白装束に着替えて納棺します。
男女一人ずつの若い係員(=納棺師)の方が、湯灌と納棺をしてくれました。
すべてを描写することはできませんが、半年以上もずっとお風呂に入っていなかった義父さんは、お湯をかけて体を洗ってもらい、シャンプーもしてもらって、とても気持ち良さそうでした。
眠っているかのような義父さんの遺体は、お風呂に入っている間、ホントに「気持ちいいよ~!」と言っているみたいに、穏やかな顔をしていて、今にも起き上がりそうでした。親戚のおばさんたちも「よかったねぇ。お風呂に入れてもらって、気持ちいいね~」と思わず口に出していました。
エンゼルメイク(死化粧)もしてもらって、顔色もいっそう良くなりました。
若い納棺師のお二人は、説明も仕事もすべて丁寧で、そつなく、とても大変な仕事でしょうに、偉いなぁと思いました。とても徳の高い仕事だと思いました。ただ、やはり、理解がなく、偏見のある方々には、忌み嫌われる仕事なのだろうなと想像できます・・。(私はいつか彼らといろいろ話をしてみたい・・というかインタビューをしてみたいです。なぜ、この仕事を選んだの?とかね・・)
この儀式の最中には、納棺師の方のオーラがよく見えていました。女性の納棺師の方のガイド(指導霊)は、修道女さんで、以前(過去世)も教会で同じような仕事をやっていたような気がしました。
そんなに良くオーラが見えているのに、義父さんのは、どんなにがんばってもオーラは見えなかったです。
「死んだ人にはオーラはありません」とクラスなどで私も教えてきましたが、ホントだと思いました。
湯灌が終わり、いわゆる冥途の旅への旅装束に着替えて、好きだったものを一緒に棺に納めました。
プラスチックや金属など燃えないものは入れられないそうです。
若い頃は小説を読むのが好きだったそうで文庫本や、定年のときに会社の皆さんが書いてくれた寄せ書きの色紙や、お菓子、そして大好きだったお酒も紙パックの小さいのだったら入れていいということでしたので、入れました。
晩年、言葉が不自由になり、筆談をしていた時期があって、そのときにリハビリを兼ねてノートにエッセイみたいにこれまでの人生の出来事を綴っていましたので、続きを天国で書いてもらえるように小さいノートを入れました。
・・が、鉛筆を入れるのを忘れてしまったので、天国で、
「きよみさん、鉛筆がないよ!」
と言っているかもしれません^^;。ごめんね!
お父さんの祭壇に置いておくからね!
↓こちらもポチっとお願いします^^。