これは当時毎日書いていたブログから持ってきたものです。

3月11日から約4か月後と2年後に書きました。

 

震災当日、私は10km以上の距離を歩いて帰りました。

夕方にやっと解散になったんですけど、非常時に帰宅させるかどうかの判断は難しいですね。

帰るなら明るいうちに移動できるようにしないと危険です。

 

転勤で赴任していた当時の上司は大きな地震の経験がなく、恐怖でパニックになっていたと後日話してくれました。

余震の度に震え上がって気の毒なくらいでした。

 

では、2011年3月11日の私 その2からの続きです。

 

2011年3月11日。東日本大震災が起きた日、会社から自宅まで歩いて帰った。
帰宅難民だったけど、絶対自宅に帰らなきゃ!帰りたい!自力で何とかしなきゃ!きっとできる!何とかする!って思いながら。
普通は歩けないし、歩こうとは考えられない距離を必死で歩いたよ。

急に空が真っ暗になって猛吹雪になった。

天気の急変ぶりがこわくて早く帰らなきゃと焦った。

途中で薄暗くなってきて足元が見えなかったのか、道路の地割れに足を取られてしまった。
自宅まではまだまだ…半分位の所。
痛くても歩かなきゃ、歩かなきゃって、片足を引きずりながら必死に前進した。

停電で真っ暗な中を進むのは、まさに手探り足探りだった。
地割れや陥没と隆起、落下物や危ない壁とか塀、縁石や道路標識のポールや電柱…とにかく見えないと危ないんだよ。
国道はちらほら通る車のライトで進めたけど、団地の入口から自宅までが真っ暗で難儀だったな。

ほんと真っ暗闇なの。
街灯も家の明かりも何もなくて、車も全く通らないから、曲がり角も自分がどの辺にいるのかも、携帯で照らしたり勘が頼りだった。
たまに懐中電灯を持った人にビックリされて、照らされちゃったりして。

真っ暗闇って不安だよ。
経験しないと分からない。

やっぱりもう少し早く会社を出るべきだったと思う。

 

3時間半以上かかって、やっと家に着いた。

家族が無事でいてくれてよかったと心底思った。

ホッとしたのも束の間で、大きな家具や物が飛び散った家の中をなんとかしなきゃならない。

停電・断水ということで、今を生きのびるための体制づくりも取り掛かった。

 

余震がずっと続いて恐怖を煽ったけど、自分を奮い立たせた。

胃が痛かったけど、しっかりしなきゃと自分に言い聞かせた。

 

どこからか引っ張り出した小さいラジオから、地元のNHKアナウンサーが泣きながらニュースを読んでるのが聞こえてきた。

よくわからない大変なことが起きてる。


その夜から3~4日は痛めた股関節が激痛で眠れなかった。
痛いのをガマンして、片足をかばって歩いてたよ。
たぶん1週間過ぎた辺りから治まってきたんじゃないかな。

 

お読み頂きましてありがとうございました。

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