今思うと、この言葉ってモラハラですよね。
私が子どもや孫に経験談として自分のことを話してやろうとすると、すぐに出るのが夫のこの言葉。
「あなたのことは聞いていないから」
そうやって随分と私の話は、遮られてきましたっけ。
だから恐らく子どもたちももちろん夫も私の子ども時代のことなんて知らないだろうと思います。
子どもたちは少なくとも私の母のことは知らないと思う。
どんなおばあちゃんだったのか、知る由もないと思う。
今では写真も手許に置いていない。
珍しく夫が、
「そう言えば、あなたの親の写真って一枚もないね」
って言ったんです。
そう仕向けてきたのは、夫であることを夫自身が自覚していない。
私は嫁に来た時点で、実家を捨てさせられたのです。
昭和ってまだそういう時代だったんです。
姑は、実家の話を嫌いました。
だからと言って、自分の話もしてくれませんでした。
だから嫁に来たとは言え、姑も我が実家のことは知らないだろうし、私も姑のことはほとんど知らずに半世紀が過ぎました。
それでもようやく少しずつ情報も入るようになって、姑のこと舅のこと、少しずつわかるようになりました。
私は姑が亡くなるまでに姑の自分史を書いてあげようと思っていたのですが、最後まで姑の心の中に入り込むことは出来ないで終わりました。
実は少し姑の生い立ちを知ったのは、長男が先に姑の人生記を書くために姑を取材したからです。
出来上がったものを私はなぜか読んでいないのですが、少しぐらいは話の端々に姑の生い立ちを知ったのでした。
介護していた時にも、何の拍子か姑が戦時中の怖い体験を話し出したことがありました。
私もその時もっと深く聞き出せばよかったと今になって後悔してますが、あの時の二人の関係ではそこまでが限界だったとも思うのです。
私は、子どもたちに何を残してあげられるかと思ったとき、決して豊かでなかった昭和初期の私たちの生活ぶりや、多感な少女時代を過ごした北海道での思い出を書き残しておきたいと思うようになったのです。
今こうしてブログを書くことで、今の私を知ってもらういい機会になっていると思うのです。
夫に封じ込められてきた私の人生を少しでも子どもたちに伝えていけたらと今は思っているのです。
重い話を書いたら甘いものが食べたくなりました。
まめぞぅさんから頂いた千疋屋のゼリーが心にゆったりと広がり気持ちが穏やかになっていくのを感じました。