サリンから30年 | 鬼妻ファイト日記

鬼妻ファイト日記

毎日の姑とのバトル日記を、完全卒業しました。
10年の在宅介護を終えてからの姑は、施設に2年、療養型病院に
2年入院しましたが、令和4年11月3日(文化の日)に、97歳にて他界しました。
これからは、自分の老後の日記を書いていこうと思っています。

あの世の中を震撼とさせた「オウム真理教によるサリン事件」から、今日で早30年が経ったと言うのです。

もうかなり風化し始めているとはいうものの、まるで小説みたいな事件が実際あったということが、未だに私には鮮明に残っている事件です。

 

初めのきっかけは、ガス中毒者の死傷者がいるとの一報。

駆けつけてみれば、側溝で魚が死んでいた。

第一通報者である河野さんという方が、あろうことかなんと犯人視されたのです。

河野さんは、奥さんが犠牲になっていると言うのに疑われたのです。今にして思えば、いやこれはもう酷い話以外の何ものでもないものでした。

捜査当局から得た情報への偏り、他社に負けじと記事を書かねばならない重圧から、「決めつけは危険」という声をも圧し潰してしまったと後に記者は語ります。

 

そんな中、いち早くこれは「オウム真理教の仕業」と記事にしたのが、多分週刊新潮だったような気がする。

私は、父からその話を聞いたのでした。

 

本当に河野さんは気の毒としか言いようがありません。

まさに「ペンは剣より強し」です。

 

坂本弁護士一家が忽然といなくなった時も、なかなかオウムの仕業と行きつけなかった。

坂本弁護士のご両親は、失踪する原因など見当たらないと訴えていたのに、なかなかオウムまで辿り着くことが出来なかったのです。

 

それから地下鉄サリン事件が起こって、オウムの存在が明らかになったのでした。

 

事件の内容があまりにも現実離れしていたので、だれもが「まさか」と思わされた許し難き事件の内容でした。

 

この時の報道のあり方が問題になりましたよね。

「予断を排し、事実の前に頭を垂れる」

と記者は心に銘じたと言いますが。

大変な思いをさせられた河野さんの言葉は、もっと厳しい。

「事件の教訓は、マスコミ総体としてはなんら活かされていない。1つの反省が、次の世代に伝わっていかない」と。

 

むしろ今のマスコミのニュースの取り上げ方は、さらに偏ってきているように思えてなりません。

河野さんの名誉挽回のためにも、もっとマスコミは心して報道してほしいものです。