あの世の中を震撼とさせた「オウム真理教によるサリン事件」から、今日で早30年が経ったと言うのです。
もうかなり風化し始めているとはいうものの、まるで小説みたいな事件が実際あったということが、未だに私には鮮明に残っている事件です。
初めのきっかけは、ガス中毒者の死傷者がいるとの一報。
駆けつけてみれば、側溝で魚が死んでいた。
第一通報者である河野さんという方が、あろうことかなんと犯人視されたのです。
河野さんは、奥さんが犠牲になっていると言うのに疑われたのです。今にして思えば、いやこれはもう酷い話以外の何ものでもないものでした。
捜査当局から得た情報への偏り、他社に負けじと記事を書かねばならない重圧から、「決めつけは危険」という声をも圧し潰してしまったと後に記者は語ります。
そんな中、いち早くこれは「オウム真理教の仕業」と記事にしたのが、多分週刊新潮だったような気がする。
私は、父からその話を聞いたのでした。
本当に河野さんは気の毒としか言いようがありません。
まさに「ペンは剣より強し」です。
坂本弁護士一家が忽然といなくなった時も、なかなかオウムの仕業と行きつけなかった。
坂本弁護士のご両親は、失踪する原因など見当たらないと訴えていたのに、なかなかオウムまで辿り着くことが出来なかったのです。
それから地下鉄サリン事件が起こって、オウムの存在が明らかになったのでした。
事件の内容があまりにも現実離れしていたので、だれもが「まさか」と思わされた許し難き事件の内容でした。
この時の報道のあり方が問題になりましたよね。
「予断を排し、事実の前に頭を垂れる」
と記者は心に銘じたと言いますが。
大変な思いをさせられた河野さんの言葉は、もっと厳しい。
「事件の教訓は、マスコミ総体としてはなんら活かされていない。1つの反省が、次の世代に伝わっていかない」と。
むしろ今のマスコミのニュースの取り上げ方は、さらに偏ってきているように思えてなりません。
河野さんの名誉挽回のためにも、もっとマスコミは心して報道してほしいものです。