介護の大変さを再び思い知る | 鬼妻ファイト日記

鬼妻ファイト日記

毎日の姑とのバトル日記を、完全卒業しました。
10年の在宅介護を終えてからの姑は、施設に2年、療養型病院に
2年入院しましたが、令和4年11月3日(文化の日)に、97歳にて他界しました。
これからは、自分の老後の日記を書いていこうと思っています。

七五三詣りでは、久しぶりに嫁さんのお父さんにお会いしました。

気さくなお父さんで、病気の奥さんのことも話してくださいます。

娘と孫大好きお父さんで、奥さんの介護で大変なのにも関わらず、こうして娘の孫の七五三にも来てくださるし、何より次男宅の草刈りや畑仕事を手伝ってくれる働き者のお父さんでもあります。

そういうところ、どこか私の父に似ている感じがします。(笑)

父も、娘と孫可愛さに、庭の草取り、花壇の世話、垣根の剪定なんかをやってくれたものでした。

 

嫁さんのお父さんは、お洒落な人でしたが、今は奥さんの介護があるので、いつでもすぐに帰れるよう、ラフな格好をしておりました。

奥さんの病気は難病で、症状としてはパーキンソン症状に似ている感じです。

今はもう自分のことは何も出来ません。

ただ、まだ両足で立つことは出来るので、車椅子に座らせることは出来るようです。

一日おきにお風呂に入れてあげていると言うから、驚きでした。

私も初めは、ほとんど毎日のようにナニサマを入れてあげておりましたが、そのうち1日おき、週に2回と減って行き、最後は、土日以外毎日デイでお風呂に入れてもらっていました。

お父さんも介護が5年になると言います。

目を離していた時に、怪我することがあって、救急車を3回呼んだって言っておりましたが、我家とてナニサマで3回救急車を呼んでいます。

介護していても、こんなことはあるのです。

 

お父さんも、初めは介護出来るかと迷ったと言うのです。

今は、ほとんど動かなくなった妻を見放すことは出来ないようです。

出かける時は、水分をしっかり与え、オムツをして出て来るそうですが、3時間が限界だとおっしゃってました。

だから、今は一緒に食事をすることは出来なくなりました。

 

ほとんどしゃべれなくなった奥さんですが、それでも、微かに、

「ありがと……」

って言われるそうです。

泣けちゃいます。

 

お父さんは、お風呂に入れる時に腰を傷めたそうで、それでも病院に行っている時間もないので、自力で治したとおっしゃいます。

なんか凄すぎて、私は頭が下がりました。

私もナニサマを一人で抱きかかえてお風呂に入れてましたが、当たり前でないことを当たり前のようにやってしまうのが介護なんだと、しみじみ思いましたね。

 

奥さんが動けていた時の方が、面倒見れるかどうかって悩まされたそうです。

今は動けないので、怪我する心配はなくなったとおっしゃいます。

確実に動けなくなっていく奥さんを、これからも介護されて行くのでしょうか。

でも、働き者のお父さんだから、上手に息子や娘や孫たちと付き合っているみたいで、孤立してないところが素敵です。

嫁さんも、次男が出張でいなかったりすると、実家に子どもを連れて帰っているみたいなので、親孝行しているようで良かったです。

お父さんも嫁さんも、明るいので救われます。