1年の早さに思う | 鬼妻ファイト日記

鬼妻ファイト日記

毎日の姑とのバトル日記を、完全卒業しました。
10年の在宅介護を終えてからの姑は、施設に2年、療養型病院に
2年入院しましたが、令和4年11月3日(文化の日)に、97歳にて他界しました。
これからは、自分の老後の日記を書いていこうと思っています。

12月ももう3分の2が過ぎました。

1年の時の早さを、感じずにはいられません。

去年の今頃は、ようやく介護の終結の幸せの光が差し始めていた時でした。

いろいろなことがあったけど、過ぎてしまえばすべては泡となって消えていくものなんだなあと。

ブログだけは、そんな記憶をいつまでも留めておいてくれます。

 

あゝそうだったな~、あの人のあの言葉が私を救ってくれたんだなあ~って、思い返すと感謝で胸が熱くなります。

 

つらかったときのブロ友さんたちからのコメント、どんなに助けられたことか。

 

おやおや、まだ終わってないうちからもうセンチメンタル。(笑)

 

私は前にも書いたように、介護をしたことに後悔はしていません。

断っていた方がもっと大きな後悔が残るだろうと思ったので、そのことに関してはまったく後悔してはいないのです。

ただただ、相手が思った以上の怪物であったことが、大きな誤算だったというだけのことです。

 

でも、ナニサマのおかげで、随分勉強させてもらったことも多々あります。

決して無駄ではなかったということです。

 

今日、懇意あるお二方から電話を頂きました。

 

一人は、私たち夫婦の仲人をしてくださった方。

もう40年以上どころか、50年近くのお付き合いです。

子どもたちのことを孫のように可愛がってくださいました。

もうすぐ卒寿だと言っておられました。

奥様がパーキンソン病を患い、長い間一人で介護しながら生活をしておられました。

奥様のことをとても大事にされていた方でした。

奥様も素敵な方でした。

一人娘さんが、近くに嫁いでしょっちゅう世話に来てくれています。

そしてまたたった一人の孫娘さんが、来年結婚されるとのこと。

 

「曽孫を見るまでは頑張るぞという目標が出来たね」と。

 

そしてもうひと方は、次男の嫁さんのお父さん。

この方も奥さんの介護をやっておられます。

どんなに大変でも、施設には頼らないで、最期まで看取るんだと頑張っておられます。

これも愛ですよね。

私のクラッシックコンサートのレポートを読んでくださったとのことで、お父さんも機会があったらコンサートに出かけたいとおっしゃってました。

 

「車椅子で行けますか?」

「もちろんですよ。今は会場にそういうスペースを作ってあるところが多いですよ」

「それなら連れて行けますね」

「息抜きにぜひ!」

と、進言しておきました。

 

こうした電話が来るのも、季節の贈りもののお陰です。

「お歳暮」なんか面倒くさいと言う人もおられるかもしれませんが、年に2回はこうした温かい電話のやりとりが出来るのです。

私は、生きている限り、縁は大切にしたいと思っています。

 

長男の嫁さんのお母さんとも繋がっています。

娘の婿殿のご実家とも繋がっております。

 

私は、ナニサマを反面教師にしました。

おかげで、子供たちも幸せな家庭を築いてくれています。

それだけが、私の誇りです。