同居から介護への悲劇 | 鬼妻ファイト日記

鬼妻ファイト日記

毎日の姑とのバトル日記を、完全卒業しました。
10年の在宅介護を終えてからの姑は、施設に2年、療養型病院に
2年入院しましたが、令和4年11月3日(文化の日)に、97歳にて他界しました。
これからは、自分の老後の日記を書いていこうと思っています。

私は、一度同居を失敗している経験者。

こんなによくできた私でも(爆笑)、あの姑とは暮らせませんでした。

 

それでも子供たちが生まれていくと、お互いのわだかまりも少しずつ雪解けを迎え、普通に行き来するようになっていきました。

 

年に何回か旅行にも行くようになりました。

 

義父が亡くなってからは、夫は週一で通ってました。

 

姑のナニサマ所以は、もうすでに若いころからでした。

 

家族でグアムに旅行に行った時でした。

用意周到のはずのナニサマが、パジャマを忘れたと言い出したのです。日本の宿なら、どこにでも浴衣等が置いてありますが、そこはグアム、あるわけがありません。

 

「何着て寝てもいいんじゃない?」

と、みんなは口々に言いますが、ナニサマは私に何かないかと頼むのです。もうその時から、嫁に頼めば何とかなると思っていたのでしょうか。(苦笑)

私は友達から頂いた新しいTシャツを持ってきていました。

あまりTシャツなんか着ないのですが、一応海に出た時用にと持ってきたんだと思います。

そのTシャツ、ワンピースみたいな長さのTシャツでした。

広げたら、もうナニサマ、大喜び。

「これ、いいわねえ。ちょうだい!」

でした。

 

ちゃっかりしていたのは、もう若いころからです。

 

そんなナニサマが脳梗塞で倒れて同居=介護となったわけですが、まだ私は、30年ほど別居していたからよかったけど、結婚してずーっと同居していてそのまま介護に入ったと言うお嫁さんは、本当に大変だろうなあと思います。

 

それまでにいい関係が構築されていればいいですけど、だいたいは嫁姑のお定まりの確執が出来ているものです。

 

嫌な思いをたくさんしてこられた嫁様たちは、介護まで引き受けるのは大変だったろうなあと推測できます。

 

介護もねえ、おとなしく言うことをきいてくれるいい年寄りならいいけど、たいていは、親風吹かせて優しくしてもらえるのが当たり前のような顔をして、言いたい放題やりたい放題。

常に自分ファースト。

 

そして嫁さんたちは病んでいく・・・。

 

介護したことは後悔してないとはいえ、もっと早く施設に入れたかったなあ~とは思います。

 

今、直面しているお嫁さん、迷うことなく施設を考えても、だれもあなたのことを咎めませんよ。

私たちの人生だってあるんですから、一生懸命働いて子育てして、ようやくゆったりできるんですから、迷うことはありません。

 

あー、人のことだったら、強く言えるのにねえ。(笑)

 

婿さんが、ボソッと

「これから毎週日曜日は、施設通いですか?」

と心配してくれたのが救いかな。