私は、一度同居を失敗している経験者。
こんなによくできた私でも(爆笑)、あの姑とは暮らせませんでした。
それでも子供たちが生まれていくと、お互いのわだかまりも少しずつ雪解けを迎え、普通に行き来するようになっていきました。
年に何回か旅行にも行くようになりました。
義父が亡くなってからは、夫は週一で通ってました。
姑のナニサマ所以は、もうすでに若いころからでした。
家族でグアムに旅行に行った時でした。
用意周到のはずのナニサマが、パジャマを忘れたと言い出したのです。日本の宿なら、どこにでも浴衣等が置いてありますが、そこはグアム、あるわけがありません。
「何着て寝てもいいんじゃない?」
と、みんなは口々に言いますが、ナニサマは私に何かないかと頼むのです。もうその時から、嫁に頼めば何とかなると思っていたのでしょうか。(苦笑)
私は友達から頂いた新しいTシャツを持ってきていました。
あまりTシャツなんか着ないのですが、一応海に出た時用にと持ってきたんだと思います。
そのTシャツ、ワンピースみたいな長さのTシャツでした。
広げたら、もうナニサマ、大喜び。
「これ、いいわねえ。ちょうだい!」
でした。
ちゃっかりしていたのは、もう若いころからです。
そんなナニサマが脳梗塞で倒れて同居=介護となったわけですが、まだ私は、30年ほど別居していたからよかったけど、結婚してずーっと同居していてそのまま介護に入ったと言うお嫁さんは、本当に大変だろうなあと思います。
それまでにいい関係が構築されていればいいですけど、だいたいは嫁姑のお定まりの確執が出来ているものです。
嫌な思いをたくさんしてこられた嫁様たちは、介護まで引き受けるのは大変だったろうなあと推測できます。
介護もねえ、おとなしく言うことをきいてくれるいい年寄りならいいけど、たいていは、親風吹かせて優しくしてもらえるのが当たり前のような顔をして、言いたい放題やりたい放題。
常に自分ファースト。
そして嫁さんたちは病んでいく・・・。
介護したことは後悔してないとはいえ、もっと早く施設に入れたかったなあ~とは思います。
今、直面しているお嫁さん、迷うことなく施設を考えても、だれもあなたのことを咎めませんよ。
私たちの人生だってあるんですから、一生懸命働いて子育てして、ようやくゆったりできるんですから、迷うことはありません。
あー、人のことだったら、強く言えるのにねえ。(笑)
婿さんが、ボソッと
「これから毎週日曜日は、施設通いですか?」
と心配してくれたのが救いかな。