あれから1年・・・ | 鬼妻ファイト日記

鬼妻ファイト日記

毎日の姑とのバトル日記を、完全卒業しました。
10年の在宅介護を終えてからの姑は、施設に2年、療養型病院に
2年入院しましたが、令和4年11月3日(文化の日)に、97歳にて他界しました。
これからは、自分の老後の日記を書いていこうと思っています。

死者58人、行方不明者5人を出した御嶽山の噴火災害から

1年経った。

こういう1年は、部外者には早く感じるものだ。

当事者や遺族にとっては、長くてつらい1年だったことと思う。


また紅葉の時期を迎えようとしている御嶽山。


美しく変貌する山に、遺族の人達はやるせない思いを募らせて

おられるんだろうなあ・・・


実はこの8月12日にもいつものように追悼式が行われた事故が

あったのは皆さんご存知だと思います。


日航機ボーイング747SR-100が御巣鷹山に墜落した日である。

あの事故からもう30年が経ったのだ。


坂本九ちゃんが、乗っていたことで尚更記憶に残った事故だった。

他にも阪神タイガースの球団社長や相撲の伊勢ケ浜親方の奥さんと

子どもさんも亡くなられたり、いつまでも心に残る事故だった。


その中で奇跡的に4人の生存者がおられたのだ。


「文藝春秋」で久しぶりにそのお一人の名前を目にした。


川上慶子さん


当時12歳だった慶子さんは、とても綺麗な少女だったので、

マスコミが追いかけまわしたいう事実もある。


そんな彼女も今は42歳。

結婚もして、3人の子供さんにも恵まれて幸せに暮らしておられる

とのこと。


お兄さんの川上千春さんの独占手記が掲載されていた。


運命の歯車の恐ろしさをそこでまた目にした。


千春さんだけ、北海道家族旅行に参加しなかったのだそうだ。

野球部に所属していたこともあったが、多感な時だったので

家族旅行なんかと思っていたところもあったそうだ。


帰りの日航機は実はキャンセル待ちだったそうだ。

ちょうど4名分がキャンセル分として滑り込みであったので

この便に乗り合わせたと言うのだ。

皮肉なものだ。

彼は、自分が一緒に行ってれば5人だったからその便には

乗れなかったのにと悔やむ。


事故を知ったとき、自暴自棄になったという。

当たり前である。

瞬時に家族を失ったのだから。


そんな川上千春さんの手記を読みながら、胸が熱くなった。


事故、災害は本当につらいです。


防災のこと、やはり真剣に考えていかなくてはと思うこの頃です。