皆さんどうも!戯言使いTKです。
春の様な日和も有れば夏のような汗ばむ気温と真冬のような非常に寒暖差が激しい気候ですが、いかがお過ごしですか。
今年も後2ヶ月ですけど、体感的にはあまり情緒を感じる前に季節感が過ぎて行く感覚に陥りそうなこの頃ですけど。とやかくも言って居られないので日々を過ごすだけですが。しかし季節感が曖昧と言う事は
イベントやしきたりなど、時期が決まっていても何だか例年とは違った印象を感じるのと同時にルーティ的にズレを感じてしまうのです。
特に今年は生活様式(体系)が大きく変わった瞬間なので
より四季の奥深さが印象に残る年だと筆者は考えます。
ところで読者のみなさんは近隣のお寺に参拝や供養に行った事は有りますか
僕は正直言ってお寺に頻繁に訪れる事はないのですが寺の雰囲気には、
引き込まれる物を感じてしまうのです、これも日本人が潜在的に
備わっている色彩感覚、または祈る習慣が僕を誘うのかな。
先人達はお寺の建造とその周りの庭園や風景を一種のアートと捉え、
楽しむ風習が合ったようなので僕の眠れるアートソウルが呼び覚まされる気もしないのでは無い気もします?(それは言い過ぎか!)
でも 僕の場合は心が引きつけられても、
物理的にも身体的にも躊躇してしまう先入観と言うか、イメージが僕に会ったので行けなかったのですが。お寺は来た来訪者に対し悩みを考えさせたり悟らせる場でもあるので意図して階段が多かったり
本殿までの道のりが砂利道など僕らにとっては業の面が強かったのですが、
近年のお寺業界は元々地域に根ざしてる物に+して、
ユニバーサル化が進んでいる気がするので僕からしてはありがたいご利益ばっか何ですけど合理的配慮、様さまだよ。
さてどうして僕が急にお寺について語り出したかと言うと
察しの良い読者ならお気づきだと思うのですがお寺に用事があったですね。服装は黒でグラドーマザーに逢ってきましたんですが。
大変良いお寺で良い供養が出来たと思うのですが
実は僕にとっての一番の業は寺での事ではなくその前の準備たったのです。
誰しもが経験があると思いますが。
あまり着てない礼服をウォークイン、クロゼットから引っ張り出して、
着れなかった事に気づき慌ててしまったし、セットアップの靴は甲が反り返り気味で上手くフィットしないし、僕の場合、服を着る行為自体全身の力を呼吸を上手く操りながら
当事者も援助者も全集中するので疲れるだよなと
流行り言葉を使い例えてしまいましたが。
お寺へ向かうまでの方が、大変たったので、目的地に着く頃には、
物理的や構造面でのバリアは気にならなくなっていたので。
改めてお寺という場所は前に立つだけで景観や雰囲気で
己に援う鬼=(反省点)と対峙させ見つめさせてくれる場だと感じました
次回は服のサイズほこまめにチェックするのと靴はフィットする靴を
選ぶぞ
でも一番は思う心、
戯言使いのTK