子孫へのラブレター㉒(DV) | バァバのブログ

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司会の仕事は楽しかった。

ホテルの仕事より、田舎の公民館などの結婚式では1人で何でもこなしていた。

打ち合わせ、BGMからカラオケ🎤

当時はカセットテープで全てやっていたので、

準備が大変だったけど、時間に縛られたりしなくていい。時には私が炭坑節を歌い、それに合わせ

新郎新婦、会場全員で踊ったり、和気藹々の雰囲気で私も楽しみ、喜ばれる仕事は最高でした。


仕事は順調。

子供も手がかからない。

はじめての子育ては何の苦労もありませんでした


全てが順調に思えたのですが、

普段優しい主人がいきなり、人間が変わったように暴力を振るうようになりました。

主人の仕事は朝早くとはいえ新聞販売店の仕事。

まだ薄暗い夜明けから出かけます。

仕事の内容からしたら、あまりにも安月給。

友達はまだ大学生活をエンジョイしてる。自分は家族を養う為一生懸命。妻は楽しそうに自分より稼いでる。

ストレスからなのか?


振り返ると、私にも非がありました。

心のどこかで主人を愛していない。

どうしても愛せない私がいたのです。

黙っていても、通じるものがあったのでしょう。


主人の実家で同居をしてる時は、姑の看病、義父のお世話、販売店のお手伝いに追われ

夫婦ゆっくり向き合う暇もなく助けあってたのが

少し余裕ができて、向き合う時間もできたからなのでしょうか?


"DV"は突然やってきます。

喧嘩したり、何か私が悪いことをしたのなら、わかるのですが、少し気に食わない事があったら

突然暴れだすのです。

身長180cm近くある男の人にはかないません。

その後は直ぐに我に返ったように、優しい主人に戻り謝るのですが、何度も繰り返す暴力に怖くなり耐えられなくなりました。


私は結婚する時に、母から厳しい言葉をかけられていました。

(貴方は自分で決めて嫁いで行くのだから、何があっても辛抱するのですよ。軽い気持ちで帰ってこないように頑張りなさい)と。


父は優しく(何かあったら、いつでも帰って来なさい。帰るところは、ここなんですからね)と言ってくれました。


母の言葉は常に引っかかっていましたが、

優しい父の言葉を頼りに

子供を連れて行く所のない私は

甘えて実家に帰るしかありませんでした。 


                 続く