子孫へのラブレター㉓(記憶) | バァバのブログ

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実家に逃げるように帰った。


今日は朝から続きを書こうと、いつものように、この時の記憶を辿ろうと思ったのですが、

どうしても思い出せない。

記憶が前後してしまう。


あまりにも色んな出来事があり過ぎて、断片的な

記憶になってしまっているのです。

どうしても先に進めない。


と、いう事で、思い出せることから書いて行くことにしました。


とりあえず、司会の仕事はどこにいても出来た。

会社と繋いでいたら、いつでも仕事はもらえた。

少しずつだけど、司会の仕事をしながら、しばらくは実家にお世話になっていました。


すると、主人が私の知らない間に、私の親戚に相談して、跡継ぎである新聞販売店を辞めて、親戚の経営する、スーパーの中の魚屋で働くように決め私の実家の直ぐ近くに家を借り

引っ越してきました。

(もう一度やり直したい。心を入れ替えて子供の為にも頑張る)との約束で親戚や母の説得もあり又新しい生活がはじまりました。


少しの間、落ち着いたと思ったら、又暴力が始まったのです。


結局、耐えられなくなった私は、遠い福岡の友達のところまで出て行き、子供と2人で生活できる方法を考えていました。


そんな時、

友達の旦那が夜の仕事をしてみないか?

会員制の安心なお店がちょうど今募集している

との事。子供は託児所に預ければ心配ないし、

落ち着くまで、頑張って見たらどうかと博多中洲の高級会員制クラブを紹介してもらいました。


そして、福岡空港のすぐ近くで子供と2人の生活が始まります。


その時、主人は1人、私の親戚のところで働きながら、私の帰りを待っていました。

暴力さえ無かったら、

優しくて真面目で働きものだったのに…

 

                 続く


今日も最後まで読んで下さり

ありがとうございました。



当時の博多中洲は活気があり、この川の辺りは

毎日屋台や露天商。大道芸人なので賑わっていました。毎日がお祭りのようでした。

バブルの真っ只中です。