免罪符
ローマ-カトリック教会が、罪の償いが免除されるとして発行した証書。一五世紀末には教会の財政をまかなうため大量に発行され、ルターの批判を呼び宗教改革のきっかけとなった。
宗教改革のきっかけになった免罪符を旧統一教会清平でも行っていた。
○○万円清平に捧げれば貴方の先祖が解怨される。
○○円献金すれば、家系〇〇代の先祖が祝福を受けることができる。
価格があるものは商売であり、免罪符と同じ考え方です。
今度は「真の父母論」による絵踏が始まった。
絵踏み(えふみ)
江戸幕府が,キリスト教の信者を発見するため,人々にキリストやマリアの像などを踏ませた行為のこと。「踏絵(ふみえ)」は、踏むときに使われた絵(キリスト)や像のこと。
に来たコメントから
1.
私もかなりの違和感を感じますが、これを聞いた牧会者は違和感を感じないのですかね?そこが不思議です。昨日の礼拝の説教では、真の父母論に違和感を感じる者は、原理を知らない者だと言ってました。反対する者に原理を知らないというレッテルを貼って、排除しようとしていると感じました。
「真の父母論」を受け入れるか、入れないか。
受け入れない者は異端者(組織から見たら)としてレッテルを貼る。
逆に言えば「真の父母論」に違和感を感じる人が出ると想定しているという事です。
それに「真の父母論」に対し違和感を感じる者が出ると想定するという事、すなわち幹部も「真の父母論」に違和感を感じたということになります。
自己の経験を基に対策を講じるのは人間心理です。
「統一原理」を聞いて真理だと確信した人は、他の人が統一原理を聞いて違和感を感じる人がいるとは思わないでしょう。
「統一原理」を聞いて真理だと確信したので、親兄弟、知人友人に伝えたいと思ったのでしょう。
「真の父母論」を聞いて、全くその通りだ!これこそ新しい真理だ!と感動し、心霊に響いたのなら、「違和感を感じる者」など、いるとは思わないはずです。
つまり、「真の父母論」は日本の幹部や教理担当者も違和感を感じ、絶対真理として素直に受け入れたのでなく、韓国本部の圧力で仕方なく「正しいのだ」と、本心を捻じ曲げているという証なのです。
自由人の幸福日記
----<引用開始>----
実際につまづいたらどうなるだろう?受け入れることができないことを表明したらどうなるだろう?と予想してみた。
(1)分派を疑われる。分派扱いをされる。レッテルを貼られる。つまり、教会員のコミュニティから村八分にされる。
(2)子女の祝福が難しくなる。「子女を祝福対象者として推薦できなくなる」と脅される。
(3)「聖霊に逆らう者は救われない」という聖句を使って、地獄に落ちると脅される。
(4)教会から少しでも給料をもらっている公職者やスタッフであれば、直ちに辞めさせられる。
あ~、このどこに真の愛があるんだろう?
どうやって地上に天国を作るんだろう?
どうやって万民を救うんだろう?
上記は私の勝手な予想であるが、もしも、長年共に御旨を歩んできたメンバーに対してそんな仕打ちができるんだったら、それこそが「ニセモノの証明」ではないだろうか。
(中略)
「信仰の自由を!」と世間に叫びながら、教団内で差別(レッテル貼りと排斥)するとしたら、とんでもない矛盾だ。
----<用終わり>----
自由人幸福日記のブログ主様も最後に
良心に背くことのほうが恐ろしいと締めくくっています。
私もそう思います。
食口の皆様!!
「真の父母論」に違和感を感じたら、それが良心の声です。