2020年10月11日「祝勝会」講話から。 | yosia621のブログ

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「祝勝会」お母様の講話

(2020年10月11日<ビジョン2027勝利のための新しい体制構築> )

より引用します。

<引用開始>

聖書にもあります。「あなたがたが地上で解くことは、天でもみな解かれるであろう」(マタイ18・18)と言うのです。
地上が重要です。それゆえ、皆さんは瑕と欠点のない生涯を生きるためには、絶対的に独り娘・真の母と一つとなり、摂理の完成に向かって進まなければなりません。
その道だけが、皆さんが天の父母様の祝賀と祝福を受ける立場になるということを、肝に銘じてくれるように願います。そのような点で、私の歳は少なくありません。

地上で天の父母様が思いどおりにできるご自身の子女を探し立てなければならないということが、真の父母の使命でもあります。

<引用終わり>

 

地上で解くことは天でも皆解かれるであろう(マタイ18・18)」とあるように地上生活が主体であり霊界は対象です。原理講論にもこのように書いてあります。


第2節復活摂理

(3)霊人に対する復活摂理
『第一に、悪霊人をして、直接その地上人に接して悪の業をさせて、その地上人が自ら清算すべき罪に対する蕩減条件を立てていく方法である。第二には、その悪霊人がある地上人に直接働くのと同じ程度の犯罪を行おうとする、他の地上の悪人に、その悪霊人を再臨させ、この悪人が実体として、その地上人に悪の業をさせることによって、その地上人が自ら清算すべき罪に対する蕩減条件を立てていく方法である。
  このようなとき、その地上人が、この悪霊の業を当然のこととして喜んで受け入れれば、彼は自分かあるいはその祖先が犯した罪に対する蕩減条件を立てることができるのであるから、その罪を清算し、新しい時代の恵沢圏内に移ることができるのである。』

 

霊界にいる先祖の罪は後孫が蕩減条件を立てることで清算される。

この「蕩減条件」とは「献金」ではなく、その状況を恨みに思わず甘受し感謝していく事です。その時に初めて先祖は解放されると原理講論に書いてある通りです。

 

『善なる霊人たちは、地上の善人たちに再臨して、彼らをして神の復帰摂理の目的を成就せしめるように協助することによって、ついに彼らと同一の恵沢を受けるようになるのである。(原理講論)』

「恵沢」とは霊人体の成長にほかならない。

 

では清平の先祖解怨とは?先祖を解怨し祝福するのに決まった金額を献金しなければならないというのは、原理講論における先祖の罪の清算とは違うという事になります。

 

韓総裁は地上生活が重要な理由を「絶対的に独り娘・真の母と一つになる」と言っています。

 

「創造原理によれば、人間の霊人体は神から受ける生素と、肉身から供給される生力要素との授受作用によってのみ成長するように創造された。」と原理には書いてあります。

 

地上生活が重要な理由は永生する霊人体の成長する為です。それは個性完成と子女繁殖(家庭完成)などの三大祝福完成には肉体が、地上生活が必要不可欠なのです。

 

原理と矛盾なく受け入れるには「生力要素」が「独り娘・真の母と一つになる事」と同意語と理解するしかありあません。

 

しかし、その「独り娘」が間違っていたなら、その間違った「独り娘」と一つになっても「生力要素」にはならず霊人体の成長にはつながらないのです。韓総裁が発する「独り娘・独生女」は今まで当ブログで主張してきたように文師の思想とは全く違うからです。

 

そもそも、「独り娘・真の母」と一つに、と述べていますが、「真の父母」と一つに、と夫である文師も含めるべきだと思います。

 

教権幹部は「お母様はお父様と完全一体なので、『真の母・独り娘(独生女)』と言えば既に真のお父様も含まれているのす」と強弁するでしょうね。夫(主体)である「文師」を含むとう考え方自体が根本的に間違っているといえるでしょう。

 

「地上で天の父母様が思いどおりにできるご自身の子女を探し立てなければならないということが、真の父母の使命でもあります。

 

この一節を読み親としての皆様は思い通りにできる子供を望みますか?

ましてや愛の本体である親なる神が、ご自身の思いとおりにできる人間をほしいと願っていると思いますか?

答えは「否」です。

 

では何故このようなメッセージを発しているのか?

 

何故神が、神御自身が思いどおりに出来る子女を求め、その子女を探すことが真の父母の使命の一つと思ったのでしょうか?

 

それは韓総裁自身が自分の思い通りに出来る人がほしいという思いの投影です。自身の強い願望があたかも神が探していると思い込んでの発言と分析できます。

 

神の願いを自らの主体的意思で果たそうとする子女を探しているとは思いますが、神御自身が思いどうりにできるロボットのような子女を願っているとは到底考えられません。

 

神の願いを自らの主体的意思によって果たそうとする人がメシアであり、文師その人であります。その文師は氏族のメシアになりなさい、小レバレント・ムーンになりなさいとも言いました。

 

主体的意思によって神の願いを果そうと懸命に生きている子女を探すのであって、思いどおりになる子女を探しているのではないと思います。

 

 


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