苦難とか、旅の意味とか | My Blog

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就活を初めて半月くらい。


思うように進まない。


そう簡単にいくなんて思ってもいないけど。


やっぱり経験のなさ、語学の弱さが問題なんだろうか。


修士が終わったところで改めて英語とフランス語の勉強をすることになるとはね。


どんなに楽観的に見積もっても、あと5年から10年近くは経験を積まなくてはいけないのかもしれない。


自分がやりたいと思ってる人権や人道支援の仕事にたどり着けるまでに時間がかかるのは歯がゆい。


だって今まさに困難に直面している人や命の危険にさらされている人がたくさんいる。


そうした人たちは5年も10年も先の支援や改善を望んでいるわけではなく、「今」生き抜くことに命がけなのだ。


パレスチナで起こっている紛争やナイジェリアのボコ・ハラムによる暴力、西アフリカのエボラ、アジアで行われている人身売買。


それだけじゃない。


いろんな形で差別や搾取、迫害を受けている人々のことを少しでも知ってしまった以上、彼らに寄り添うことができればと思う。




話は変わって、今日、ついついドラマを見てしまった。


よりのもよって「深夜特急」を見た。


もう何年も前に、当時の彼にネパールからインドを旅する巻を借りて読んだことがある。


一人で安いドミトリー泊まって見知らぬ人たちと話したり、時には誰とも話さなかったりという旅が大好きだが、今はそんな気ままな旅をする意味が前よりもぼやけてる気がする。


何の目的もなく、ただ歩を進める旅でも得るものはある。


異なる文化や価値観にぶつかり感動したり引いたりしながら自分の中で新たな価値を作っていくのはとても楽しいと思う。


でも、それぞれの土地で生活をする人たちに出会う度に自分が外国人でありどこにも腰をおろしていない事実を痛感する。


みんなに歓迎してもらえるけど、つまりはいつまでもお客さんだということ。


違いすぎる価値観を集めたあと、自分がどうなるのかがわからない。


ただ世界の広さに愕然として「暮らし」への憧れが強くなるばかりだ。


旅への欲求はまだ沸くし、行ってみたい場所もたくさんある。


その一方で徐々に知らない文化や価値観に触れることに怖さを感じる。


セネガルの友だちの多くは「日本に行きたい」とか「ヨーロッパに行って成功したい」とか言うのに


ある友だちが「俺はセネガルにいる。別にヨーロッパとか行きたくない。セネガルが大好きだし、やることも守るものもある。それで十分なんだ」と言った。


かなり胸を打つ素敵な言葉だった。


大切な人や文化に囲まれた暮らしがどれだけ価値あるものなのか。


生まれた国に大切なものがあるとは限らないけど、外の世界を知らなくたってちゃんと満足できればそれ以上広げる必要もないのかもしれない。


何かの記事で読んだ、最近の若者は地元への愛着が強いというのも素敵なことだと思う。


憧れちゃうな、定住。