【私と臨床検査】 5.少しの優越感が大きな味方
町の期待を裏切らないように!
自分の人生設計はブルートレイン車掌であったのに!
杏林学園短期大学で臨床検査技師を目指すことになった。
野球ばかりに明け暮れたこれまでの人生!
学力に対する不安は隠せなかった。
でも、検査の現場を1年経験したので、現役の仲間より少し優越感があった。
糖尿病?
お腹がすいて、お腹がすいて ???
おしっこがいっぱい出るよ ???
のどが渇いて ???
このような症状は「多食」、「多尿」、「多喝」と言って、糖尿病の3大症状で、既に知っていた。
むしろその先、 その先を学べる事が嬉しかった。
なぜ、お腹がすくの?
お腹がすいているわけではなかった。
糖尿病は、インシュリンと言うホルモンが出なくなってしまうので、胃や腸の中、血液の中にはたくさんのブドー糖があるのに、頭の脳細胞の中にブドー糖が到達しないのだ!だからいくら食べても、食べても脳細胞が「腹へったーーー」と騒いでいるんだよ。
なぜおしっこがいっぱい出るの?
なんて事はなかった。
インシュリンが無いため、ブドー糖は体中の細胞の中に到達してエネルギーとして使えないため、血液の中をぐるぐる回っているだけ。
しかし、ブドー糖は腎臓を通過する時、ある濃度(180mg/dl)以上になると、尿の中に排泄されてしまうのだ! これが糖尿病さ。
でも、たくさんのブドー糖を尿の中に出す為には、たくさんの水で薄めてやる必要があるんだ?
だから、多尿になるってわけさ!
なぜ、のどが渇くの?
ここまで来れば答えは簡単。
多尿になるからだよね。
糖尿病ではコレステロールが高くなる。
糖尿病以外でもコレステロールが高くなる病気があるんだ。
それは、腎臓の病気でネフローゼ、肝臓の病気で閉塞性黄疸、甲状腺の病気で甲状腺機能低下症、があります。
なぜ、糖尿病で?
なぜ、ネフローゼで?
なぜ、閉塞性黄疸で?
なぜ、甲状腺機能低下症で?
なぜ?・・・という疑問を一つ一つ解明していく事が勉強であり、すごく楽しかった。
いくら調べてもわからなかったのがネフローゼであった。
悔しいけど、勝目教授に聞くことにした。
答えは、「ネフローゼは、尿から大量のアルブミン(蛋白質)が出てしまう病気、そうすると血液の粘度(粘り気)がなくなってしまうので、その粘度を補うためだよ」・・・であった。
了解!・・・でも、どんなメカニズムで・・・というところまではわからなかった。
いつかまた聞いてやるぞ!
こんな風に、楽しんで勉強に打ち込めた。
チョットした優越感が、心のゆとりになって、たくさんの「なぜ?」を学ぶことができた。
次第に、臨床検査技師として町に貢献できる自信がついてきた。
杏林に来て良かった。
臭いは病気のサイン Part 4
パンツが“まっ黄黄”
嫌な臭いに加えて、黄色いオリモノ
しかも、泡っぽい!
今は少なくなった病気ですが、40年前は10人に1人位この病気に!
トリコモナス原虫
トリコモナスという虫の感染です。
中央付近に、緑色に染まった原虫が4匹見えます。
お風呂(温泉や浴場)の座椅子から感染することもありますので、よく洗い流してから使いましょう。
感染の大半は、性行為です。
臭いより、オリモノのにびっくりするかも知れません。
性器の痒みも特徴の一つです。
042-652-0750
http://www.ilabo-cyto-std.com/
【私と臨床検査】 4. 杏林学園短期大学に進学
8月には、一年前倒しで杏林学園短期大学を受験することを決めた。
今考えても不思議なことに、目標は“杏林”一本であった。
多分、副院長先生の意向が強かったのではないかと思う。
先生の「スタッフがいいよ」・・・と言う説明の中に、野辺地先生や勝目先生の名前が出ていた。
杏林は開校2年目の新設の短期大学で、推薦入学の道があった。
校長の推薦状と病院長の推薦状を持ち、せめて願書だけでも一番先に出そうと考え、杏林へ。
当時、吉祥寺駅のホームは板張りで、東京とは言え、かなり田舎の印象が強かった。
バスで20分程走ると、さらに田舎の臭いが強くなり、畑の向こうに病院らしい建物、そこが杏林学園短期大学であった。
大学と言うより、病院の一角に校舎があるといった感じである。
まだ、学生は登校していないのか(休みなのか?)、人影もまばらであった。
恐る恐る事務室を覗いても、人の気配はない。
廊下の奥の方から人の足音が近寄って来た。
「どうしたんだい」・・・と言う声がした。
「願書を持ってきたのですが?」・・・と言うと、
いきなり封筒を開け、「君大丈夫だよ」の一言。
「合格」と言われた気がしたが、そこまで断言できる記憶でもない。
いすれにしても、2期生として入学できることには間違いないといった対応であった。
学校長と病院長の推薦状が決め手になったようである。
入学後に分かったが、その時願書を受け取ってくれたのは学科長の野辺地慶三先生であった。
町から学費と給料をもらいながらの学生生活が始まった。
当面、錦糸町に住む叔父の家から2時間近くかけて三鷹の大学まで通うことになった。
臭いは病気のサイン Part 3
あそこが痒いーーーー!
白いオリモノが多くありませんか?
おかゆのようであったり、
カッテージチーズのようであったり、
お豆腐をつぶしたようであったり、
色々です。
膣カンジダ症
それに、嫌な臭いが伴う事もあります。
妊娠中
風邪などで抗生物質を服用した後
など、ごく普通の人がかかる病気です。
性行為で感染が広がる病気ではありません。
このようなカビが膣内にはびこります。
こんな相談がありました。
子宮がんが心配で、検査を受けましたが、本当はカンジダ症で悩んでいます。
膣の中からおからのような白いカスが、かき出してもかき出してもたくさん出てきます。
性交渉では、主人のペニスに白いカスたくさんついてきます。
気にしなくていい・・・と言ってくれますが、病院に行ってもなかなか直りません。
助けて下さい!
なかなか治らない事も!
そうならないように、早目にチェックしましょう。
婦人科の先生も見た目ではわからないことがあります。
そんなときは
トリコモナス、カンジダ、細菌性膣症の鑑別検査の依頼があります。
オリモノが心配なときのお一押しは
●女性7種 婦人科トータルセルフチェック
子宮頸癌(HPV),クラミジア、淋菌、細菌性膣症、トリコモナス、カンジダ、膣炎
子宮頸癌(HPV)検査が不要な方
■女性6種
子宮頸癌(HPV)、淋菌、クラミジア検査が不要な方
■女性4種 臭いオリモノの検査
【お申込みは】
電話:042-652-0750
http://www.ilabo-cyto-std.com/
臭いは病気のサイン Part 2
おい、最近臭いぞ!
私の友人が、彼の奥さんに話した一言。
更に、追加でもう一言。
今度、子宮がんの検査を受けてみろよ!
この会話が奥さんを救いました。
初期の浸潤癌 Ⅰb期でした。
既に、7年が経過し、再発はありません。
臭う前に年に2度は子宮のメンテナンスをしましょう。
電話 042-652-0750
http://www.ilabo-cyto-std.com/
ある女医さんからの検査依頼書には
臭い(+) 臭い(++) 臭い(+++) ???
子宮頸癌検査の依頼書に・・・臭い(+)・・・が連発
先生に問合せると・・・
お父(婦人科医)さんが、「診察の時気付いたことは書いておきなさい」・・・と言うので。
ところが
臭い(+)と書かれた人の膣内にはこんな細胞が・・・
それは細菌性膣症という病気です。
健康な膣の中にはたくさんの乳酸菌が住み着いています。
下の画像では細い針のように見える細菌です。
乳酸菌が住み着いていることで、膣の中に悪い菌が侵入してもその菌が増えるのを抑えています。
それは、乳酸菌が酸をつくって、膣の中が強い酸性になっている為です。
皆さんは乳酸菌を大切にしていますか?
膣洗浄やビデで膣内を洗っていませんか?
魚臭帯下 (魚の生臭いようなオリモノの臭い)
大変嫌な臭いです。
パートナーに不快感を与えます。
黙って貴女から去っていってしまう事も?
性病ではないかと疑われてしまうことも!
髪や顔と同じ様に、年に2度は子宮のメンテナンス!
子宮美人になりましょう。
お問合せ
042-652-0750
http://www.ilabo-cyto-std.com/
クラミジアに感染すると出血することも
クラミジアがまだあまり知られていなかった頃
ある産婦人科の先生から、不正出血で悩む人の子宮頸癌検査(細胞診)の依頼がありました。
その時の結果はクラスⅡで“扁平上皮化生細胞”が見られると言う診断でした。
その2週間後、また同じ人の検査が提出されました。
今度は、私が顕微鏡で検査しました。
その結果、
このような細胞が見られ、クラミジア感染と診断しました。
その後、Dr.クラミジアはこの細胞を星雲状封入体 Nebular inclusionと名付けました。
この婦人科医は、その患者さんは癌ではないかと心配して、
続けて検査したんです。
とことがクラミジアと聞いて
すぐにクラミジアに効く抗生物質を投与すると
みるみる改善!
Dr. クラミジア・・・・大変喜ばれました。
性交後の出血(接触性出血)は要注意!
心配なときは すぐ アイラボへ
TEL 042-652-0750
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【私と臨床検査】 3.期待と不安
検査の仕事にも少し慣れた頃、仕事帰りの足先は母校(高校)に向いていた。
久しぶりに後輩を鍛えようか? 向かう先は野球部のグラウンドであった。
自分のグローブを買ったのは小学校4年生の頃であった。
小学校1年生の秋、町の小学校から村の小学校に転校した。
父が小さいながらも私達の家を建ててくれたのである。
引っ越しを機に、部落8軒程の新聞配達を始めた。
その貯金を下して買ったものだ。
野球を始めるには訳があった。
転校してから4年生の秋まで、ほとんど毎日喧嘩に明け暮れていた。
今で言う「いじめ」・・・と言うより、私の場合は、やられたらやり返す。
決して負けてはいなかった。
学校帰り道、喧嘩仲間の待ち伏せをいかに巻いて帰るかを考えるのが日課であった。
しかし、とうとう4年生の秋に大きな事件が起こった。
その日はお墓の道を帰ることにしたが、それが選択ミスであった。
5ー6人が待ち伏せていた。それぞれ結構太い棒を握っていた。
かなり激しい喧嘩であったようである。
近くで農作業をしていた人達に助けられたようである。
しかし、このまま家に帰ったら父にばれてしまう。
田圃(たんぼ)の道にある清水で体を洗い、少し休んでから帰宅した。
家に帰ると既に担任の先生が心配して駆けつけていた。
仲裁した人が学校に通報したようだ。
大事には至らなかったが、この事件を契機に喧嘩と縁を切った。
無抵抗に徹したが、しばらくは手ごわい攻撃が続いた。
そんな時期、特に野球に興味があったわけでは無いと思うが、休み時間になると無心でバックネットにボールを投げつけていた。
野球というより、もう喧嘩はしない!・・・と自分に言い聞かせていたのか、それとも何かに熱中したかったかも知れない。
いつの間にか、「野球きちがい」と言われるようになっていた。
そんなことがきっかけで、中学、高校は野球部に在籍した。
話は横道にそれてしまったが、高校へ向かったのには、後輩を鍛えると言う事よりも、野球部の監督(先生)に将来のことを話したかったのかもしれない。
高校時代特に勉強に力を入れた覚えはなく、“進学”と言う言葉は私には無縁であった。短大にしろ、専門学校にしろ、そこに入れる学力が無いことを自分が一番知っていた。
そんな不安な心を先生に話し、相談したかったのだろう。
しかし、その話を切り出せなかった。
夏が過ぎた頃、杏林学園の願書を取り寄せた。
そこで“推薦入学”という字を目にした。
副院長先生にもそのことを伝えたところ、高校の推薦状と院長の推薦状があれば大丈夫でしょう。
いとも簡単な返事が返って来た。
その日の決意は、 「絶対に臨床検査技師(当時は衛生検査技師)になる。頑張れば俺だって何とかなる。」であった。
【私と臨床検査】 2.副院長先生のお話
辞令交付後、新入職員全員で記念撮影していた時、黒塗りのクラウンが滑り込
んできた。当時の大衆車はカローラ、ファミリアなどで、クラウンは公用車の印象が強かった。
それはなんと病院から私を迎えに来た車であった。
驚きの連続で、人生初めて緊張していることを実感した。
病院に着くと副院長室に通された。
赤ら顔で、にこやかな表情で迎えてくれた。
内科が専門の越川先生である。
「今日から検査の仕事をして頂くことになりました。
急な話で驚いていると思うが、宜しくね」・・・最初の言葉であった。
「これからの医学は、検査が中心になります。
検査をする人は専門学校に行き、衛生検査技師の国家資格をとらなくてはなりません。
椎名君は大学に行くつもりで、2年間病院で検査助手をし、その後2年制の専門学校に行くことになります。
椎名君の将来を考えると、専門学校より今年新設された杏林学園短期大学の方がスタッフも充実しているのでよいと思うが…その辺はじっくり考えよう。」
つい数時間前まで考えていた自分の人生が、とんでもない方向に進んでいることへの喜びと不安が入り交じり、ただ「はい」「はい」と答えていた。
でも、何か大きな夢が広がりそうな期待に満ち溢れ、「吉次さん、ありがとう」と大声で叫びたい思いであった。
「人間は間違いを起こす動物です。間違いに気付いたらすぐ上司に伝えて下さい。」この言葉は、臨床検査の仕事をはじめて最初の教えであるが、検査の仕事だけではなく、日常生活の中でも「間違いに気付いたら先ずは伝えるべき人に伝え、対応はその次に考える」そんな生活習慣が身に着いているような気がする。
【私と臨床検査】 1.医学への第一歩
1962年4月1日午前7時45分、いつものように家の前のバス停に立っていた。
新学期が始まる前とあって、を待つ乗客は町の病院で看護師として働いている吉次千代(よしつぐちよ)さんだけ。
私は生まれて初めての背広姿。
そうです。
それは最高に楽しかった高校生活も終え、社会人初日の朝でした。
9時に役場の会議室で辞令が交付されることになっていた。
建設課ではないかとの情報もあったのでそれほどの緊張感はなかった気がする。
いつもの学生服とは違う私の姿を見逃す吉次さんではなかった。
吉次:「椎名君今日はどこに行くの?」
「今日から役場で働きます。建設課らしいです。」
「そう?・・・(しばらく沈黙の後)・・・
ところで椎名君は顕微鏡を見たり、試験管で
病気の検査をすることなんか嫌い」
「エッ・・・? 病院で検査をする仕事のことですか?」
「そうよ・・・嫌い?」
「小学校4年生の頃、お医者さんになりたいと思った時があったけど・・・多分長男
だし、父の後を継いで国鉄(今のJR)に行くことになるだろうと思っていたので、
深く 考えませんでした。」
「そう・・・? それなのにでどうして役場に就職したの?」
「今年、国鉄の採用がなかったので、役場を受けました。」
「病院の薬局や検査室には、役場の職員として採用された人が、助手として働いて
いるのよ」
「エッ? 病院の検査室で働けるんですか?」
「今、検査室も大変なようだから・・・?」
こんな会話をしているうちに町に着き、8時30分には役場に到着していた。
図書館で時間をつぶすことにしたが、本を読むことが最も苦手であった。
中学の頃、国語の時間に、本を読むより、テレビやラジオで見たり聞いたりする方が簡単でいいと答えたら、先生にお目玉を食らったことがある。
そんな私が選んだ一冊は、ブルーバックスの「血液の話」であった。
これから建設課の辞令を頂く私がなぜ「血液の話」なのか?
この時点で、ほんのわずかではあるが、臨床検査技師への細く淡い光が見えていたのかもしれない。
9時少し前に会議室に行くと、剣道部のS君、卓球部のK君、その他に同級生の女性3名の顔があった。しかし、9時になっても、10時になっても辞令が交付される気配がなかった。結構いい加減なものだな・・・というのが、社会人になって最初の印象であった。11時を廻った頃であったと思うが、いよいよ辞令の交付が始まった。
それは驚くことに「椎名君、多古中央病院検査科勤務を命ずる」であった。
後に聞いた話であるが、バスで別れた吉次さんは病院に着くやいなや私の件を婦長さんに、婦長さんから院長先生に、そして9時5分前に院長先生から町長さんにそのことが伝えられ、辞令交付がストップ、それから2時間余り緊急会議が招集されたようである。辞令が遅れた原因は何と私が原因であった。
私を医学の道に導いてくれたのはこんな劇的なドラマのお陰である。