◎「死にたい」から「生きたい」へ変わる勇気を持てたとき、潜在意識は現実を変えてくれる。 | 斎藤芳乃オフィシャルブログ「Mariage School 心の花嫁学校」Powered by Ameba

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今回は、少しだけ重い話題になります。

 

 

 

そのため、

 

 

まだトラウマが落ち着かないという方や、まだシビアな話題に心が震えてしまう…という方は、また落ち着かれましたらご覧になってくださいね。

 

 

 

 

でも、必要な方に届いてほしい。

 

その願いを込めて、伝えさせていただきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「死にたい」というときの対処法について、です。

 

 

 

 

 

先日、「年末、自殺を考えるほど鬱状態だったのに回復しました」と、とても素敵なお便りをいただきました。S様、本当にありがとうございます。

 

 

 

 

 

「死にたい」と言うと、どうしても「どうしてそんなこと思うの?」と言われてしまうこともあるかもしれません。

 

 

 

でも、繊細で一生懸命生きている優しい方ほど、

 

そうした思いをしてしまうことも少なくないのでは、と思います。

 

 

 

 

だからこそ、「死にたい」ということを、決して、言ってはいけない、ダメなことだとは思いません。

 

 

 

 

 

 

ただ、一つだけ、覚えておいてほしいことは、

 

 

「死にたい」というのは、潜在意識的に見れば、「自分を殺したい」ということ

 

 

になってしまう、ということです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なぜ、そこに気づけたのか?

 

それは、私自身の経験でもあります。

 

 

 

 

 

過去、親との苦しい関係や虐待、挫折、落第、お付き合いする男性にモラハラばかりを受ける、そうしたことが続いたことで、まだ若かった学生時代、私自身も「死にたい」と思うことがよくありました。

 

 

 

 

 

 

そうした辛い思いをさせられてしまう、それを改善できない、

 

こんなに辛いのならば、もう消えてなくなってしまいたい。

 

 

そんな気持ちが、「死にたい」という言葉になって現れていました。

 

 

 

 

 

自分なんていなくなればいいのに。

 

自分なんて、生まれてこなければよかった。

 

 

そう、強く強く、思ってしまっていたのです。

 

 

 

 

 

 

でも、気づいたんですね。

 

 

「私は本当に死にたいのかな?」ということに。

 

 

死にたい、消えたい、と、思っている。

 

 

 

 

 

 

でも、本当の願いは?

 

 

そう考えてみると、私の本当の願いは「死にたい」ではなく、「本当は生きたい」だったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本当は、生きたい。

 

 

 

 

本当は、こんな思いをさせられずに、自分という存在を生かしてあげたい。

 

本当は、こんな目に遭わずに、私という存在を大切にしてあげたい。

 

 

 

 

 

 

でも、私が考えていたことは、真逆だったのではないだろうか?

 

 

「死にたい=私を殺したい」

 

 

こんなにも、自分に対して殺意を持っている。

 

 

 

自分の存在を消してやりたいと、積極的な憎しみを持って自分に向き合っている。

 

 

 

 

 

 

私が死にたい=私を殺したいだからこそ、

 

死にたくなるような現実がやってくる…。

 

 

 

 

 

 

 

「そうか、私を追いつめていたのは私だったんだ」

 

 

気づいて、泣きました。

 

 

 

 

 

 

 

自分を殺していたのは私。

 

私を殺そうとしていたのは私。

 

 

 

 

だから、現実もそうなっていた。

 

 

 

 

でも、本当に願ってあげなければいけなかったのは、

 

 

「生きたい」

 

「自分を、生かしてあげたい」

 

「自分を、こんなところから出してあげたい」

 

 

だったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

生きたいと願うことは、ずっと死にたいと願いながらようやく生きていた私にとって、恐ろしいほどのチャレンジになりました。

 

 

 

 

だって生きたいって言って、もし辛いことが起きたらどうするの?

 

死にたい、何かあったら死ねばいいんだという安全な逃げ場がなくなったら、一体、どんなふうに変わってしまうの?

 

 

 

 

 

 

とても、とても怖かったです。

 

 

普通の人が、普通に生きている。それが当然になっている。

 

 

でも、私にとっては、「生きる」という決断をすることは、自分の中のセイフティ装置をはずしてしまうくらい、死ぬほど怖いものでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

怯えながら、震えながら、泣きながら、

 

 

「生きたい」

 

 

そう、願ってみる。

 

 

 

 

怖かったです。

 

 

でも、「潜在意識が反対になれば、現実もまた変わる」というロジックに気づき始めていた私は、このチャレンジにかけてみたのです。

 

 

 

 

 

その結果、

 

 

「生きる」「自分を生かしたい」と思えたことで、私を生かそうとする人と出会うことができました。

 

 

 

 

当時の心理学、哲学、ヒーリングやスピリチュアルなどの勉強仲間や、教えてくれる先生、私を雇いたいと言ってくれたサロンのオーナーなど。

 

 

 

 

生きたい。

 

 

その想いが、結果的に、

 

死にたいと願いながらようやく生きていた時には引き寄せられなかった世界を、引き寄せることができたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

生きたい。

 

だから、生かそうとしてくれる世界と、人たちに出会えた。

 

 

 

それ以来、辛いことがあるたびに思うことは、

 

 

「私は生きたい」

 

 

に変わりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上記で書かせていただいたように、死にたい、というのは、ある種の自分の心を守るための手段でもあると思います。

 

 

 

もしも何かあれば、これ以上、辛いことを耐えなくていいように。そうした思いは、決して責められるべき思想ではないとは思います。

 

 

 

 

 

 

ただ、人生を変えることができた。その経験をしたものとして、

 

 

人生をもし変えたいと思うのであれば、その思いを、「生きたい」に変えてあげてほしい。

 

 

そう、心から願います。

 

 

 

 

 

 

生きたい、

 

幸せに生きていたい、

 

自分を生かしながら生きたい、

 

自分らしく生きていたい、

 

ありのまま生きたい、

 

生きて幸せになりたい。

 

生きて幸せを感じたい。

 

 

 

 

 

 

 

生きるということは、素晴らしい言葉でもあります。

 

 

キリスト教の言葉に、「自らを助けるものを神は助ける」という教えがあります。

 

 

「生きたいと思う」「生きたいと願う」その人のもとに、助けは訪れる。

 

 

 

 

長い間そうは思えなかったけれど、今は、私は生きたいと願いながら、生きていてよかったと思えるようになれるようにお手伝いをさせていただいている、素晴らしい人生を生きられています。

 

 

 

 

 

 

 

だからこそ、あなたの中の「死にたい」が、いつかゆっくりと、「生きたい」に変われますように。

 

 

そのことを、心から願っています。

 

 

 

 

 

箱根の夜桜です