塾生達の熱い思い | 富山よしのぶオフィシャルブログ

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全国を飛び回って感じることがある。

「塾生」という名の志士の熱い思い。

特に地方は「政治」というのは地元の団体や組織が「見返り」を求めるのが当たり前の風潮がある。

そもそも、政治は既得権を作る手段であり、「おらが村」を作る場所なのである。

ばらまき政治がメディアでは騒がれるが、それを日本全国で是としているのが実態。

結構びっくりな感覚。 「日本列島が沈没しますよ!」と騒ぎ立てても、「自分の利権が守られればそれでいい」というのが政治なのだ。

政治家は票を欲しがる。 日本を何とかしようと思うのではなく、自分が政治家で居続けたがる。

「先生」とそんなに呼ばれたいのだろうか。 それとも利権を作ってお金が欲しいのだろうか。 それとも自分に権力が集中することを嬉しいと感じるのだろうか。

もしくは、他の業界で生きていける術がないからしがみついているのだろうか。

まぁ、あまりろくな人種がいる業界ではないことは確かだ。 表裏ばかりで、まともに直球のボールは投げてこない。

狸ばかり。

しがらみ感じてびびって何もできない政治家ばかりなのに、この国の危機を救う事なんてできないだろうなぁ。

岩手、宮城、愛知、福岡、大分、東京、神奈川、また岩手とこの一週間まわってきた。

政治はそういう世界だと再認識。

ところが違う人種がいる。

塾生という名の元に集う志士たち。 維新塾塾生との交流が大半だが、「塾生」という名の志士は他にもいる。

彼らは日本を本気で憂い、仕事や仕事への取り組み方を変え、時間を作り、資金を用意し、自腹で日本を変えるためにどうするべきかを議論しあい、地方政治や国政にチャレンジしていく。

しかし、共通しているのは、彼らは利権団体や組織みたいなしがらみを持たない。 だからピュアであるのはいいが、選挙となると気持ちと志だけなので、実際に政治無関心層に訴えても票は集まらないというジレンマ。

浮動票を集めるのは至難の業。

有権者の取り得る情報はテレビやマスコミからのフィルターのかかった情報だけに、表面的なムードで「今はどこどこの党だな」とか言い始め、適当に票を入れる。

この構図自体が日本沈没に拍車をかけている。

塾生の熱き思いと行動は水の泡になっている。

まるで幕末の無名の志士たちのように。

でも、大同団結ができれば。

薩長同盟を皮切りにいっきに倒幕ムードに持って行き日本のしくみを変えた明治維新のように敵味方別れることなく志士が大同団結しなければならない。

まさにその動きを今起こさなければ。

参院選とかちっぽけな話ではなく、今後の日本の未来のために動く必要がある。

5月11日。

東日本大震災から2年と2ヶ月。 復興のために使われるはずの予算が違うところで私利私欲のために使われる。

命よりお金と保身と利権で動くこの国。

借金は今は借りて、支払いは未来の子ども達に。

腐っとる。 人間が腐っとる。

これは政治の話ではないと思う。

日本人一人一人の公益を考えない行動が呼び起こしている現象だ。

国難の時に過去日本は必ず不死鳥の如く蘇ってきた。

それは国難に瀕した国民が自分自分を叫ばず、「公益」を考え、全体のために我慢するところは我慢するとしてきたからだ。

一致団結しなければならない時代に、結局自分さえよければ精神が蔓延する。

そんなに日本人の器は小さく、ひ弱だったのだろうか?

違うはずだ。 呼び起こさないと。 そのために塾生が一致団結し、号令をかけていくことが唯一の手段かもしれない。

塾生という名も無き志士。

彼らにできるのかとあざ笑う人達もいるだろう。 でも、彼らは自腹で生活を変え、本気で行動を既にしているホンモノの連中だ。

口だけ八丁の何もしない輩ではない。

僕も正直人生最大の大ばくちをしている。 勇気を持って一歩踏み出さないとできないことばかりだ。

このエネルギーを集積しなければ。

今の上辺の表面的な政治ではなく、みんなで日本の本当の再建成し遂げていきたいものだ。