平成の時代の最大の出来事、そして令和の時代におきて欲しい出来事 | 知財業界で仕事スル

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知財業界の片隅で特許事務所経営を担当する弁理士のブログ。

最近は、仕事に直結することをあまり書かなくなってしまいました。

本人は、関連していると思って書いている場合がほとんどなんですが…

長い間Blogを書かないままに来てしまったが、日本がゴールデンウィークで暇なので久々に書くことにした。内容は「平成の時代の最大の出来事、そして令和の時代におきて欲しい出来事」だ。日本ではさまざま所でさまざまな人が類似のテーマで書いたり語ったり、あるいはYouTubeにあげたりしておられるのであるが、私なりに感じたことを書くことにする。

 

これを書いている「今」は、ワシントンDCではまだ4月30日で“平成”は終わっていないが、日本ではすでに5月1日となり“令和”が始まった。

 

 

まず、平成の時代に起こった最大の出来事は、天皇の「生前退位」が認められたことだと思う。

 

昭和生まれで、昭和の間に成人した私は、昭和天皇の崩御と、それに伴う新天皇の即位、そして新年号の始まりの時期を日本国内で実体験した。その際のなんとも「陰」な感じの世の中は、少なくとも私個人には「良い印象」を持った状態で記憶に残っていない。

 

それに比較して、今回の「陽」な感じはすばらしい。平成の天皇がそれも意図されたのかどうかは知らないが、国民は躊躇なく祝賀ムードに浸ることができている。言うまでもなく、理由は「生前退位」だからだ。

 

「生前退位」は特別法で規定された一代限りのものとなっているのではあるが、おそらく次の代替わりの際には“既得権”状態となると考えるのが自然だろう。すなわち、令和の時代の終わりも「生前退位」を経ると考えるのが自然だろう。平成の天皇のご活躍で、天皇家は退位に関して自由を得られた。

 

この活動がなければ、平成の天皇は死ぬまで“天皇”をやらねばならなかった。彼には、生まれたと思ったら“天皇”になるしかない人生が待っていた。そして、それを死ぬまで続けなけばならいのが、今までのやり方だった。そこのところを、力強い活動によって社会を動かし、変えさせてしまわれた。

 

「変えさせてしまわれた」という書き方だとネガティブな雰囲気も出てしまうおそれがあるし、象徴たる天皇が能動的に動くのは憲法違反だというような意見もあるようなのだが、私はそれで正確な表現だと思えている。平成の天皇の積極的な活動がなければ、総理も国会も動かなかっただろう。天皇の強い意志と、人徳と表現するにふさわしい人間性の高さとが相まって、伝統でがんじがらめにされているように見える天皇制度を大きく動かしてしまわれた。感服するしかない。

 

どんな人にも人生は一度きりしかない。それは天皇であっても同じこと。というか、“天皇”をしなければならない人にとっても同じことだ。“天皇”になる可能性がゼロの一般国民も「自分事」として、是非そこのところを考えてみて欲しい。日本国の法律の下で“天皇”になるしかない状況で生まれてきたのだから、それに従う義務があるのだ、と他人が言うのはやさしい。天皇役をさせられる人の大変さはどこまでいっても「他人事」の域を出ないのだから、その大変さ加減を一般国民は共有する必要はないのである。が、仮に「自分がもしその立場だったら」と考えたら幸せな気分にはなれないのではないだろうか。

 

生まれてきたら“天皇”しかできない立場の人が存在する。そして、その人はそれを死ぬまでやらねばならない。語弊があるかもしれないが、現“天皇制”は、対象者が極めて少人数なので目立たないけれども、人間を“奴隷”として国家が扱っている状態と言ってよいのではないか。インドの伝統的なカースト制に賛成する日本人はほぼ居ないと思うけれど、生まれによって身分が確定するという意味で日本国の天皇制はカースト制と同じことだ。

 

その強固な“伝統”が平成の天皇のすばらしい活躍により打ち破られ、退位の自由が見事にもたらされた。平成の天皇に「生前退位」が認められて本当に良かったと思う。

 

 

さて、退位の自由の次に残っているのは、即位の方だ!即位の自由は創り得るのかどうか?

 

現在は、皇室の家系で生まれた男子が序列付けされ、否が応でもその順位に従って即位しなければならない状態となっている。しかし、退位の自由が創られたことに鑑みれば、即位の部分でも天皇家の皆さんに自由が与えられるようになっていっても不思議ではない。伝統も法律も人間が作り出したものであり、それは人間が変えていくことができる。

 

平成の時代には即位については何も変更はなかったが、令和の時代には即位の自由を是非、天皇家は獲得していただきたい。これが私の思う、令和の時代におきて欲しい最大の出来事である。