「破戒」のような話 | 知財業界で仕事スル

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知財業界の片隅で特許事務所経営を担当する弁理士のブログ。

最近は、仕事に直結することをあまり書かなくなってしまいました。

本人は、関連していると思って書いている場合がほとんどなんですが…

http://blogs.yahoo.co.jp/yoshikunpat/55784410.html
ここにすでに書いたことだが、私は3度結婚した履歴を持つ(恥ずかしながら)。

その3人の女性は部落出身者でないことを私は認識している。なぜか?両親が、絶対に調べているから。興信所を使う。もし、部落出身者だということがわかったら、両親だけでなく親戚をも巻き込んだ大変な騒ぎになる。その騒ぎが起きなかったということは、そうではなかったということ。
京都の田舎とはそんな感じのところ。湿ったタオルに含まれる水分のように、社会の網目そして人々の心のヒダにピチャッとへばりついている、差別文化。その水分が雑菌を繁殖させる。




昨日、「若き頃のその理論武装(?)のひとつに、他人から「おまえは部落出身者か?」と問われたら「それには答えない」と応じるというのがあった」と書いた。
それに加えて、私のもうひとつの「理論武装」として、「好きになった相手と結婚をする」というのがあった。あたりまえ、と言われれば「そうです」としか答えようが無いのだが、とにかく私にとっては考えあぐねた上で到達したもうひとつの重要な「理論武装」がそれであった。

相手を好きになって「結婚したい」と思ったら、結婚するのである。その結婚プロセスを始めると、一番上で書いたプロセスが裏で実行されることはわかっている。それをわかった上で、その結果がどうであれ結婚するのである。

私が20代の頃、両親は子供には「お見合い」で結婚させたいと望んでいた。いわゆる「釣書」を伴った、伝統的なヤツ。それが一番「安心」な結婚方法なのだ。これは、両親にとっても私にとっても、という意味で。
でも、私の「理論武装」の内容はそうなっていなかった。このため、私は両親にずいぶんむごいことをしたことになると思う。彼らは、単なる田舎者で、その田舎の慣習にしたがって「正しいこと」をしようとしていただけなのだから。

幸い(?)、3度とも私は「同和」という地雷を踏むことはなかった。




学生時代の後輩。もう、20年位前の話。その後輩とは、今やまったくの音信普通状態になっており、今、どうしているのか知らない。


仕事をするようになって何年か経ったある日、「Yoshikunpatさん、相談があるんです」と彼が連絡して来た。
「結婚しようと思っていた○子さんが、実は部落やったんです。」「どうしたらよいと思いますか?」
これが彼の相談だった。

相手の○子さんも学生時代に私は知っていた。彼とは同級生。かわいい子で、彼と付き合っているのは、我々仲間内では公然の事実だった。彼らは幸せな学生生活を送り、就職した後も付き合いを続け、目出度く「結婚」というゴールへ… となるはずだった… 普通なら。

彼は悩み、私に相談に来た。
私に相談に来たということは、「結婚しよう」という気持ちがあったのだと思う。私に相談をするということは、なんであれ、だいたいがラジカルな方向にもっていかれるのを彼も知っていたはずだから。

私は、当然、その「ご期待」にお応えして、自分自身のための「理論武装」として用意してあった理屈をアドバイスした。

「好きだったら、結婚したかったら、結婚するべき」「その結婚によって、大きな困難やさまざまな障害が発生するだろうけれども、それに立ち向かうだけでも一生をかける価値がある」「普通に平凡に結婚生活を送るだけで、自分の人生が自動的に日本人にとって重要な意味をもつ」「これはラッキーなことで、意味ある人生を送るチャンスや」
というようなことをアドバイスした。


彼は、帰って行った。

当時、すでに疎遠な関係になっていたこともあって、それから後には何の連絡も無かった。そして、何年か後に別の友人のルートで、彼がぜんぜん別の女性と結婚したことを知った。






(私が直接に身をもって経験したのは上の例が唯一だけれども、間接的には、大変なことになった例を小さい頃からいろいろ聞かされてきた。村落集合体の中で、その種の話題はもっとも喜ばれるゴシップネタとなる)


さあて、妻を空港に迎えに行こう!