「破戒」 | 知財業界で仕事スル

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知財業界の片隅で特許事務所経営を担当する弁理士のブログ。

最近は、仕事に直結することをあまり書かなくなってしまいました。

本人は、関連していると思って書いている場合がほとんどなんですが…

2008/2/14(木)に姜尚中さんの「在日」について書いた。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshikunpat/53818987.html

その最後に、カッコ書きで
(実は、この稿はだいぶ前に書いたもの。…Blogにあげてパブリックドメインに入れてよいものかどうか迷っていた。…意を決してあげることにした。)
と書いたが、その当時、私のBlogを読んだ妻から「そんなに大層に考えるような内容じゃない」との批評をもらった。

「これは、東京生まれにはわからないだろう」などと言ってその場を濁したが、実は、それが以来ずっと心の中にわだかまっていたのである。

今、妻のお勧めに従って「破戒」(島崎藤村著)を読んだ。今度は、島崎さんと主人公の丑松さんとに敬意を表する意味を込めて、これを書くことにした。




私にとっては、物心ついたときには周囲に自動的に、差別する人・される人がいたのであり、差別の心理が私の心の奥深くに今なお住んでいることを感じずにはいられない。部落(&在日)の問題は、それほどまでに私の心の中に強く巣くっている。

上記Blogに、「『理論武装』によって自らをプロテクトしながら、私は、差別・被差別の坩堝のような地域でおおきくなった」と書いたが、若き頃のその理論武装(?)のひとつに、他人から「おまえは部落出身者か?」と問われたら「それには答えない」と応じるというのがあった。

そのような会話になることはほとんどありえない。なぜなら、普通は、そこに居ない他人に関しての問にしかこの問はならず、正面切って本人にそれを問うことはないからだ。しかし、もし遭遇したら、その問に答えて「そうではない」というのも「そうだ」というのもうまくいかない。だから、私は「答えない」というのを答えとして用意していた。

その答えを使ったことが、私の人生で一度だけある。

大学生のときだった。私は元来「先生」という職業が嫌い(自分でやるのがという意味)なので「教職課程」の授業を取っていなかったが、私の友人にはそのコースをとっている者が結構多かった。

その種の友人と二人で学校からの帰り道を歩いていたある日、たぶん「同和教育」という授業の話をしていたからだったと思うが、「Yoshikunpatは、そうなんか?」と聞いてきた。「そう」は部落出身者かという意味。私は、予てから用意していたように「それには答えない」と応えた。
「やっぱりそうやったんか」と彼は反応した。それでも私は否定せず「それには答えない」と応えた。
そして彼はもう一度「やっぱりそうやったんか」とうなずくように繰り返して、我々は会話を終えた。

忘れることができない。

私は心の中で、何のために「同和教育」という授業があるのか、こいつ(その友人)はそこで何も学んでいない、それでもこいつは教師になるのだな、と思って、大変暗い気持ちになった。

彼は、今、教師をしている。




上の友人には、それ以来、一度も、「私は部落出身ではない」と言ったことがない。「やっぱりそうやったんか」と言った彼は、それを恥じているそぶりをみせたこともない。

それから30年の時を経て、彼はそのときのことを忘却の彼方に押しやったか、まだ覚えているかは知らないけれども、私の心の中には、「やっぱりそうやったんか」で確定されてしまった関係が不動の形で残っている。



その私が私自身に課した掟を破ったのが2008/2/14(木)の「在日」Blogだった。

その「在日」Blogで、私は生まれて初めて公の場で「私は部落出身ではない」ということを公表したことになる(“Yoshikunpat”の本人を知っている人に限定されるけれども)。
だから、意を決する覚悟が必要だったのである。
丑松さんの決意に比べたら、私のこの決意なんて一粒の塵ほどに軽いものだろう。それでも、私個人にとっては重大な決意だったのだ。




(ちょうど今、妻は用事で家に何日かいない。そのときを見計らって、これをBlogにあげようと思って書いたのだけれども、やはり暖めてしまった。いよいよ明日は妻が帰ってくる日。意を決して、あげることにした)