こんにちは。
この季節にしては暖かい日が続いてますね。昨日は浴室、今日はコンロと換気扇の大掃除をしたよっちゅんです
…。
ちょっと疲れました
普段から汚れを溜めなきゃいいだけだって…分かってるんですけど
さてさて本題。
先日の話です。
朝、なかなか支度が進まない息子…
出発する時刻になっても、まだトミカで遊んでる…
ちょっとイライラ
ここで「何してるの?早くしなさい!遅刻するでしょ!」と一喝すれば
彼は、しぶしぶながら支度をし、学校へ向かうと思ったのですが…
私からすれば、イライラする息子の行動…
選択理論では「本人にとって、最善の選択をしている」ということだよね…
「遅刻間際になってもトミカで遊ぶ」ことを「彼が選択している」のであって…。
それは、今の彼にとって「最善の選択」なんだよな…と思いなおしまして、一呼吸。
いっそのこと、一喝しちゃえば、その場で親の目的(子どもに時間通りに学校に行ってほしい)は解決できそうです。
しかし、それをすると、彼が
「家を出なければならない時間だと分かっていながら、トミカで遊ぶことによって
満たしている『願望』は何か」
が分からないままになります。
ひょっとしたら、そこに、(彼も気づいてないかもしれない)何か問題が潜んでいるかもしれません。
そこを「一喝」すると、問題が(表面上は)解決され、無かったことになってしまいます。
それでいいのか…
そして、この時間が無いタイミングで、どうするか…
言葉を選びました…
そして…
私「今、トミカで遊ぶことと学校に行くこと、どっちがしたいのかな?」
息子「学校に行きたい。でも、学校の休み時間が短くて…学校にはおもちゃがなくて楽しく遊べない。だから(ギリギリまで)トミカで遊びたい」
なるほど。
「ちーっともギリギリじゃないですよー、そろそろヤバイんですけど」
と言いたいのをグッとこらえましたw
今、彼は
①学校の休み時間が少なくて遊び足りないと感じている
②おもちゃや遊具がないと楽しく遊べないと思っている
と考えているのがわかったので
①はコントロールできないにしても、②に関しての視点を変えることは出来るかな、と
言葉を選びます。
私「なるほど、学校でも楽しく遊びたいんだね。ところで、○○(息子の名前)はおもちゃがないと学校で楽しく遊べないのかな?」
息子「…遊べる」
私「例えば?」
息子「鬼ごっことか?」
私「それもできるね。他には何かありそう?」
息子「うーん、なわとびとか?なわとびなら楽しく遊べるかも!」
私「そうだね、なわとびは学校に置いてあるもんね」
と言ったところで、息子は自分でトミカ遊びを止めて、支度をして学校へ行きました。
ここで私が心がけたのは
「その環境で、そのタイミングで彼ができることは何か」に気づいてもらうような声かけをしました。
そのときに、出来ること出来ないことの区別をつけて、「出来ること」に気持ちを向けられるように
親子ともども、過ごしていければいいな、と思います
ついつい、出来ない事に目を向けてしまいます。私も。
そういうときは、
今、私に出来ることは何かな?
と立ち止まって考える選択をする事もあります
もう私には違いが分からない