仏教的に考えたのならば、 | 慶祐のつぶやき。

慶祐のつぶやき。

少しばかりでも誰かの幸せにつながっていければ幸いに思っています。

慶祐


もしも、現在苦しくて悩みまくってるならば、

その悩みの根本の原因は基本的に自分の煩悩が原因であり、自我欲から起こる苦しみだと説かれている。

自分に余裕がなくなれば、相手を思いやる事なんかできなくなると、よく人は言う。

自分に余裕を持ってから人を助けてあげるんだ!という。

自分は違うと思う。

だって饅頭を二つもらったら一つの饅頭を半分にして分け与える事は誰にでもできるんじゃないか!

相手が幸せになるように、その饅頭は僕はいらないからと全てあげられたのなら、結果的には損をしたように見えるが、その姿を見た仏様のような方が饅頭をたくさん与えてくれるような事がまた起こる。

相手を思いやってる姿をみたら、ほっとけなくなるのが仏の心だと思われる。

自分には聖者のような事はできないが、そんな相手を思いやれているそのような方を応援させていただきたくなるものである。

形では返ってこない、善因善果の因果とはそのように巡ってくるように思う。