小欲に煽られない事。 | 慶祐のつぶやき。

慶祐のつぶやき。

少しばかりでも誰かの幸せにつながっていければ幸いに思っています。

慶祐


人の弱みにつけこみ、自分に利益がいく事ばかりを考えるのは結果的に自分が不幸になってしまう。

哀れで愚かな姿になってしまう。

自我欲を持ってしまえば、常に忖度を考えてしまう。

自我欲を持ってしまえば、自分が有利に立つ為なら人を利用する事は当たり前であるし、裏の顔は妬みやら怒りをもち続け、ある事ない事を人にいいまわったり、人の足を引っ張り続ける事ばかりしか考えられなくて、自分の儲けや利益を摂取する事ばかり考えてしまう。

表の顔は素晴らしい事を演じてしまうのだが、見れる人が見れば内容が全く深くない上、誰がどう見てもわかってくるもので、聖者と比べてみれば天と地の差がついていってしまう。

自分の業が上手くいかないようにしてるのに、何かしら上手くいかない事があれば、すぐに人のせいにばかりして、清浄な欲ではなく、自我欲で人のものを奪う為に必死になってしまう。

自我に染まる人の特徴はとにかく蓋をあけてみれば、心がない傾向が多い。

頼りにしてくれる人や相談してくれる人に対しては、よくわからない事や不安を煽ってばかりで何を言ってるのかもよくわからない。

与える事よりも、人を利用する事ばかりを考え、人の土俵にのっかろうと考えたり、形にばかりこだわり続た上、おまけに人に恐怖を与え続けていく。

そうやって、やがて化けの皮が剥がれていく。

よくよく人を見なくてはならない。

仏縁や神様との縁は自分から探すものではなく、自然と導かれて自然に出会う事である。

仏教とは因果を大切にする。

頭で考えて色々と議論したところで胡散臭くなるだけだ。

形ではない。

また、見栄を張る必要もない。

誰かを幸せにさせていただきたいと思う心さえぶれなければ、やがて仏の功徳が集まっては、人はそこに集まりはじめ、応援してくださる方々に囲まれていくのは間違いないと言い切れる。

何故なら、それが因果になるから。