《記者コラム》10年後の日本祭りはどんな姿か?=問われる県人会の今後と母県の理解 ブラジル日報W | 私たちの50年!!

私たちの50年!!

1962年5月にサントス港に着いたあるぜんちな丸第12次航の同船者仲間681人の移住先国への定着の過程を書き残すのが目的です。

《記者コラム》10年後の日本祭りはどんな姿か?=問われる県人会の今後と母県の理解 ブラジル日報WEB版より

 

 

第1回の郷土食提供はわずか13県人会

谷口ジョゼ会長

 

 この週末、ブラジル日本都道府県人会連合会(谷口ジョゼ会長、以下「県連」)が主催する、世界最大規模の日本文化の祭典「第25回日本祭り」が無事に開催され、20万人近くが来場した。ボランティア及び各県人会の関係者の皆さんに、心からお疲れ様と言いたい。このような素晴らしい行事が開催できるのは、ブラジルには270万人という世界最大の日系社会があり、世界で唯一47都道府県人会が揃っている国であり、ここが世界有数の親日国だからだ。
 ここ10年余りの歴代県連会長に会場で話を聞き、現在までの日本祭りを振り返り、10年後の展望を尋ねてみた。第1回日本祭りは日本移民90周年記念行事「第1回郷土食郷土芸能祭」として、1998年7月にイビラプエラ公園のマルキーゼ(屋根のある通路スペース)で始まった。

本橋幹久元会長

 

 第1回経験者の本橋幹久元県連会長(88歳、鳥取県出身、県連会長2012―15年)は、「今でも覚えていますが、第1回で郷土食に参加した県人会はわずか13でした。現在のように40前後参加する状況からすれば、じつに貧相なものでした。あれから考えれば、現在の日本祭りは完全に別次元です」と振り返った。今のようなバザー業者もなく、郷土を紹介するポスター展示等でも10県人会余りが参加した程度だった。
 当時は網野弥太郎県連会長で、芸能委員長が鳥取県人会の西谷博会長。西谷さんが芸能関係に強いネットワークがあった関係で、舞台の芸能が中心のイベントだった。同県人会の副会長だった本橋さんは、鳥取市の傘踊り導入を懸命に進めている最中で、第1回が傘踊りのブラジル初披露というタイミングに合わせて鳥取市長と市議会議長に来てもらうなど、奔走したという。
 本橋さんは「食の方は、当時はガスが使えない会場だったので、七輪を持ち込んでその場でカレーを作って提供するという、とても郷土食とは言えないレベルでした」と振り返った。
 それが現在は食のブースで40県が参加し、物販展示スペースではホンダ、トヨタ、ニッサン、ヤマハ、ヤクルト、パイロットペンなどの蒼々たる日本を代表する企業を始めとする120の企業やバザー業者、総領事館やJICA、日本政府観光局などの公官庁関係も出展、ブラジル日本文化福祉協会やサンパウロ日伯援護協会や当ブラジル日報協会、文化エリアや長生きエリア、子供エリアなどには多数の日系団体が入れ替わり立ち代わり参加した。今年はJICAや農水省の支援により、初めて大規模な日本物産展「ふるさといいもの展」が開催されたのも特筆される出来事だ。
 イベント会場では和太鼓、日本舞踊、ラジオ体操や健康体操、リズム体操はじめ、コスプレ大会、ミス・ニッケイ、ストリートダンスなど連日20以上のアトラクションがひっきりなしに開催された。
 ラ米最大級のイベント会場のほぼ全域を使って開催された世界最大級の日本文化イベントに成長したのは、世界最大の日系社会の中心があるサンパウロ市の日系団体が総力を挙げて盛り上げたからだ。

和歌山県人会の関西風お好み焼きの行列

 

総予算600万レ弱の巨大イベントに成長

 ただし、ボランティアという尊い行為がこの巨大なイベントの根底を支えているため、深刻な後継者問題も抱えている。
 谷口会長(81歳、2世)に今回の日本祭りの概要を尋ねると、会場運営を手伝うボランティア総数は5千人にもなるという。特に赤い法被を着た若者たちは、県人会とは関係なく関谷ロベルトさんの繋がりで集められた人たちだ。各県人会ブースには会員子弟を中心とその友人らが、それぞれ数十人手伝っている。谷口さんが会長をする和歌山県人会のボランティア総数だけで200人になるという。
 同県人会では毎年、関西風お好み焼きを提供しており、昨年は4千枚を売り切った。「今年は5千枚を目指しています」というから、おそらく全県人会の中でも最も売り上げが多い会の一つだ。それだけ作るのには500玉のキャベツを千切りにする必要があり、会員が会館に集まって談笑しながら作業をするほか、一部は業者に依頼しているという。日本祭りの売り上げで年間活動費の半分を賄っている。
 今日本祭りの総予算は600万レアル(約1億7500万円相当)弱だという。うち最大の経費は会場の賃貸料で約200万レアルと3分の1にもなる。入場料は前売りだと約30レアル、当日券だと約40レアル。総入場者は昨年で18万4千人だが、実際の有料入場者は10万人に満たないという。
 それは60歳以上の女性、65歳以上の男性および、8歳以下の子供が無料であることに加え、公立学校生徒や教師や60歳から65歳までの半額入場者、政府支援を受ける関係で入場者の2割を無償で公立学校生徒や貧困家庭に配布することを義務付けられているからだ。
 谷口さんは入場料一人当たりの平均単価は25レアルと見積もっており、仮に8万人が有料入場したとしても、200万レアルにしかならない。場所代程度だ。

キム・カタギリ連邦下議やサンパウロ市市長、日系の政治家、スポンサー企業、日本政府関係者らが勢ぞろいした開会式の乾杯の様子

 

 県連役員はボランティアでこの巨大なプロジェクトに従事しているが、ブースの設営費用、ステージ費用、照明や音響設備などには膨大な諸経費がかかる。
 入場料収入では足りない残りの400万レアルは、企業スポンサーのマスタークラスはブラデスコで24万レアル、それ以外の通常の企業スポンサーは5~10万レアルで30社弱、さらにキム・カタギリ連邦下議の50万レアルのような政治家の議員割当金やその助力、バザー業者からの出店料などで賄わなければならない。できるだけ各県人会からのブース出店代金は低く抑える必要があるからだ。
 昨年の会計は残念ながら数万レアルの赤字で終わったという。「今年は黒字にする。赤字が続くのは良くない。そもそも全ての契約は会長の名前でサインをしているから、何かあったら個人でも責任を取る覚悟がないと会長はできない」と表情を引き締めた。
 「ですから、県連会長をするには二つが必要。『度胸』と『忍耐』です。ブラジルに日本文化を広めるためにも、県人会の活性化を図るためにも、日本祭りは絶対に続ける必要がある。そのためには、誰かが太鼓を叩いて、みんなを踊らさないといけない」と笑い、「今回が終わっても、すぐ次回の準備が始まります。もう来年の会場予約を入れてあります。だから9月には賃貸料の前払い分の支払いを開始します」と語った。このような責任重大かつ膨大な準備作業を毎年、県連会長や実行委員長はじめ実行委員会はボランティアで取り組んでいる。本当に大したものだ。
 「10年後の日本祭りはどうなっているか?」という質問を投げかけると、谷口さんは少し困ったような表情を浮かべ、「残念ながら幾つかの県人会はなくなっているかもしれません。それに県人会のあり方自体が今とは違ってきているでしょうね」と答え、「県人会という名前は残りますが、県人子孫を中心にした集まりというよりは、その県を好きな人、縁のある人、子孫の友人や親戚などの総体のようになっているでしょう。と同時に日本語はもっと薄れていき、母県や県庁とのつながりも弱くなっていくのではと危惧します」と述べた。

 

「運営はボランティアだがプロ水準求められる」

市川利雄前会長

 

 この3月まで2期も県連会長を務めていた市川利雄さん(76歳、2世)に日本祭りの課題を聞くと「実行委員会はボランティアだけど、日本祭りの運営自体は企業のようなプロフェッショナルな水準が求められる点です」と答えた。確かにそうだ。これだけの資金と人材が動く巨大イベントを、素人のような運営で実施すれば〝事故〟が起こりかねない。
 日本祭りは最初の2回はイビラプエラ公園のマルキーゼで開催され、次に同公園内の育苗場、中沢宏一会長時代の2002年の第5回から名称を現在の「フェスチバル・ド・ジャポン(日本祭り)」に変更し、州議会駐車場になった。
 現在の場所になったのは2005年(第8回)からで、当時はサンパウロ州農務局イミグランテス展示場と呼ばれていた。2013年に州政府が入札を実施して、仏国際企業GLイベントス社が展示場運営権を30年間落札し、現在の展示場施設に改装した。確かに設備は国際レベルに向上したが、そこから一気に賃貸料が上がった。
 市川さんの見方によれば、州農務局展示場時代は屋根のないアルキバンカーダ(観覧席)が囲む広場スペースという野外で日本祭りをやっていたので、その時代は「普通のイベント」だったが、現在の屋内施設に変わってから一気に「プロのイベント」が求められるようになった。
 2019年日本祭りでは食のブースの調理が間に合わず、県人会によっては長大な列ができてしまい、来場者の不満が募ったことがあった。「県人会会員の高齢化もあって調理能力が落ちている。若い人はボランティアの仕事に興味を持ちにくい。プロのレベルで食を提供するには改革が必要」と前置きし、日本祭り参加がキッカケとなって県人会の青年部などが活性化をする会も多いと言われる中、市川さんは「まだまだ活性化が足りない」と厳しい見方をしている。
 プロ水準の運営を求めるなら、専門のイベント会社に委託したらとのアイデアも繰り返し、県連代表者会議では出てくる。だが市川さんは反対だ。「たくさんのボランティアが無償で参加してくれているのは、我々が無償でこのイベントを運営しているから。主旨が変わってきてしまわないかと心配」と考えている。実際に2019年に実行委員会を外部委託して赤字が生じたほか、外部の人間に賄賂疑惑が持ち上がった事例などもあったという。これは大変難しい問題だ。
 市川さんは「入場料をもっと上げてもいいと思う。最低でも50~60レアルに見直さないと、続かない」と見ている。
 25年前に始まったこの祭りを原型として、現在ではブラジル全土各地に同様の祭りが拡散している。今回も「サンパウロ州内各地はもちろんバイア州、ミナス州、パラー州などからも日系団体が来ている。彼らはここで見たものを参考にして、自分たちのイベントに活かそうとしている。若い彼らがこの種のイベントをやることに誇りを持ってもらえることが、とても大事です」と締めくくった。

 

県人子孫だけでは会をやっていけない現実

山田康夫元会長

 市川さんの前、2016~19年まで県連会長を務めた山田康夫さん(73歳、滋賀県、同人会会長)に日本祭りの課題を聞くと、真っ先に「資金より人材育成が課題」と即答した。「日本祭りを実施するには、県人会がしっかりしていないといけない。でも県人会に次の世代が育っていない。うちの県人会ブースも3分の2は子孫ではない人たち。友人ネットワークで集まった、県と関係のない人たちが現在の会を支えている。多かれ少なかれ、どこの県人会も一緒。その現実をもっと県庁も理解してほしい」と述べた。
 「県民に税金の使途を説明するときに、県人子孫に絞った使い方をしている方が、県庁が説明しやすいのはよく分かります。でも現実は、県が好きな人、県人子孫の友人などのネットワークが会を支えている。彼らも県のファンを増やすなど国際化の役に立っていることを理解してほしい。日本祭りを続けるためには、そんな彼らの協力は不可欠だし、そんな彼らにも県費留学や研修など何かメリットがあった方が続きやすい」との意見を表明した。
 さらに山田さんは「ボクが県人会会長を始めた2006年、県人会会長の3分の2が1世だった。現在1世会長は僕を入れて4~5人しかいない。かつては代表者会議の3分の2は日本語で進行されたが、今は95%がポルトガル語になった。時代が急速に変わっています」と訴えた。
 本橋さんは「鳥取ブースの大仙おこわを作るために、婦人部は朝3時に県人会館に集まって作業を始めます。その日に作らないと御飯がおいしくない、朝10時にこの会場へ届けるためにはそうしないと間に合わない。前の晩は夜9時までブースで販売や片づけをしている人もいる。それをボランティアとしてやってくれる人はどんどん減っています」と切実な事情を訴えた。
 「鳥取の傘踊りは現在ではいろいろなイベントで見られるようになり、ブラジルでかなり有名になりました。でも踊っているのはほとんど県とは関係のない皆さんなんです。指導者だった京野マリさんしかり。でも一生懸命に踊ってくれている皆さんがいるから『鳥取の傘踊り』として有名になってきたんです」と県人会と県文化普及の関係の具体例を挙げた。
 せっかく世界最大級に育った県連日本祭りを後世に残すためには、県人会組織が再活性化することが不可欠であり、それには各県民や県庁の理解がとても大事だ。仏パリにも日本祭りはあるが、日本政府のテコ入れは半端ではないと聞く。それに比べれば、ブラジルの日本祭りはむしろブラジル連邦政府、サンパウロ州政府、サンパウロ市、ブラジル企業など地元からの巨額支援を受けて実現されている側面が強い。
 県人会が継続するには日々の活動の積み重ねが重要であり、若者たちに何を任せて何を託すのかが要だ。日本祭りの継続もそこにかかっている。(深)