小説=「森の夢」=ブラジル日本移民の記録=醍醐麻沙夫=92 ブラジル日報WEB版より
荒っぽい利益の追求をしながらも 、信用した相手には細かい詮索をしない新開地の商人らしい気っぶだった。
その代わり原価の何倍なのか見当もつかない薬価にちがいなかった。
事務所を弟と畑中に頼んで、彼 はビンをかかえて開拓地に戻った。森は美しかった。樹木の温気が激しく彼を包んだ。黄金色の昆虫が枝にとまっている。紫の強烈な色彩を木の間にきらめかしてモルフォ蝶が飛んだ。しかし、彼は地獄へ向かって馬を進めているのだった。
森が尽きて草原の向こうに開拓地が望見されてた遠目には平和な風景だった。そして、そうでなくてはならないのだ。そのつもりで彼はここを拓いたのだった。
……開拓地の集落が散在して、向こうの森と接するあたり、墓地がある地点から今日も煙が昇っていた。
運平は唇をかんだ。
気力が萎えていた。このままどこか遠い処へ姿を消したかった。
主人の気持を敏感に察したように馬も動かなかった。
手綱をゆるめたまま、彼は向うの森の細い煙をボンヤリ眺めていた。
ワンワン
レオンが嬉しそうに駆けて来た。レオン(ライオン)と名付けたものの狼のように痩てしまっている。レオンは彼の足に飛びついた。
彼は手綱をとり直して馬の腹に膝の力を伝えた。
「ハイヨ!」
馬と犬は速足で草原を進んだ。
その日、火葬に付されたのは徳永元八の妻ヒデだった前日には右田辰彦の長女アキコが死んでいる。満一才の赤ん坊だった。
薬のビンを戸田の小屋へ届け、運平は墓地へ急いだ、
もう誰もいなかった。ヤシの丸木をそいだ墓標が乱杭のようにあちこちに立っている。ヒデの墓標を見付けて、彼は近付いた。切り口からまだ樹液がしみだしている。
彼は合掌して頭を垂れると瞑目した。
目をあけ、頭をあげようとしたができなかった。目前の墓標の墨がうんげんにボヤケ、やがて大きく揺れ始めた。ゆっくりと地面が近ずき、運平はそのまま倒れた。
それからの数日は、断片的にしか意識がない。戸田の呼ぶ声と、馬の背に乗せられて運ばれた記憶がかる。イサノが薬を飲ませてくれたのを覚えている。
体が揺れて、運平は目をひらいた。
「あっ、気が付いた。平野さん、平野さん」
眼鏡をかけてる……ああ、畑中だ、と彼は思った。
バウルから戻って来たのか。仕様のない奴だ……。彼は数人にかかえられて運ばれようとしていた。
「どうするんだ」
「平野さんがマラリヤにやられては困ります。バウルへ連れて行きます」
つづく