太鼓、舞踊、琉球芸能で魅了=第60回パラナ民族芸能祭=花柳龍千多さんの指導へ感謝 ブラジル日報W | 私たちの50年!!

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太鼓、舞踊、琉球芸能で魅了=第60回パラナ民族芸能祭=花柳龍千多さんの指導へ感謝 ブラジル日報WEB版より

フィナーレの舞台に立つ皆さん
フィナーレの舞台に立つ皆さん

 第60回パラナ民族芸能祭が、7月11日から21日までの11日間にわたってクリチバ市内のグァイーラ劇場で3年ぶりに本格開催され、日本、南米、欧州など10カ国の移民コミュニティから16団体が出演した。19日夜には日本芸能の公演がクリチバ日伯文化援護協会(クリチバ文援協、吉田ロベルト・イサム会長)によって行われ、2階席までほぼ満杯となった観客を楽しませた。
 19日午後8時半から開演した日本芸能の公演は、同祭60回目の節目を祝うとともに、サンパウロ市から毎月クリチバ市に通い、31年にわたってクリチバ文援協の「日系踊り会」「民舞愛好会」を指導してきた花柳龍千多さんの顕彰も兼ねて行われた。
 田丸ラウラさん、大嶋晴男さんの司会で進行した同公演は2部構成で、全19演目が披露された。田丸さんは60回目を迎える同祭について、日本では「還暦」という言葉があることを説明。コロナ禍で2年間、対面での開催が中止された中、「より良い未来のために、民族芸能祭が今後も続いていくことを願います」と語った。
 日本芸能公演は若葉太鼓の躍動感溢れる演目『団結力』を皮切りに開始され、早速観客の心を掴んでいた。
 2番手は日系踊り会メンバー8人が『千鳥の舞』を踊り、日本舞踊の優美さを表現。続いて、生長の家コーラス部が『荒城の月』を歌い上げた。
 沖縄舞踊部の『花』では、沖縄伝統衣装の「紅型」を着たメンバーが踊り、続く若葉よさこいソーラン部の若者たちによるスピード感のある『風化』が観客を魅了した。
 引き続き、芸者姿で『さのさのさ』を披露したのは日系踊り会ベテランの4人のメンバー。扇子を持ちながら日本舞踊の艶やかさを表現していた。
 琉球國祭り太鼓による『帰る場所』に続いて、民舞愛好会が着物姿で『東京音頭』を披露。民謡部による三味線、笛、太鼓等の生演奏に合わせて舞台上を円で描きながら踊った。
 法被と鉢巻き姿の日系踊り会が『荒波挽歌』を踊った後、若葉太鼓が神聖なイメージの『神功皇后』を演奏して1部は終了した。

門下生から花束を受け取った龍千多さん(右から2人目)
門下生から花束を受け取った龍千多さん(右から2人目)

 10分間の休憩を挟んで2部開始前には、クリチバ文援協の吉田会長と龍千多さんが登壇。龍千多さんに門下生2人から31年の指導に感謝の気持ちを込めた花束が贈呈された。また、クリチバ文援協からも「龍千多先生のご指南により、クリチバの日本舞踊の質は飛躍的に発展しました」とのメッセージが贈られた。
 2部は、琉球國祭り太鼓の『三線の花』で幕開け。日系踊り会若手3人による『千代に舞う』、若葉よさこいソーラン部の『夢をつなごう』、沖縄舞踊部の『ちばり太鼓』、若葉太鼓の『木霊の森』と若者たち中心の舞台が続いた。その後、生長の家踊り部による『しあわせ音頭』が披露され、緩急の動きが入り交じった舞台に観客は沸いていた。
 琉球國祭り太鼓の『ストリート・ストーリー』、日系踊り会の『古城の舞』の後、出演者全員が参加しての『まつり』でフィナーレ。これまで裏方役に徹してきた龍千多さんも着物姿で団扇を回しながら門下生たちとともに踊り、最後は会場席に向かって全員で頭を下げると、会場からは惜しみない拍手が送られた。
 フィナーレの舞台に登壇した在クリチバ日本国総領事館の濵田圭司総領事は、「1980年代に外務省の研修としてクリチバでポルトガル語を習っていた時に初めて民族芸能祭を見ました。今回、再び見ることができて、皆さんの舞台と劇場の素晴らしさを改めて感じました。ベテランの方々と若い人が一体となって参加され、本当に良い公演でした」と満足した様子だった。