『湖の女たち』(映画の方)(ネタバレあり) | yoshi's drifting weblog -揺蕩記-

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私の一番好きな言葉、揺蕩(たゆた)う。……
日常の、ふとした何気ない出来事について、
その揺蕩う様を書き留めていきます。

 

 

私が3番目に好きな小説家である吉田修一が四年前に書いた長編小説『湖の女たち』。

 

 

この本の感想を書いたのが上記の記事なんですが、その時にも書きましたけど、まあ世の中は本当に吉田修一の映像化が好きですね!!

 

 

オリジナリティないのかね!!とも思いがちなんですが、でもまあ、そうそうオリジナリティを発揮できるわけもないので仕方ないんですがね。

 

 

というわけで今日のお休みは地元の映画館の遠くにある方で『湖の女たち』を見てきましたよ。

 

 

 

このイオンシネマ、郊外にポツンとあるんで、まあ人がいないこと!

 

 

ガラッガラの状態なんですが、でもなんでか知りませんけど、結構都内で単館上映されてるような映画を掛けるんですよね。

 

 

なので、時折重宝したりもする。

 

 

しかも月曜日は1100円で見られるんですから、殊更に。

 

 

さてお話。

 

 

琵琶湖の畔にある老人介護施設で100歳の男性が殺害される。捜査にあたる濱中(福士蒼汰)と伊佐美(浅野忠信)は一人の介護士(財前直見)に当たりを付けるが、同じ施設で働く豊田(松本まりか)に濱中は引っ掛かりを覚える。一方で、東京の雑誌編集者の池田(福地桃子)はこの事件が過去に起きた薬害事件との関係を突き止めるのだけど、……

 

 

みたいなお話。

 

 

吉田修一の小説って、ざっくり言えば「言葉にできない感情を描く」という作風なんですね。

 

 

言葉にできない感情を言葉で表現したり、あるいは「言葉にできない!」と逆に爆発させてみせたり。

 

 

そこに「人間の善と悪」というテーマが加わり、そのための表現としてここ数年見受けられるのが、現実に起こった出来事・事故・事件をモチーフとして使うんですね。

 

 

『怒り』では整形を繰り返して逃亡していた市橋達也だったり、『横道世之介』では新大久保乗客転落事故だったり。

 

 

で。

 

 

今作『湖の女たち』で使われたモチーフは、731部隊の人体実験と、津久井やまゆり園の殺傷事件。

 

 

そこにうっすらと薬害エイズ事件と滋賀呼吸器事件が入ってくる。

 

 

これらのモチーフが本当に重くて重くて。

 

 

小説とはいえフィクションじゃないから、現実の世界と地続きの世界が舞台になるかた、没入度も深くなるし、そこから得られる感情の起伏も激しくなる。

 

 

で。

 

 

映画版は頑張って忠実に表現はされてましたけど、でも「人間の善と悪」というよりかは「人間の表と裏」と言った方が良かったでしょうかね。

 

 

どうしても端折らなくてはいけない部分があるので、例えば731部隊の話はどうしても薄くなりがち。

 

 

すごく大事な場面なんです。

 

 

戦時中、731部隊で行われていた人体実験の関係者が劇中の薬害事件の所長と介護施設で殺された100歳の老人なのであり、その二人から始まる「人間の悪意」というのが最終的に100歳の老人を殺した「彼ら」に繋がっていくのでね。

 

 

そこがちょっと解りにくかった。

 

 

対して、映画で時間を割かれてたのが、刑事・濱中と介護士・豊田の情事。

 

 

わかりやすく言えばSMの関係性に堕ちていくわけですが、確かに人間の「業」という部分では大事な設定なんですが、事件との結びつきがそこまで持たない部分なので、結構「なにこれ?」的に思われがち。

 

 

つまりこの映画、人間の「善と悪」と「表と裏」の二軸がテーマになってるので、そこらへんがこんがらがるんですよね。

 

 

原作読んでたって解釈しにくい。

 

 

サスペンスじゃないんです。

 

 

ミステリーでもない。

 

 

人間のドラマ。

 

 

なので、犯人がどうとかっていうのは大事じゃない。

 

 

……んだけど、でも原作を読んでてそうじゃないと分かってないと、結構不満がたまるかも。

 

 

一応、犯人は解ります。

 

 

でも捕まるわけじゃない。

 

 

むしろ、そこが大事。

 

 

犯人たちはまた罪を犯していく、つまり人間の悪意は連綿と続いていく、と。

 

 

繰り返されていく。

 

 

でも、それだけじゃないんじゃないの?っていう作者の希いもまたこめられてたんですよね。

 

 

それが「湖の美しさ」。

 

 

映画では三田佳子が演じてましたけど、彼女がハルビンで見た人工湖の朝焼け。

 

 

その美しさが、悪意に満ちた人間の世界をちょこっとだけ浄化してくれるのでは?というのが作者の希望。

 

 

……なんだけど、そこの描写が弱い。

 

 

三田佳子が台詞として「完璧な美しさだった」と言っても、説得力がない。

 

 

小説では、その「言葉では説明できない感情」というのが効いてくるんですけど、映画ではそれは無理。

 

 

映像としてしっかり見せてくれないと。

 

 

単に少年たちが歩いてるだけじゃんか、って。

 

 

とまあ、原作信者としては結構モヤモヤしちゃう印象が強かったですけど、でも映画としてはやっぱりドラマとしての面白さはありましたね。

 

 

浅野忠信も良かったし、犯人が本当に僅かだけ見せる、あのニヤつき。

 

 

右の口角が本当に少しだけニヤついて、そこに凝縮された人間の悪意というのが堪らなく映画的醍醐味に溢れてて。

 

 

松本まりかがもうちょっとエロティークにいけばまた話題にもなったのかもしれませんが、でもあれくらいの方が却ってマゾヒスティックさが伝わるのかもしれないですね。

 

 

ちなみに原作を読んだ時に私はこの小説を映画化するながら園子温だと言ってましたけど、……でもまあ大森監督で良かったのかも。

 

 

という感じで『湖の女たち」堪能いたしました。

 

 

さて次。

 

 

『碁盤斬り』か『関心領域』ですね。

 

 

ではでは。