三人行けば、必ず我が師有り。其の善なる者を選びて之に従い、其の不善なる者にして、之を改む。

 
自分を含め三人で行動したならば、あとの二人は必ず自分にとって師となる人だ。
良いことは見習い、よからぬことは反面教師として学ぶことができる。
 
『人の振り見て、我が振り直せ』の精神で、自分を成長させるチャンスは常にあるものだ。
 
人の良いとこをリストアップするのと同時に、
人のダメなとこをどうすれば良いのかをリストアップしておくと、
人間としての能力に磨きをかけることができる。
 

道に志す。徳に拠り、仁に拠り、藝に游ぶ。

 
まず、志を立てよ。その志は、人としての道を修めることを目標として励むことだ。
その拠り所は、『徳:自己の最善の努力を他者に尽くす』と『仁:他者に対する親愛の情や優しさ』なのは当然であり、
他者を気づかい、思いやりを持って人に接し、
学芸の世界を楽しみながら教養に磨きをかける。
それによって、心に余裕をもつことも必要だ。
 
『徳と仁』をもって、自由気ままに教養に親しむ。
仕事一辺倒ではなく、ゆとりをもって生きていきたい。
 
読書やスポーツをはじめ、書や絵画、音楽、舞踊、お茶、お花など、趣味的な楽しみごとを通じて、教養を磨くことも、人間として必要な要素の一つでしょう。
 
夫れ仁者は、己れ立たんと欲して人を立つ。己れ達せんと欲して人を達す。

自分がある地位に立ちたいと思ったら、まず人を立ててやるよう心がけるのがよい、それが仁者の態度だ。
自分の達したいことを、まず人に達しさせてやる。自分が手に入れたいものを、まず人に得させてやることだ。それが仁者の態度だ。

こうありたいと自分が思ったなら、自分よりもまず周囲の人たちにそれを説いて手助けをする。
目標があれば、自分よりも先に他者の達成をサポートする。
他者のサポートに力を注ぎ、みんながよくなることを優先する。
それがリーダーだ。

博く文に學び、之れを約するに禮を以てせば、亦以て畔むかざるべきか。

まず、さまざまな知識としての学問を博く学ぶことがよい。
しかし、博識をもって満足してはならない。
礼、すなわち生活の中で実践することでその知識を自分のものにすることが大切である。
これによって、道を外れることはないだろう。
知者は水を楽しむ。
仁者は山を楽しむ。
知者は動く。
仁者は静かなり。
知者は楽しむ。
仁者は寿し。

水は流れる。知者は、この流れてやまない水の姿を楽しむものだ。頭も流動的だ。
山は不動である。仁者は、利害、名誉と恥辱その他のために心を動かすものではない。そのためか、動く水より不動の山を楽しむものだ。

知者は、機を見るのに敏である。自然、世相に応じて変化する。
仁者は静的であり、流転の世に処しても不動の態度を持っている。

知者は流転の世相に誤りなく身を処し、流れにさおさして楽しみ生きる。
仁者は外部の事情によって自分の心を動揺させない。自然、安心立命、おのずから長寿を保つ。

自分がどちらのタイプかを知って、人生を楽しく過ごすのもいい。
ただ、流行を追うだけだと、人間がどうしても軽くなる。
かといって、原理原則ばかりを重視すると、古典にひきずられて次第に浮世離れしていく難がある。
人間には、知者と仁者の両方の要素が必要だから、普遍性と、流行の両方にアプローチして楽しみ、人間としての幅を広げていきたいものだ。
之れを知る者は、之れを好むに如かず。
之れを好む者は、之れを楽しむ者に如かず。

何事も、それを知っているというだけでは、それを好むという人の力には及ばない。
何事も、好むよりは、それを楽しむ人の方が上である。

まずは学んで知識を得る。
つぎに学ぶこととそのものを好きになる。
さらに知識を深めるにつれて、学ぶこととが楽しくなり、そのものを楽しむことができる。
自信をもって楽しみを追及すると、その境地にまで達することができる。
老者は之れを安んぜしむ。
朋友は之れを信ぜしむ。
少者は之れを懐かしめん。

年をとった人たちから、あの人なら万事安心だと思われるよえな人になりたい。
仲間たちから、彼なら信じて間違いないと思われるような人間でありたい。
子供や若い人たちから、心がひかれて慕われるような人間でありたい。
このように、ごく身近なところにある志をもって
先輩たちに優しく、友達を信じ、後輩たちが親しみやすい社会を作っていきたいものだ。
徳は弧ならず、必ず隣あり。

徳を行っているかぎり、人は決して孤立するものではない。必ず共鳴者が現れる。

徳のある人(他者のために最善を尽くしきれる人)の回りには、いつも人が集まってくる。
自分のことしか考えない利己的な人が孤立することになる。
人は誰しも一人では生きられない。
みんなと分け隔てなく自己の最善を尽くしきり、いい人間関係を築いていれば、孤立することはない。
周りの誰かが必ず助けてくれる。
多くの人と寄り添って、感謝の人間関係を築いていきたいものだ。

朝に道を聞けば、夕べに死すとも可なり。

もしも、朝に真実の人の道を聞き、これを体得したならば、その夕べに死んだとしても、それで悔いはないものだ。
人間のあり方・生き方を知ることは、それほどにも重大事なのである。

人は何のために生まれてきたのか?
『愉快な人生を送る』
『健全な社会をつくる』
この2つを人生で成し遂げることが重要なのかもしれない。
【道】にかなった行動を常におくることは非常に難しい。
だからこそ自分の存在意義を追及し、
このために生きているんだと感じられる瞬間を味わうことが
『道を知る』ということなのだ。
君は臣を使うに禮を以てす。
臣は君に事うるに忠を以てす。

社会は上に立つものと下でつかえるものがあり、
指揮するもの、命じるものと、指揮を受けるもの、命ぜられるものとの関係がある。
上に立つものは、下に対するにまず礼儀を心がけ、
下の者は、真心を込めて嘘偽り無く上に立つ者につかえる。
このことが失われたら、社会も個人もうまくいかない。

「私のような至らぬ上司に仕えてくれてありがとう」
「私のような至らぬ部下を使っていただきありがとうございます」
上下関係に、感謝の気持ちが流れているのが理想である。