[柏飛行場]①弾薬庫など

千葉県柏市十余二、他

 

計画:昭和12年6月(用地買収:昭和12年7月〜)

着工:昭和13年1月

竣工:昭和13年11月

所属:陸軍飛行第五戦隊→(中略)→ロケット戦闘機「秋水」基地(昭和20年1月)

滑走路:1,050m x 100m(終戦時1,500m x 100m)

標高:約20m

任務:帝都防衛

配備:97式戦闘機(飛行第5戦隊)、屠龍(飛行第5戦隊)、鍾馗(独立飛行第47中隊/飛行第87戦隊/飛行第70戦隊残置隊)、隼(飛行第1戦隊)、疾風(飛行第1戦隊/飛行第70戦隊)、飛燕(飛行第18戦隊)、五式戦闘機(飛行第18戦隊残置隊)、MXY8秋草(陸軍航空審査部特兵隊/飛行第70戦隊)など

備考:戦後は米軍摂取(→昭和30年に米空軍柏通信所建設)→昭和54年全面返還

 

出典:防衛研究所「本土における陸軍飛行場要覧」

 

出典:Translation No. 21, 23 December 1944, airways data; Kanto Chiho. Report No. 3-d(20), USSBS Index Section 6 (文書名:Records of the U.S. Strategic Bombing Survey ; Entry 46, Security-Classified Intelligence Library. 1932-1947. 65 ft = 米国戦略爆撃調査団文書 ; 各種日本関係情報) (課係名等:Intelligence Branch ; Library and Target Data Division) (シリーズ名:CINCPAC-CINCPOA: Special Translations)

 

帝都東京に近い帝都防空のための飛行場用地探していた近衛師団経理部、当時の東葛飾郡田中村の松丸厳村長の誘致斡旋の思惑一致し、八木村も含む約145万平米の用地買収は1年以内に終了・翌年には竣工した。

 

柏飛行場の周辺には第4航空教育隊(東部第102部隊)・陸軍航空廠立川支廠柏分廠などが開設することにより、柏飛行場は数次に及ぶ拡張と諸施設の充実がはかられた。誘導路沿いに無蓋掩体壕群がつくられた(有蓋はなし)。

 

主に訓練飛行を行っていた柏飛行場だが、戦局の悪化に伴い、飛行第5戦隊が南方へ転出した後は、飛行第87戦隊、飛行第1戦隊、飛行第18戦隊、飛行第70戦隊の各部隊がほぼ入れ替わる形で展開。航空地区部隊として第7飛行場大隊、第4独立整備隊、第3飛行場大隊の各部隊が展開し、各種地上支援任務を担当した。兵員数は戦隊の入れ替わりが激しく資料も乏しいが、およそ600〜700人は常駐していたようだ。

 

空襲が激しくなった昭和19年11月以降は頻繁に防空戦闘が行なわれた。高射砲陣地は豊住、塚崎新田、若柴などに設置された(宅地開発などで消滅)。航空観測所は千葉県流山市駒木台に設置された(公共施設建設で消滅)。

 

日本初のロケット戦闘機秋水の基地として指定され、実用実験のため陸軍航空審査部特兵隊が展開、近隣の法栄寺を宿舎として終戦まで飛行実験を行った。田中村大室花野井地区には秋水の地下燃料貯蔵庫が建設された。

出典:国土地理院 1946/03/26(昭21) USA-M85-A-5VV-32、抜粋

 

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陸軍東部第105部隊の営門の門柱

県道47号線沿い

 

 

 

 

 

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弾薬庫群

 

 

 

 

 

 

終わり

 

 

秋水の地下燃料貯蔵庫

正連寺地区花野井地区

 

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