[徳山海軍警備隊]戸田照聴所(聴音照射所/特設見張所)①兵舎等
着工:昭和16年11月頃
竣工:昭和17年3月頃
設備:96式150cm探照灯(100V)×1基、仮称ヱ式空中聴測装置×1基
火砲:13ミリ単装機銃×1門(戸田防空機銃砲台)
工藤洋三『徳山要港防備図でたどる周南の戦争遺跡』
の表紙が戸田照聴所(特設見張所)
この写真の戦跡に是非とも行ってみたくなり、山口県周南市の戦跡を探索することにした。
戸田(へた)照聴所は、昇仙峰の8合目過ぎから山頂に各施設がある。麓から昇仙峰をみると平削地が確認できるが、ここに兵舎や発電所などが配置されていた。
麓の田畑もすばらしい石垣。これは期待できそうだ。
昇仙峰の戦跡の一部(兵舎など)が公園化された痕跡があり、また山頂の指揮所が見所になっているようで、軍道が登山道として整備されている。難易度は高くない(のんびり歩いて40分程度)。
大将軍
鎌倉時代?の経塚があったようだ。ここから山道(軍道)に入る。
8合目あたりから諸施設が現れる
詳細不明のコンクリート残骸
海軍標石①
平削地に出た!
海軍標石②
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戸田照聴所(特設見張所)配置図
工藤洋三『徳山要港防備図でたどる周南の戦争遺跡』P.46から抜粋・加工
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燃料庫
発電所跡地
発電所用の貯水槽(二槽式)
発電機は、引渡目録から「ディーゼル交流発電機陸上用40KVA三相×1基」だったようだ。
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兵舎跡地
兵舎用の貯水槽
たぶん烹炊所のもの。
兵舎跡地の山側に、貯蔵庫壕・待避壕・防空壕など多目的と思われる2本の地下壕がある。いづれも素掘りで中は崩落しているため、2本が連結しているのかも不明。
1本目
2本目
兵舎跡を後にして、山頂を目指す
兵舎用の大きな貯水槽が2つあった
3槽式
1槽式
工藤洋三『徳山要港防備図でたどる周南の戦争遺跡』によれば、照聴所の諸施設の配置には決まりがあるとのこと。
工藤洋三『徳山要港防備図でたどる周南の戦争遺跡』P.46より抜粋
コレについては聴音機台座の記事(後述)で詳細を書く。
つづく
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天然の良港でもあった徳山港
出典:工藤洋三『徳山要港防備図でたどる周南の戦争遺跡』P.1より抜粋
毛利氏の三白政策で商港が整備され、明治36年に徳山市に海軍煉炭製造所が設立された。ここは軍用炭の調査研究所で石炭低温乾溜実験などが行われたようだ。第一次世界大戦を於て研究が本格化、大正10年に煉炭製造所は海軍燃料廠へ改組され採炭部、練炭部、製油部、研究部が置かれた。 海軍の燃料需要が急激に増大し続け、この地に亜鉛製錬所や造船所など多くの企業が進出した。
大正11年に徳山港が開港、特別輸出入港に指定される。その後、日本石油(昭和5年)、東洋曹達工業(昭和10年)が進出。昭和13年4月1日に海軍要港に指定される(呉海軍港務部徳山支部の設立→徳山海軍港務部)。昭和15年に光に光海軍工廠が開庁した。
工藤洋三『徳山要港防備図でたどる周南の戦争遺跡』によれば、
昭和16年11月に呉海軍警備隊が発足し、徳山には呉海軍警備隊徳山支隊(徳山陸上防備部隊)が設立された。呉海軍警備隊から独立し「徳山海軍警備隊」となったのは昭和19年10月20日。完成した防空砲台が10ヶ所(未完2ヶ所)、聴測照射所(特設見張所)が6ヶ所、機銃砲台は詳細不明な程につくられたようだ。
(推定される)竣工順
水谷山砲台:8cm高角砲×2
永源山防空砲台:8cm高角砲×2
大津島防空砲台:8cm高角砲×2→12.7cm連装高角砲×2(換装)
東山防空砲台:12.7cm連装高角砲×2
光防空砲台:12.7cm連装高角砲×2
仙島防空砲台:12cm高角砲×4
虹ヶ浜防空砲台:12cm高角砲×4
北山防空砲台:12.7cm連装高角砲×2
新宮防空砲台:12.7cm連装高角砲×2
笠戸防空砲台:12.7cm連装高角砲×2
太華山防空砲台:未装備(工事中)
杉ヶ峠防空砲台:工事中止
照聴所:向道、室積、野島、戸田、深浦、八代など
SpecialThanks
・スイカさんのブログ「戦争遺跡に行ってみた。〜砲台探訪と山口県の戦争遺跡〜」
・高射/高角砲台等と言えばのファーザーさんのブログ「戸田 特設見張所(聴音照射所)」
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