[陸軍153師団]七尾田陣地(畔名口トーチカ)
三重県志摩市大王町畔名
本土決戦用陣地
第153師団は阿児町の国府白浜〜市後浜〜東浦に水際陣地(第1線陣地帯)、国府〜長沢に前地地帯(第2線陣地)に機銃用のトーチカなどを構築した。
大王町〜阿児町の陣地配置図
出典:「三重の戦争遺跡増補改訂版」P.190
谷間という谷間には、水田?耕作地?があり「谷間が敵に通り道になる」と考えたのだろう。谷間に迫る山の中腹にも多くの防御陣地を構築している。
出典:国土地理院 1947/09/23(昭22) USA M500-57、より抜粋・加筆
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七尾田陣地
(畦名口のトーチカ)
「国道260号線の畦名口(交差点)の南東約70メートルの場所にあります」との情報。周囲は陣地跡だけあって何処も怪しい。そして荒れた元畑の雑草というか藪に阻まれ、枯れ草さえ背丈で林立しているため視界利かず、一部湿地で歩くのもスイスイいかず、トーチカにたどり着くのはなかなかの困難っぷり。
六角形だがほぼ長方形
縦5.5メートル、幅3.5メートル、地面から最も高いところまでは約3メートル
側壁の厚さは50センチ前後
銃眼面がある東壁の厚さは95センチ〜1メートル
出入口は1ヶ所で内部に爆風避け(仕切壁)あり
部屋は1つだが、ほぼ中央部で仕切壁がある仕様
仕切壁の厚さは約20センチ
天井厚は約1メートル
銃眼は南に2ヶ所
出典:「三重の戦争遺跡増補改訂版」P.191、抜粋・加筆
ただし
銃眼部に跳弾用の段々が無い(斜めに切られているがフラット)
銃眼と隣の銃眼の間隔が狭すぎやしないか?
トーチカではなく監視哨じゃないかな、とも思うが、この地域(第153師団が構築)の機銃用のトーチカは跳弾用の段々があるものは少ない。
①銃眼面(東)
平面ではなく視界確保のため出窓のように凸につくられている
西側から進入、トーチカを発見(^_^)v
絡みつく雑草を取る作業から始める。
ようやく②西面がみえた!
トーチカは屋上庭園状態
③北〜(一部)東
①東(やや北寄り)
東
銃眼は2ヶ所。
射線は国道260号線と国府白浜(海岸)。
④南
出入口は1ヶ所
入室します(・∀・)
弾除けの壁の穴は、戦後のものだろう。
⑤
たぶん、兵員待機所を兼ねた即弾室
堰板など現存。
湿気避けに板やムシロを貼ったり。
⑥銃室
銃眼と銃眼が狭すぎやしないか?
銃座は現存していない。
機銃1丁(台)で対応したのかな?
操作性は大層悪そう。
被弾するとヤバいことになる造りなんだな。
もう一度、外から銃口をみる
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銃口が隣り合った(銃口が2ヶ所有)トーチカは、銃器の操作の関係上、それなりに離している。下記のトーチカ(北海道釧路市の大楽毛トーチカ)がその例。銃眼部には跳弾用の段々が付く。
うーーーーむ、造りが雑なのか(敵の攻撃で銃眼に当たった弾は跳弾用の段々がなければ、銃室内に入ってしまう)、監視哨としての覘視口なのか。よくわからない。
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本土決戦に備えた防衛軍の隷下部隊として第13方面軍が編制された。4月から新編成の第1総軍隷下に移る。所属する第153師団は三重県伊勢〜伊良湖岬〜赤羽根海岸、第73師団が赤羽根海岸〜豊橋〜浜名湖の西にかけて、本土決戦用の水際陣地(と複廓陣地)を構築した。
出典:伊藤厚史「愛知・名古屋の戦争遺跡」、P.101より抜粋・加工
出典:陸軍省「第13方面軍」陸軍部隊(主として内地)調査票 昭和20年8月15日現在
出典:三重県歴史教育者協議会「三重県の戦争遺跡 増補改訂版」P.220
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