[小倉陸軍造兵廠]
福岡県北九州市小倉北区
大正5年(1916年)、陸軍造兵廠が直轄する6機関の1つ、小倉兵器製造所として開設されたのが始まり。東京砲兵工廠の集約移転先として昭和8年(1933年)に小倉工廠は完成した。
昭和15年、陸軍大臣直属の陸軍兵器本部が設置され「小倉造兵廠」と改称。昭和17年、小倉陸軍兵器補給廠(城野)と共に東京第2造兵廠の管轄になった。
176,000坪の敷地を有し、小型戦車、小銃、機関銃、高射機関砲、砲弾、風船爆弾、化学兵器などを製造していた。※環境省が実施した地下水調査の結果、毒ガス関連成分は検出されなかった。
出展:国土地理院1948/04/07(昭23)USA M895-1 5
小倉陸軍造兵廠の跡地は現在、敷地のほぼ中央を北九州都市高速道路が横切っている。その北側は公的機関及び教育施設、南側は様々な工場、住宅地になっており、遺構は極めて少ない。。現在の安川電機小倉事業所から小倉北警察署にかけて、インフラ設備用を纏めて地下に通した地下道が掘られている(現存・非公開)。小倉陸軍兵器補給廠跡地と山田弾薬庫跡地の一部は、陸上自衛隊小倉駐屯地城野分屯地になっている。
風船爆弾組立工場跡地は九州厚生年金会館になり、ここでおよそ1025球の風船爆弾を生産。放球地の茨城県・千葉県・福島県に送った。
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戦前・戦中の小倉について
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第2汽缶場
現在の新小倉病院内に現存している。汽缶とはボイラーのことで、燃料(油やガス)を燃やして水を温め、温水や蒸気を作る機械を指す。
戦後の増改築(魔改造)の結果、1階部分に往時の面影を感じる、のみ。
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試射場(の壁)
廠内で製作した小銃や機関砲などの試射場。
勝山大地と紫川の段丘(というか崖)の壁に、のこぎり屋根の庇のようなものが連なってついていた。建屋は取り壊され無いが、当時の屋根を取壊した跡は残っていた。
その壁が現存していたが・・・
小倉第2合同庁舎の東側の壁は撤去され、その北隣の健和会大手町病院の駐車場に僅かに残っていたが、病院増築に伴い壁の補強工事などで消滅(。・ω・。)
がーーーーーん(。・ω・。)
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陸軍標柱(境界石)
幾つかあるようだが、私がみつけたのは3ヶ所。
その①
花崗岩の標柱は、バキっと折られていた(-_-)
その②
その③
少し離れた白銀地区
「はるおかスイミングスクール」前の市道の歩道にある。
「陸共」
陸共ってなんだろう?
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調質工場・板金工場・第三落槌工場・第四落槌工場
いづれも安川電機製作所小倉工場として再利用されていたが、まさかの更地に(。・ω・。)
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参考資料
「小倉陸軍造兵廠 改訂版」中原澄子
「北九州の戦争遺跡 ガイドブック」北九州平和資料館をつくる会編
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