[気球爆弾大津放球基地]放球台

茨城県北茨城市平潟町

 

気球爆弾、戦後に風船爆弾と呼ばれた(以後、風船爆弾)

この発射というか放流するための放球台をみにいく。

 

 

日本陸軍と日本海軍が開発し、昭和19年11月に陸軍は「ふ号兵器」として実戦投入した。ふ号兵器は、気球の直径約10m、総重量は200kg。兵装は15kg爆弾1発と5kg焼夷弾2発搭載。

 

 

風船爆弾は日本本土から偏西風を利用して北太平洋を横断させ、時限装置による投下でアメリカ本土空襲を企図するもの。昭和19年11月初旬〜昭和20年3月まで、約9,300個余りが放流されて、300〜1,000個程度が北アメリカ大陸に到達。太平洋側のオレゴン州では6人が死亡した。

 

茨城県の大津基地から米オレゴン州まで約7,700kmある。これは発射地点から最遠地点への攻撃で第二次世界大戦で用いられた兵器の到達距離としては最長であり、史上初めて大陸間を跨いで使用された兵器だった。

 

なお日本海軍の風船爆弾は「八号兵器」と呼称。潜水艦に搭載してアメリカ大陸沿岸部まで進出し、放球する方式を想定していた。実験はことごとく失敗に終わり、昭和19年6月以降、日本海軍は風船爆弾の全ての研究と実行を日本陸軍に移譲した。

 

爆弾の製造は小倉陸軍造兵廠で行った。

 

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日本陸軍の放流基地は3ヶ所で、いづれも太平洋沿岸にある。

千葉県一宮、茨城県大津、福島県勿来(いわき)の各海岸の基地

 

出典:国土地理院 1946/10/10(USA M283-A-10 53)、加筆・加工

 

千葉県にある陸軍気球連隊が母体となり「ふ」号作戦気球連隊が編制された。

昭和19年9月8日、陸軍気球連隊が編成され、連隊本部は茨城県大津におかれた。通信隊、気象隊、材料廠など隊員は約2,000名。

 

 

茨城県大津

第1大隊:連隊本部。放球台18基。自前の水素ガス発生装置、水素ガスタンクを備えていた。終戦とともに陸軍は施設を爆破して書類を焼却している。

千葉県一宮

第2大隊:放球台12基。打ち上げのために引込線が敷設され、試射隊が置かれた。水素を昭和電工川崎工場から供給。

福島県勿来

第3大隊:放球台12基。水素を昭和電工川崎工場に供給から供給。

 

・標定隊

本部は陸軍名取飛行場(宮城県岩沼)。青森県古間木(三沢市)と千葉県一宮と樺太標定所が設置された。

 

ただし、一宮基地・勿来基地では水素ガス製造工場が空襲に遭い、作戦遂行不可が不可能になった。大津基地のみ、最後まで作戦遂行された。

 

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直径16メートルのコンクリート製放球台

 

円周縁に設けられている2箇所の四角い穴

気球を飛ばすための水素ボンベを設置した跡、らしい。 

 

 

 

 

 

 

 

大津基地では直径16メートルのコンクリート製放球台が全18基のうち、(奇跡的に)1基が残っている。一宮は宅地開発で全く残らず、忽来は僅かに残る正体不明の旧軍時代と思われるコンクリート台座の上に、太陽光発電のパネルが立ち並んでしまった。

 

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放球台から山側に入った所に「水素ガス製造の為にケイ素鉄を粉砕した工場」の遺構があるので行ってみたが。藪過ぎてよくわからない。

 

 

 

 

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一宮放球基地